5.偽りの婚約者候補、だと?
「おかえりなさいませ」
「ああ、今戻った」
授業を終え、ギルメット国の第一王子アンセルムと一緒に学園から馬車で王城に戻ってくると、自国から連れてきた侍従で側近のフェリクスと護衛のハーラルトが待っていた。
「ヴィーラント」
アンセルムが馬車を降りると声をかけてきた。
まだ小さい頃にこのアンセルムから突然手紙が来て、最初は本当にギルメット国王子からの手紙なのかと訝しんだのだが、我が国には獣人がほぼいなくて、世界的に差別をなくそうと王族会議で決まったのに我が国だけ遅れてはならないと獣人国と古くから行き交っていたバルリング国王子である私に手紙を寄越したらしい。
そこから同じ年だったアンセルムと文通が始まった。自分の知らない事を知っているアンセルムと、アンセルムが知らない事を知っている私は国が違うはずなのに結構な頻度で手紙をやり取りし、こうして留学の為に来て初めて会ったばかりなのにすでに名前で呼び合える位に馬が合う友になった。
「あとでちょっと時間をくれないか?」
「勿論構わないが……」
わざわざ時間をくれだなんて何かあるのだろうか? 不思議に思いながらもフェリクス、ハーラルトと一緒にギルメット王宮で与えられている自分の部屋に戻った。
「今日はいかがでしたか? 何事もございませんでしたか?」
「なかったような、あったような……?」
フェリクスに制服を脱がせてもらいながら私は首を傾げた。なんですか、それはとフェリクスが笑う。
「いや、入学式に倒れた令嬢がいたと言っただろう?」
「ファビエンヌ様ですね? 殿下が気にされているご令嬢ですよね。惜しいですね……アンセルム様のご婚約者候補でなければよろしかったのに……」
「…………別に。そういうのではない」
いや、気にしてはいるのだとは思う。アンセルムの婚約者候補という事で気にしてはいないふりをしてはいるが。……フェリクスを誤魔化せない事などよく分かっているが認めたくはないのだ。
青みかかった銀糸の髪に華奢な細い体。よく出来た人形のように整った顔。それなのに抱き上げた時の柔らかさにぎょっとした。そしてあまりの軽さに本当に人間か? 生きているのか? と保健室に運んでいる時に目を閉じていた顔を何度も確認した。
薄桃の唇に目を引き寄せられていかん! と気を逸らさなければあのまま自国まで連れ帰っていたのではないだろうか?
甘い仄かに香る体臭は私をおかしくさせる。何故あんな甘い匂いをさせているのか。私が狼の獣人の血が入っているからか? 鼻がいいのは確かだが……。
彼女、ファビエンヌは香水の類を身に付けていない。それなのに香る私を魅了する香り。
今日だってアンセルムと話しながらも神経はファビエンヌの方を気にしていた。いつもはもう一人のアンセルムの婚約者候補のマリアンヌ嬢と一緒にいるのだがマリアンヌ嬢が席を外した際にファビエンヌに突っかかっていた令嬢がいて、どうしても神経がそちらに集中してしまった。
そしてその令嬢が顔を傷つけるような勢いで扇を突き出した時、咄嗟に体が反応してしまった。
咄嗟に、だ。別に助けようと思っていたわけでもないのに、私の体はファビエンヌを守るために反応してしまった。
「…………はぁ」
「おや? 悩ましい溜息ですね」
「うるさい」
拗ねたように言えばフェリクスは気にした風もなくくすくすと笑う。幼い頃からずっと面倒を見てきてくれた相手では誤魔化しようもない。
着替えを終え、フェリクスが茶を入れてくれ少し落ち着いた頃、ドアをノックする音が聞こえた。すぐにハーラルトが反応する。後で、と言っていたのでアンセルムなのだろう。
ギルメット王国は我がバルリング国とは元々友好国だ。だが、特に仲が良かったというほどでもなく、数代前にギルメット国から我が国に王族から妃を貰っている位か。それを考えると私の体にもギルメット国に血が流れている事になるのか。
どう考えても獣人の血の方が濃いが。
ハーラルトがドアを開けるとアンセルムが部屋に一人で入ってきた。護衛の騎士は廊下に待機らしい。信用してくれているのは嬉しいがそれでいいのか? 勿論私だって何もする気はないが。
「やあ、まだこちらに慣れていなくて疲れているだろうにすまないな」
「気にするな」
「何か不足している所はないか? 料理は口に合うだろうか?」
「問題ない。よくしていただいてかえって申し訳ない位だ」
本当に何から何まで行き届いている。全部アンセルムの差配らしいが。さすが出来る王子と噂の方だけある。
フェリクスに目配せをして茶を用意してもらう。茶葉は我が国から持ってきたものの方が真新しくて珍しいだろうからアンセルムは興味を持つかもしれない。
「どうぞ。バルリングから持参してきた茶葉で出したお茶です」
ほう? と案の定アンセルムが興味を示した。結構アンセルムは珍しいものとかに目がない。尤も私も気持ちはよく分かるが。私はこうして外国に出てこられたがアンセルムは出られていないからな。
茶葉の匂いを嗅ぎ、アンセルムは一口口に入れた。
「仄かに甘い。香りもいいな。これで茶葉? 果物を入れたのではなく?」
