4. 燃やされた目撃情報
<ベル・クラルテ学院>三階の間取り図はこちらです。
本章でアメリアがまとめた目撃情報も掲載しています。
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「理論を組み立てる前にデータを集める」――それからのアメリアの行動はまさにそれだった。
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ジュリー以外にも幽霊を目撃した生徒がいると知った彼女は、数日かけてその情報を集めた。
日曜礼拝に向かう途中に声をかけてきたサラとメアリーに始まり、彼女たちの話から他の生徒の中にも幽霊の目撃者がいると知れば、自由時間の間に彼女たちにも話を聞きに行った。
もちろん、ジュリーもそれに付き添った。
それまでジュリーはアメリアが最も輝くのは、講義中に興が乗り過ぎた教師たちが未婚のレディに教えるべき範囲を超えた話を始めたときだと思っていた。
そういうときのアメリアは、あのヘーゼルの瞳を輝かせて、一言も聞き漏らすまいと教師の話に聞き入っていた。
しかし、今回、この幽霊事件を調べ始めた彼女の瞳の輝きはそのとき以上に見えた。
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幽霊事件を調べ始めて数日後、ジュリーとアメリアは、昼餐後の自由時間にサロンに集まった。
自由時間には、ほとんどの生徒と教師がこのサロンで歓談する。
とはいっても、単におしゃべりを楽しむことが目的ではなく、フランス語で複雑なことを話す練習と将来女主人として社交の場での会話を上手く回す術を学ぶ訓練の時間なのだ。
通常であれば、二人はいずれかの会話のグループに加わって、ジュリーはややたどたどしいフランス語で、アメリアは流暢なフランス語で、何らかの会話に勤しんでいるはずだった。
しかし、今日の二人は、敢えてサロンの隅のガラス扉がついた飾り棚の前に並んで立っていた。
その飾り棚はベヒシュタイン社製のピアノの影にあったので、これまでジュリーはその存在に全く気がつかなかった。
二人は飾り棚の中の調度品について感想を述べているように見えることを期待しつつ、極力声を低めて英語で会話をしていた。
レディとして仕上げられるべき彼女たちが幽霊事件について調査しているなど、教師に知られれば何かお小言をもらうかもしれない。
「――さて、幽霊の目撃者には粗方話を聞くことができたわね。ほとんどの人があなたと同じように、夜中に三階の廊下で目撃していたわ」
アメリアは用心深くあたりを見回してから、濃い青色のスカートのポケットから一枚の紙を取り出した。
「日記に書いていた人や行事と結び付けて覚えていた人の分は日付もわかったから、三階の廊下の幽霊について時系列で整理してみたの」
その紙を広げながらも、アメリアの視線は飾り棚の中のロケット——巻き毛の黒髪の若い女性の肖像画がはめ込まれ、「ガブリエルを偲んで(En souvenir de Gabrielle)、1860」と刻印されている――に置かれていた。
ジュリーは、飾り棚の中の嗅ぎタバコ入れ――網にかかったヴィーナスとマルスが描かれている――からその紙へとそっと視線を移した。
そこにはこれまで二人が集めた幽霊に関する情報が整理されていた。
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三階の廊下の幽霊
1906年9月(詳細日付不明)、午前4時半頃
目撃者:クロエ
場所:南側
ランプを持った燕尾服の男の幽霊を目撃。仮面をつけていた。
1906年10月31日(水)、おそらく午後11時過ぎ
目撃者:メアリー
場所:南側、使用人用階段付近
ランプを持った仮面の男の幽霊を目撃。外套を着ていた。
1906年11月6日(火)(おそらく)、午前6時頃
目撃者:サラ
場所:北側
