5. ド・モンペラ家の不幸
<ベル・クラルテ学院>三階の間取り図及び目撃情報はこちらです。
本章後半に登場するド・モンペラ家の家系図も掲載しています。
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「女性の勘は論理的推理より優れていることもある」——当時も今も、それはそうなのかもしれないというのがジュリーの見解だ。
***
とはいえ、「ベル・クラルテの幽霊事件」に関して、アメリアの頭の中にあった仮説は勘ではなく、論理的推理から導かれたものだったのだろう。
その当時でさえジュリーは確信していた。
しかし、初期段階において、アメリアはその全てをジュリーに明かしたわけではなかったので、彼女の行動にはジュリーには理解できるものもあれば、理解できないものもあった。
まず、ジュリーには理解できなかった方の行動だが——アメリアはメイドに話を聞くと言い出した。
「お屋敷の使用人用の裏口のことが気になるの。正面玄関以外にこの屋敷に出入りできるのはそこだけだもの」
アメリアが事前にジュリーに言ったのはそれだけだった。
そして、彼女はディナーの前に、学院のメイドの中で一番おしゃべり好きなシュゾンを指名して着替えを手伝わせた。
その日、シュゾンは別室の生徒に付くことになっていたのだが、彼女のおしゃべりにうんざりしていた生徒は、快く彼女をアメリアに譲った。
ジュリーも隣で着替えながらアメリアとシュゾンの会話に耳をそばだてていたが、シュゾンの訛りの強いフランス語を聞き取ることができず、結局は後でアメリアに概要を聞かねばならなかった。
「シュゾンによるとね。使用人用の裏口は、使用人用の階段を半地下まで降りてすぐのところにあるのだけれど、使用人の仕事が終わる午後11時頃に下働きの使用人が閂をかけるのですって。そうすると、午後11時以降は裏口も正面玄関も閉ざされているから、誰かが外からお屋敷に入ることは難しいわね。ただ、それ以前なら誰かが付きっ切りで見張っているわけではないから、内部事情をよく知っている人であればタイミングを見計らって入ることもできるかもしれないけれど」
アメリアの言う通り、正面玄関は午後10時頃にディナーの客人が帰った後暫くそのままだが、いつも午後10時半頃には管理人のマダムが閂をかけている。
裏口も午後11時頃には閂がかけられてしまうのであれば、それ以降は玄関か窓を壊すくらいしか中に入る手段はないだろう。
「それから、朝はいつも午前5時頃に起きる下働きの使用人が外の石炭庫に石炭を取りに行くときに開けるのが一番最初のようなの。出るときは中から閂を外せば良いだけだから、いつ誰が開けたのが最初かは、誰も気にしないそうよ」
シュゾンから聞いた内容をジュリーに語るアメリアの口調にはどこか確信めいたものがあった。
しかし、ジュリーには彼女が何を確信しているのかはわからなかった。
一方、次のアメリアの行動はジュリーにも理解ができた。
アメリアは、1月3日の未明に廊下の南側で男の幽霊を目撃し、それをマダム・ローフォードに相談したシンシアに再度話を聞きたがった。
ある日の就寝前の自由時間、ジュリーとアメリアは二つ隣の寝室にいるシンシア・レノックスを訪ねた。
シンシアもまた二人と同じく英国からこの学院に来ている少女だ。
「あら、あなたたちまだ幽霊について調べているの?悪いけど、これ以上幽霊の詳細は話せないわよ。あの仮面の男の恐ろしい顔のことはもう思い出したくないもの」
シンシアは就寝用に編まれていた暗いブロンドの髪の先を指に絡ませながら言った。
「大丈夫よ。今回は幽霊自体について聞きに来たわけじゃないの」
アメリアが宥めるように言うと、シンシアは訝しげに眉を寄せた。
「私たちが聞きたいのは、マダム・ローフォードのことなのよ。あなたは幽霊について、マダム・ローフォードに相談したのだったわね?」
「ええ、そうよ。本当はマドモアゼル・ベルナールに相談したかったのだけど。ほら、マドモアゼルはちょうど結婚退職してしまったでしょう?」
マドモアゼル・ベルナールというのは、去年のクリスマス前まで<ベル・クラルテ学院>に在籍していた女性教師だ。
あまり規則にうるさくないマドモアゼル・ベルナールに秘密の相談事を持ちかける生徒は多かったが、彼女は結婚が決まったことにより、慣例通りクリスマス前に退職していた。
「それで、マダム・ローフォードに相談したの。マダムは厳しい方だけど、クリスマス休暇中も学院に残っていた先生の中では、同じ英国人のマダムが一番話しやすい気がして」
「そのときマダムの反応はどうだったのかしら?」