「葉自体に甘味がありますのでこういう味になるのです。果物よりも仄かな甘みと香りでバルリングではよく好まれるお茶です」
フェリクスの説明にほう、とアンセルムが感心していた。
「気に入ったのなら少し用意しようか?」
「いいのか? 自分の分が足りなくなるのでは?」
「送ってもらえばいいから構わない。フェリクス」
「はい。ご用意しておきますね」
フェリクスが穏やかな笑みを見せながら頷いた。
部屋は広い。侍従と護衛の部屋まである一等の客室を用意してくれていたのだ。他国からの滞在者も誰もいないからというのもあるだろうが。
「少し込み入った……というか、口外して欲しくない内容の話になるのだが……」
お茶を飲んで少し落ち着いた頃、アンセルムがそう言いながらフェリクスとハーラルトに視線を向けた。私がすぐに手を払うとフェリクスとハーラルトが部屋から下がった。
このためにアンセルムも一人で部屋に来たのか……。アンセルムが一人で来たのにこっちが側近を残すわけにもいかない。
「それで? 込み入った話とは?」
「私の婚約事情だ」
くすりとアンセルムが苦笑を浮かべた。
「婚約事情……?」
アンセルムには二人の婚約者候補がいる。一人がファビエンヌ嬢、もう一人がファビエンヌ嬢とよく一緒にいるマリアンヌ嬢だ。二人はいつもとても仲がよさそうにいつもくすくすと笑顔を見せながら談笑している。普通第一王子の婚約者候補といったら互いを蹴落とそうとするのではないだろうか? だがあの二人にはそんな気配は微塵もない。
二人ともよく出来た令嬢だからなのか? 水面下では競っているのだろうか?
だが、今日もそうだがアンセルムはマリアンヌ嬢の方を優先しているように見える。そしてファビエンヌ嬢もそれを享受しているように思えるのだ。
「敏いヴィーラントならばもう察していると思うが私はすでに婚約者を決めている」
「……それなら何故婚約者候補を二人のままに?」
ギルメット国に入って情報を収集した所、次代王妃として有力視されているのはファビエンヌ嬢だったが、アンセルムの中では違うはずだ。
「ファビエンヌの家庭の事情の所為だ」
家庭の事情? どういう事だ?
「あまり詳しい事は言わないが、ファビエンヌは公爵家であまりよい待遇とは言えぬ状態だ」
「どういう事だ?」
「ファビエンヌの生母はすでに亡くなっている。ファビエンヌを生んですぐに亡くなったらしいが、それから一年も経たずにクラヴェル公爵は子を連れた男爵令嬢と再婚した」
……ああ、まぁよくあるといえばよくある事か。
「ファビエンヌの父、クラヴェル公爵と義母はファビエンヌを別宅という名目で粗末な小屋みたいな所に押し込み、都合のいい時だけ着飾り上辺を取り繕っている」
なんだと……? 自分の表情が険しくなった自覚はあった。ギリギリと歯を食いしばり暴走しそうになっている感情を押し殺す。
私の―――が……理不尽な目に合っているだと?
荒れ狂いそうな感情にはっとした。今、自分は何を思った? まさか……?
「ヴィーラント?」
「あ、ああ……すまない。……それで……?」
「私の婚約者候補としておけば最低限でもファビエンヌの身が守れるのではないかと正式な婚約者を決めずにずっと候補にしている」
「ファビエンヌ嬢を正式な婚約者にすればよかったのでは?」
そうあって欲しくはないと訴える心を押し殺し、そうアンセルムに聞いてみるとアンセルムはゆっくりと首を横に振った。
「それはない。事情はちょっと話せないが」
事情を話せないがないとアンセルムは言い切った。何故? と問いただしたいが話せないと牽制されている。そして何故ファビエンヌ嬢に対してないと言い切れるのか……。
「マリアンヌも事情を把握している。だからこそあの二人は仲がいいし協力し合っている。マリアンヌにはずっと肩身の狭い思いをさせてしまっているのだが……」
アンセルムがマリアンヌ嬢を思い顔を歪ませた。
本当に……アンセルムの態度はファビエンヌ嬢に向けるものとマリアンヌ嬢に向けるものは雲泥の差がある。はっきり、きっぱりと潔く態度が違うのだ。
何故これでファビエンヌ嬢の方が有力と周知されているのだろうか? こんなにも態度が違うのに。アンセルムのファビエンヌ嬢に向ける情も確かにある。だがそれはまるで兄妹に対しての様な感じなのだ。
「…………いつからその様に?」
婚約者候補を決めたのはまだ幼い時分だと聞いた。
「最初からだよ」
最初から? ファビエンヌ嬢を守る為だけに最初から……? 一体どういう事なのだろうか? そしてその事情を詳しくはなとはいえ、私に話してきたのは何故だ?
「……何故、アンセルムの婚約事情の話を私に?」
「だってヴィーラントはファビエンヌをとても気にしているだろう?」
アンセルムがにこりと笑みを浮かべた。
……くそう、私がアンセルムの心情を察したようにアンセルムも察していたか。多分、アンセルムが確信を得たのは今日の事があったからだとは思うが……。
私の本能がファビエンヌ嬢を求めているのだ。視覚が、嗅覚が、彼女を得ろと訴えているのだ……。