寝室のドアから廊下を確認したときに白い影を見た。女性のようだった。
直後に南側の化粧室から戻ってきたエミリーは何も見なかったと言っていた。
前日はガイ・フォークス・デーだった。
1906年12月27日(木)、午前4時半頃
目撃者:ジュリー
場所:南側、使用人用階段付近
外套姿でランプを持った仮面の男の幽霊を目撃。
前夜にムッシュー・シャイデマンの小演奏会があった。
1907年1月3日(木)、午前4時過ぎ
目撃者:シンシア
場所:南側、使用人用階段付近
ランプを持った人影が使用人用階段に向かうのを目撃。
毛皮の外套を着た仮面の男だった。
翌日、マダム・ローフォードにこの件を相談した。
1907年2月14日(木)、午前6時前
目撃者:クリスティーネ
場所:北側
白い影を目撃。少女のような気がした。
バレンタインデーの朝だったのを覚えている。
1907年3月の初め、おそらく明け方
目撃者:カトリーヌ
場所:北側
白い影を目撃。女のようだった。
1907年3月19日(火)、午前2時頃
目撃者:クロエ
場所:北側
女の幽霊を目撃。
1907年4月4日(木)、午前4時半過ぎ
目撃者:クリスティーネ
場所:北側
白い影を目撃。子供のようだった。
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「こんなに目撃情報があるなんて、よくこれまで騒ぎにならなかったわね」
一通りメモを読んだジュリーが呟いた。
「皆、夜中に寝室から出たのを知られて、罰を受けるのを恐れたのね。そうでなければ、『幽霊を見た』なんて格好の話のたねだわ」
アメリアはどこか楽しげだった。
一方のジュリーは少し眉を寄せる。
「それにしても、色々な幽霊がいるようね。男性もいれば、女性もいるし、子供のようだったという証言もあるわ。家族の幽霊かしら?」
「でも、ジュリー。この中には明らかに幽霊ではないものが混じっているわ」
「そう?」
ジュリーが首を傾げながらアメリアを見ると、彼女のヘーゼルの瞳はきらきらと輝いていた。
しかし、アメリアはその煌めきを誤魔化すように一度瞬きをしてから、落ち着いた口調で言った。
「ほら、目撃場所と幽霊の特徴をよく見てちょうだい」
ジュリーはアメリアの言葉に従って、どの場所でどんな幽霊が目撃されているか、改めてメモを見て確認した。
「あら?廊下の北側と南側、どちらで目撃されたかで幽霊の特徴が違うわね。北側で目撃されるのは、女性や子供。色は白っぽいようだわ。でも、南側は私が目撃したのと同じ、男性の幽霊ばかりで、仮面をつけているわね」
「ええ、そうね」
「つまり、どちらかは『明らかに幽霊ではない』ということ?」
ジュリーが問いかけるとアメリアは口元に微かに笑みを浮かべて頷いた。
「北側で目撃されたのは、幽霊ではないわ。ほら、ジュリー、廊下の北の端に何があるかを思い出して」
ジュリーは頬に手を当てながら記憶を探った。
三階の廊下、北側の端にあるのは……。
「そうだわ!鏡ね!北側に現れた幽霊や白い影は、きっと目撃者自身が鏡に映った姿なのよ」
ジュリーがそう言って静かに手を叩くとアメリアの笑みが深まった。
「私もそう思うわ。私たち夜は皆、白いナイトドレスを着るからそれが北側の鏡に映って『白い影』に見えたのね。自分たちを見るのだから、女性や子供に見えたのも当然だわ。ただ、11月のサラは、彼女自身は廊下には出ていないわ。けれど、直後にエミリーが廊下から戻ってきているから、きっとエミリーの姿が鏡に映ったのを見たのね」
「北側の幽霊の正体はそれね!でも、じゃあ、南側の仮面の男の幽霊は……本物……?」
ジュリーは恐る恐る言った。
「実は、私は南側も幽霊ではない可能性があると思っているの」
ジュリーは再び首を傾げた。
自分が目撃してしまったのも何かの見間違いであってほしいとは思うが、廊下の南側の端には鏡はないし、その他幽霊と間違えそうなものもなさそうだ。
「アメリア、あなた……もしかして、そもそも、幽霊なんて存在しないと思っているの?」