アメリアが問いかけると、シンシアは首を傾げながらも記憶を探るように腕を組んだ。
「ええと……まず、驚いていたわ」
「それで?」
「マダムは少し考えていたけれど……そのうちに色々と教えてくれたわ」
そこでシンシアは声を落としたので、ジュリーとアメリアは彼女の方に耳を寄せた。
「あなたたちもこの学院のお屋敷が元は貴族のお屋敷だったのは知っているでしょう?」
ジュリーとアメリアは頷いた。
生徒たちはこの学院に到着したときに、校長のマダム・ルメールか主任教師のマダム・ローフォードにこの屋敷内の部屋や設備を一通り案内されるが、その際に屋敷の歴史についても簡単な説明がなされるのが通例だ。
この屋敷が学校に変わるまでは、地元の貴族ド・モンペラ家のお屋敷だったことは、生徒たち皆が知っていた。
「マダム・ローフォードによるとね。どうやら初代マダム・ルメールがこの屋敷を買い取る直前の1860年――とマダムは言っていたわ——ド・モンペラ家のガブリエルというご子息が屋敷内の不幸な事故で亡くなったというの」
ジュリーはアメリアが少し首を傾げたのを見逃さなかった。
一方のシンシアはそれに気づかず話を続けた。
「今も私たちが使っている三階と二階の間の大階段があるでしょう?今でこそ、あの階段にはしっかりした手すりがついているけれど、当時は手すりがなかったそうなの。元々、三階には使用人の部屋しかなかったからみたい。それで、そのご子息は何かの理由で三階に行って二階に戻るときに、階段を踏み外して二階の床に落ちて打ち所が悪くて亡くなったそうよ。その頃、ド・モンペラ家には色がよく見えない方が生まれがちで、彼もそうだったの。階段の暗い赤色の絨毯とその下の緑の大理石の床の境目がわからなかったのね」
ジュリーはいつだったか、家族の会話の中で、知り合いの男の子が色を見分けづらいのだという話が出たときに、内科医の父から聞いたことを思い出した。
世の中には、生まれつき色を識別しづらい目の病を患っている人がいるそうだ。
発症するのは基本的には男性で、父は「色覚異常」と呼んでいたと思う。
ド・モンペラ家のご子息ガブリエルもその色覚異常だったのかもしれない。
「それで、マダムはそのガブリエル・ド・モンペラが『ベル・クラルテの幽霊』となって、この屋敷がまだ我が家なのだと思って歩き回っているのかもしれないと言ったわ。でも、騒ぎ立てて校長のマダム・ルメールの耳に入ると、私が『不安定』だと思われるかもしれないから、黙っていると言ってくれたの。それで私もあまり他人には言わないようにしていたの」
シンシアは「不安定」だと思われることへの恐れを沈めようとするように自分の腕を撫でていた。
精神的に「不安定」だと思われることは女性にとって致命的だ。
女性は完璧に感情を制御できなければならない。
父親や夫に見咎められれば、病院送りにされることもあるらしい。
「だから、本当はあなたたちにも話すべきではなかったんでしょうけど……。でも、話したら肩の荷が下りた気がするわ」
最後にシンシアは晴れやかな表情で言った。
しかし、また声を落として付け加えた。
「とにかく『ベル・クラルテの幽霊』——ガブリエル・ド・モンペラの幽霊には気を付けて」
***
「——それで、どうして私たちは図書室に?」
「もちろん、ド・モンペラ家やこのお屋敷の歴史を調べるためよ」
シンシアから改めて話を聞いた日の翌日、ジュリーはアメリアに誘われて屋敷の図書室にいた。
図書室には二人の他は誰もいなかった。
その日は学院の講義はお休みで温かな陽気だったので、生徒のほとんどが近隣の街に買い物に出たり、森に散歩に行ったりしていたのだ。
しかし、前夜から月の障りが始まっていて室内で静かに過ごしたかったジュリーにとっては、アメリアの誘いは都合が良かった。
「確かこの棚に役に立ちそうな本があったはず……」
そう言ってアメリアはある本棚の前で立ち止まった。
ジュリーはこれまで気づかなかったが、そこには「ド・モンペラ家年代記」「ド・モンペラ人物伝」などと題された本が並んでいた。
おそらく、元々この屋敷を所有していたド・モンペラ家は、屋敷を手放す際に家具などの調度品も一体として売りに出したのだろう。
その中に蔵書も含まれていたため、一族の私的な記録書までここに残されたのだとジュリーは推測した。
「以前お屋敷の建築様式について知りたくてここに置かれている本を読んだことがあるのだけど、元々のお屋敷の名前も<ベル・クラルテ>だったのですって」
アメリアは「<ベル・クラルテ>の歴史」と題された本を手に取りながら言った。
「でも、アメリア、一族やお屋敷の歴史を調べて一体どうするの?」