「いいえ」
意外にもアメリアは首を振った。
「『幽霊が存在しないこと』はまだ誰も証明していないでしょう?だから、幽霊が存在しないとは言い切れないと思うの」
彼女は微かに笑ったが、続いて少し重い口調で言った。
「でもね。この南側の『幽霊』は幽霊にしては少しおかしくないかしら?」
「そうかしら?どんなところがおかしいの?」
「一つは、ランプを持っていること。幽霊はランプなんて持たなくても良い気がするの」
「そうかもしれないけど……」
ジュリーは頬に手を当てながら視線を落とした。
確かに幽霊ならランプの明かりに頼らず移動できそうだ。
しかし、それだけでは幽霊でないとも言い切れない。
「それから、目撃された時期によって服装が変わっていることもおかしいわ。秋口には燕尾服だけ、冬は外套、真冬になると毛皮の外套……幽霊がわざわざ季節に合わせて服を変えるかしら?」
この指摘にはジュリーは頷かざるを得なかった。
故郷の英国でも幽霊話を聞いたことがあるが、特にこういうお屋敷に現れる幽霊は、同じ時間に同じ場所で同じ姿で目撃されるものだ。
それとも、スイスの幽霊は英国の幽霊とは違うのだろうか。
考え込んでしまったジュリーが黙っていると、アメリアは更に続けた。
「そして、もう一つ」
アメリアは手に持っていた目撃情報のメモを指さした。
1月3日のシンシアによる目撃情報の部分だ。
「このシンシアの目撃情報以来、仮面の男の幽霊は現れていないの。単に見られていないだけかもしれないけれど、それにしてはタイミングが良すぎるわ」
「ええと、つまり――どういうことなの?アメリア」
「1月3日に男性の幽霊を目撃したシンシアはマダム・ローフォードに相談しているわ。マダムの耳に入った直後から目撃情報が止んでいる……きっと何かあるわ」
アメリアの確信めいた口調に、ジュリーは思わず彼女を見つめた。
思った通り、そのヘーゼルの瞳には輝きが映っていた。
「そして、この仮面の男の幽霊で最も興味深いのは――」
そうアメリアが言いかけた時だった。
「お嬢様方(Mesdemoiselles)!」
鋭いフランス語が飛んで来て、二人は思わず身を竦めた。
そっと振り返るとピアノの影から姿を現したダークブラウンの髪を優雅に結った背の高い30前後の女性――主任教師のマダム・ローフォードその人――が飾り棚の前の二人に近づいてきた。
ジュリーは慌てて飾り棚の中の美しい嗅ぎタバコ入れについてフランス語のコメントを絞り出そうとしたが、遅かった。
マダムの眼鏡の奥から鋭い視線を二人に向け、早口のフランス語で続けた。
「そんな隅で何をお話しになっているのです?お二人が何やら怪しげなことを調べていると聞きましたよ」
ジュリーとアメリアはそっと視線を交わし、ゆっくりとマダムの方を振り返った。
生徒たちに幽霊の目撃情報を聞き回っていたのが、マダムの耳に入ってしまったようだ。
ジュリーは思わず唇を噛んだ。
よりによって今一番関わりたくないマダム・ローフォードに知られてしまった。
マダムはそのまま二人に近づいてアメリアが持っていた目撃証言のメモを手に取った。
そして、上から下まで目を通す。
「なるほど。やはり幽霊ですか。そのようなレディの繊細な神経に悪影響を及ぼすことを考えてはいけません」
「マダム。それはただ――」
アメリアが弁解を試みたが、マダムが眼鏡の奥の緑色の瞳を細めたので黙らざるを得なかった。
「そもそも、こそこそと何か企むような振る舞いは看過できません。道を誤ったお嬢様によくあるお振舞いですから」
これにはジュリーもアメリアも青ざめた。
マダムが言った「道を誤った」の意味は明らかだ。
単に規則違反をするという意味ではなく、男性との不適切な交際を示唆している。
<ベル・クラルテ学院>では生徒たちが親族以外の男性と私的な関わりを持つことは固く禁じられている。
生徒たちばかりではなく、雇われの女性教師たちも同様で、徹底的に男性の影を排除している。
結婚する女性教師もいるが、結婚前までは純潔を疑われてはいけないし、結婚が決まればすぐに退職して令嬢たちに良き主婦としての範を示すのが慣例だ。
ちなみに、マダム・ローフォードも、主任教師であるための敬称として「マダム」を冠して呼ばれているが、実際には未婚の女性だ。
「よくお分かりでしょうけれど、お嬢様方の純潔には疑いすらも厳禁なのです。まともな紳士は疑念のある令嬢と結婚しようとはなさいませんから。そして、結婚できなかったレディに幸福はありません」
マダムは言い切った。
とはいえ、マダム自身は結婚しなくても十分幸福そうなのに、とジュリーはつい思ってしまった。
ここ最近あのことでマダムと折り合いの悪いジュリーでさえも、マダム・ローフォードにとって教師は天職であると認めていた。
秋にこの学院に来て以来彼女を観察してわかったが、その厳格さは生徒を思うが故のものだし、何より彼女自身もこの仕事を楽しんでいるように見えた。
同じレディでも、職業を持って自活しなければならないマダムと上流中産階級の生まれで働く必要のないジュリーやアメリアとの階級の違いと言われればそれまでなのだが。
「ともかく、疑われるような行動は厳にお慎みください」
マダム・ローフォードはアメリアから取り上げたメモを真っ二つに破り、近くの暖炉にくべてしまった。
周囲の歓談の声の中に、パチパチという暖炉の音が嫌に大きく響く。
そして、マダムは改めて二人に――中でもアメリアに向き直って言った。
「特に、マドモアゼル・グレンロス」
ジュリーは傍らのアメリアが微かに脚に力を入れたのを感じた。
「あなたのその類まれなる頭脳と探究心は神からの贈り物です。それは間違いありません。しかし、それがレディとしての幸福をもたらすとは限らないことをよくお考えなさい」
ジュリーは思わずアメリアを見た。
そのヘーゼルの瞳には一瞬揺れが映った気がしたが、彼女の表情は平静そのものに見えた。
「今回は見逃しますが、こんなことをしている暇があれば、ご自分の将来にとって、もっと意味のあることをなさってください」
マダムは鋭い口調で言った。
「マドモアゼル・ウィンクラーはフランス語を磨くべきです。マドモアゼル・グレンロスに練習相手になってもらいなさい。そして、マドモアゼル・グレンロスは……ピアノの練習をするのが良いでしょう。先日、他のお嬢様方とサロンのピアノをお弾きになっているのを隣の前室から聞いていましたけれど、モーツァルトやエルガーばかりではなく、シューマンやショパンも練習した方がいいわ。マドモアゼル・ウィンクラーにちょうど良い曲を勧めてもらいなさい」
そう言ってマダムは踵を返して会話が盛り上がっている一団の方へと戻って行った。
「アメリア……」
ジュリーはただ俯いているアメリアに何と声を掛けて良いかわからなかった。
アメリアが優秀なのは知っているが、それが必ずしも社交界で歓迎されないこともわかっていた。
しかし、アメリアはただゆっくりと右手をスカートのポケットに入れ、一枚の紙を取り出し、それを静かに広げた。
ジュリーはその紙に素早く視線を走らせて、眉を上げた。
そこに書かれていたのは、先ほどマダムに燃やされてしまったメモに書かれていたのと同じ幽霊の目撃情報だった。
「アメリア、それ!」
「こういうこともあるかと思って。実はあと二枚作ってあるの」
驚き半分可笑しさ半分で言葉を失うジュリーに目配せして、アメリアは悪戯っぽく笑った。
しかし、彼女はすぐに真面目な表情になった。
「でも、さっきのマダム・ローフォードの反応……なんだか気になるわ。この幽霊事件、もう少し調べてみた方が良いのかも……」
考え込むように俯いた彼女のヘーゼルの瞳には強い煌めきが宿っていた。
冒頭の引用元は下記作品です。抄訳は作者によります。
※現段階では若干ネタバレになりますので、後から確認されることをお勧めします。
https://www.gutenberg.org/ebooks/1661