ジュリーはそう言いながらも、一応アメリアに倣って「ド・モンペラ家年代記」を手に取った。
「あのね、ジュリー。私はマダム・ローフォードが作り話をしているのではないかと疑っているの」
「ええ?!何のために?」
ジュリーはつい声が大きくなってしまったが、アメリアはさして気にする風でもなく「<ベル・クラルテ>の歴史」を開いて何かを探している。
「もちろん、南側で目撃された人影を幽霊だということにするためよ。……あら?でも、昔、二階と三階の間の大階段に手すりがなかったのは事実のようね」
アメリアは首を傾げながら、ジュリーに「<ベル・クラルテ>の歴史」のあるページを示した。
そこにあったのは、1830年代に大改装が行われた直後の二階の内装の挿絵だった。
端の方に描かれた三階へと続く階段には、確かに手すりがないように見える。
「手すりの件は本当だったとしても、ガブリエルというご子息が事故で亡くなったというのは作り話ではないかしら?マダムは何らかの理由で夜に屋敷に侵入した男性を庇うために、彼を幽霊ということにしたいのよ。仮面をつけていたくらいだから、その男性はこの屋敷内の人々に顔を知られている人に違いないわ」
アメリアの言葉を受けてジュリーは手に持っていた「ド・モンペラ家年代記」に何か書かれていないか探した。
古びた羊皮紙は褐色に変化していたが、文字の判別に支障はなく、ド・モンペラ家がこの地域一帯を治めるようになってから本拠であった屋敷<ベル・クラルテ>を売却することになった1861年までの出来事が記録されていることがわかった。
無作為に本を捲っていたジュリーはあるページで手を止めた。
「うーん……アメリア。ちょっとこれを見て」
ジュリーはそう言って、そのページを開いたまま近くの書き物机の上に置いた。
そこにはド・モンペラ家の家系図が記されていた。
初代から1861年当時の第八代までの当主の名前と嫁いできた奥方の名前が婚姻関係を示す線で結ばれ、当主夫妻の間に子女たちの名前が書かれている。
その末尾には第八代当主夫妻と二人の子息――長男フランソワ(François)と次男ガブリエル(Gabriel)――の名が見えた。
何故か次男の名のすぐ右側が破れてしまっているが、ガブリエル(Gabriel)という名の子息が1860年に亡くなったことは辛うじて読み取れた。
アメリアもそれを確認して少し眉を寄せた。
「マダムの話と一致はするわね。……でも、この印は?」
アメリアは第八代当主ガブリエル(Gabriel)とその長男、当主と同名の次男の横に付された黒い丸のような印を指さした。
「ええと……隣のページに説明があるわ。『黒い丸の印は色覚異常の形質を発現した者を示す』ですって」
その説明を読んだジュリーは改めて家系図を辿った。
第六代エドモン(Edmond)とその夫人ガブリエル(Gabrielle)の子女たちには色覚異常を受け継いだ者はいないが、第七代シャルル(Charles)とその夫人エレーネ(Hélène)の長男――つまり第八代ガブリエル(Gabriel)以降その形質が現れている。
ジュリーは内科医の父が言っていたことを思い出した。
「父が言っていたのだけど、色覚異常は、母方の家系から息子に受け継がれるものなのだそうよ」
「さすがは内科医の娘ね、ジュリー。そうすると、ド・モンペラ家の場合は、第八代当主ガブリエル(Gabriel)とその二人の子息に受け継がれているから……きっと最初は第七代夫人エレーネ(Hélène)が持ち込んで、更に第八代夫人マリー=ジャンヌ(Marie Jeanne)も同じ形質を持ち込んだのね」
アメリアの言葉にジュリーも頷いた。
もしかすると、第七代夫人エレーネと第八代夫人マリー=ジャンヌ(Marie Jeanne)の実家は同じ家系なのかもしれない。
昔の貴族が代々同じ家系から夫人を迎えるというのは、ままあることだ。
「色覚異常は、母方から息子に受け継がれるということは、女の子が色覚異常ということはあり得ないのかしら?」
とアメリアが続けて尋ねた。
「稀にはあるそうよ。でも、女の子が発症するのは、父方と母方の両系にその形質が見られる場合だけなんですって。だから、やっぱりほとんどが男の子なの。このド・モンペラ家の男性たちのようにね」
アメリアはジュリーの言葉を聞きながら、家系図を注意深く観察するようにそのヘーゼルの瞳を少し細めていたが、続いて本棚の中から「ド・モンペラ家人物伝」を取り出して手早くページを捲り始めた。
そして、あるページで手を止め何度も同じ箇所に視線を走らせた。
「これによると……色覚異常の影響で転落死した人がいたというのは事実みたいね」
アメリアは、ジュリーに「ド・モンペラ家人物伝」を手渡した。
ジュリーもアメリアが示した箇所に目を通す。
そこには「第八代当主ガブリエルは夫人との間に二子を得たが、その内の一人は1860年に色覚異常の影響により屋敷内で転落死した」と書かれていた。
ジュリーは小さく息を呑んだ。
これまで調べた内容からすると、マダム・ローフォードがシンシアに話したことは事実のようだ。
「家系図によるとガブリエル(Gabriel)は1830年生まれだから……亡くなったのは30歳のとき。私が見た仮面の男も30代くらいに見えたわ」
「ジュリー、でもね——」
アメリアが何か言いかけたが、ジュリーの頭はあの仮面の男の恐ろしい姿に支配されていた。
静寂の中、夜の廊下を行く人影。暗闇に浮き上がる白い仮面——。
「あれはやっぱり……ガブリエル・ド・モンペラの幽霊だったの?」
その瞬間、急に背筋に冷たさを感じたジュリーは、思わず近くの本棚に手をつき、しゃがみこんでしまった。
腹痛が急に強まり、視界も揺れていた。
以前にも月の障りの折にこうなったことがある。
「ジュリー?!」
アメリアは慌ててジュリーに駆け寄り、彼女に肩を貸して部屋の隅の長椅子に移動させた。
長椅子に座ってなお、視界の揺れが収まらないジュリーはそのままひじ掛けにもたれて倒れ込んだ。
「ジュリー、大丈夫?今、誰かを呼んでくるわ」
アメリアが図書室を出て行こうとしたとき――。
「お嬢様方(Young ladies)!」
先日と同じ鋭い声が図書室に響いた。
ジュリーが顔を上げるとやはりそこにいたのはマダム・ローフォードだった。
いつもの通りダークブラウンの髪をふんわりと結って眼鏡を掛けている。
ただ、その眼鏡の奥の緑の瞳は揺れていた。
しかも、いつもの流暢なフランス語ではなく、英語で話した。
「ショックで貧血を起こしたのでしょう。若いお嬢様にはよくあることですから安心なさい。今、メイドに温かい紅茶を持ってくるように言いました」
マダムはジュリーの元に歩み寄ると、彼女の額に手を当てた。
今、ジュリーはマダム・ローフォードとは折り合いが悪いはずなのに、そのひんやりとした手のひらは心地よかった。
一方、傍らに立ち尽くすアメリアはジュリーと同じくらい青ざめていた。
「マダム・ローフォード……私は……」
「ミス・グレンロス、あなたはまだ幽霊について調べていたのですね。私の忠告を聞かずに」
マダムはジュリーから目を離さずに言った。
彼女はポケットから取り出したハンカチでジュリーの額の汗を拭っている。
ジュリーはふとマダムの目の下に、くっきりと隈が浮かんでいるのに気がついた。
「あなたはレディの柔らかい感受性が耐えられないことを追及し過ぎました。その結果、お友達に大きなショックを与えてしまったのです」
「……はい、全て私の責任です」
アメリアの声は震えていた。
ジュリーはこれはアメリアのせいではなく、月の障りのせいなのだと説明したかったが、声が出なかった。
視界は先ほどより激しく揺れ、ひどく気分が悪かった。
「今回が最後です。レディとしての分を弁え、身を慎みなさい。レディとして何が幸福なのかよく考えるのです」
マダム・ローフォードの声に怒りはなかった。
ジュリーはだからこそアメリアが傷ついたのではないかと心配だった。
しかし、今の彼女にできるのはただ黙って深呼吸を繰り返すことだけだった。
冒頭の引用元は下記作品です。抄訳は作者によります。
※現段階では若干ネタバレになりますので、後から確認されることをお勧めします。
https://www.gutenberg.org/ebooks/1661
【補足】
■現代では先天性色覚異常はX連鎖潜性遺伝だと知られていますが、1907年当時は遺伝子が染色体上にあることが実証されていませんでした。そのため、ジュリーの説明は当時として可能な範囲に留まっています。
■「不安定」とみなされた女性が病院に送られた例(英語ソース)です。とんでもなさに驚きます……。
夫に反論して病院送りにされた例
https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_Packard
不倫相手と同居したい夫に病院送りにされた例
https://warwick.ac.uk/fac/arts/history/chmst/public_engagement/previous/asylum_trilogy/trade_in_lunacy/research/womenandmadness/




