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10. 幽霊の正体


 「状況証拠は、あることをはっきりと示しているように見えるが、視点を少し変えると、それと同じくらいはっきりと全く異なることを示していることもある」——後日「シャーロック・ホームズの冒険」を読み返したジュリーは、「ベル・クラルテの幽霊事件」もまさにそういうことだったのだと思った。

 

***

 

 マダム・ローフォードは二人を自分の部屋に招き入れた。

 彼女が暖炉の前のアームチェアーに腰を下ろしたので、二人も何となくその近くの長椅子に座った。

 沈黙の中に暖炉が燃える音だけが聞こえた。


「それで――」


 不意にマダムが英語で言った。


「お二人は私の秘密に気づいたのですね。でも、一体どうやって?」


 彼女の方から話を切り出すと思っていなかったジュリーは、戸惑いつつアメリアに視線を向けた。

 すると、彼女は視線で応えてから静かに話し始めた。

 

「最初のきっかけは、もちろん、生徒たちから聞いた幽霊の目撃情報でした。この学院では様々な幽霊が目撃されていましたが、中でも三階の廊下で目撃された『仮面の男』の幽霊には不審な点が多くありました。幽霊なのにランプを持っていたり、季節ごとに服装が変化したりしたこともそうですし、仮面を着けていたのも、もしかすると、誰かに見られれば正体が露見する本物の男性だからかもしれないと思いました」


 マダムは暖炉の火を見つめながら、ほとんど無表情のまま「そう……」とだけ呟いた。


「更に、1月3日に『仮面の男』を見たシンシア・レノックスがあなたに相談して以来、『仮面の男』の目撃情報が止んだのも気になりました」


 マダム・ローフォードは黙したまま眼鏡の位置を直しただけだったが、アメリアは静かに続けた。


「それから、シンシアからあなたが『仮面の男』の正体について語ったことを聞きました。その昔、このお屋敷の持ち主だった貴族の家のご子息に、不幸にも色覚異常(ドルトニズム)の影響で屋敷内で転落死した方がいた——『仮面の男』はそのご子息ガブリエル・ド・モンペラの幽霊かもしれないという話です。そこで、私たちは一族やお屋敷の歴史を調べました」


 ジュリーはマダムの表情を窺ったが、何も読み取れなかった。

 マダムはアメリアの膝の上の「ド・モンペラ家年代記」に視線を向けながら言った。

 

「でも、調べてわかったでしょう?実際に、転落死したご子息は存在します。私自身は以前、この屋敷の歴史を調べた際に知りましたが、その本や他の本にも同じことが書かれています。私は事実に基づいた仮説を話しただけです」

「ええ、あなたが話したド・モンペラ家の不幸は()()事実だと思います、マダム」


 アメリアは膝の上で「ド・モンペラ家年代記」を捲った。

 そして、ド・モンペラ家の家系図のページを開き、マダムに見えるように掲げた。


挿絵(By みてみん)


「まず、マダムがシンシアに言った通り、ド・モンペラ家には1860年に亡くなったご子息ガブリエル(Gabriel)が存在するようです。家系図上に彼が色覚異常(ドルトニズム)を受け継いでいたことを示す印があるのもマダムの話と整合します」


 先日、図書室で確認した通りだ。

 ジュリーは思わずアメリアに問いかけた。

 

「それなら、やっぱりマダムは事実を話したということよね?」

「ええ、そう思えるわね。でも、この話には一つだけ嘘が混ぜられています。『仮面の男』を幽霊に仕立て上げるために必要だった嘘です」


 アメリアは家系図の右下の破れを指し示した。

 

「これを見てください。ガブリエル(Gabriel)の名前のすぐ右が破れています。破れ口は古びていないので、最近破られたものだと思います。マダム、これはあなたが意図的に破ったものではないでしょうか?」


 マダムは家系図の破れを見て微かに目を細めた。

 

「……何故そう思うの?」

「その理由はジュリーが首にかけているロケットにあります。ジュリー、ロケットを渡してもらえるかしら?」


 ジュリーが首から外したロケットをアメリアに手渡すと、彼女はそれを開いてからマダムに渡した。

 先ほどリネン庫でジュリーも確認した通り、ロケットには黒髪の令嬢の肖像画がはめ込まれており、縁に「ガブリエルを偲んで(En souvenir de Gabrielle)、1860」と刻印されているはずだ。

 それを見たマダムの瞳は大きく見開かれた。


「ガブリエル(Gabrielle)……!これは一体どこに?」

「やはりこのロケットの存在はご存じなかったのですね、マダム。私もついこの前見つけましたが、サロンの隅の飾り棚にありました。お気づきの通り、この肖像画の女性はガブリエル(Gabrielle)という名前のようです。そして、刻印の内容から、1860年に亡くなったのだと考えられます」


 アメリアの言葉を聞いたジュリーには疑問が湧き上がった。

 

「待って、アメリア。1860年といえばご子息のガブリエル(Gabriel)が亡くなったとされる年だわ。このご令嬢のガブリエル(Gabrielle)も1860年に亡くなったの……?」

「いいえ、1860年に亡くなったガブリエルはただ一人——ご令嬢のガブリエル(Gabrielle)よ。ご子息のガブリエル(Gabriel)は最初から存在しなかったの」


 そう言ってアメリアは再度「ド・モンペラ家年代記」の家系図を示した。


「家系図にある通り、ド・モンペラ家では18世紀以来、一族に度々『ガブリエル』という名を与えています——おそらく第6代の夫人の名を受け継がせているのでしょう。男女いずれにも使われる名ですが、第6代の夫人ガブリエル(Gabrielle)と第8代当主ガブリエル(Gabriel)を見比べればわかる通り、綴りが少し違います。女性名の場合は末尾に『le』が付くのです。そして、この家系図は1860年に亡くなったガブリエルの名前のすぐ横が破かれています。当初、私たちはここに書かれているのは男性のガブリエル(Gabriel)だと思いましたが、ロケットの肖像画と刻印を踏まえると、元は女性のガブリエル(Gabrielle)が記されていたのです。名前の末尾の『le』を取り除くことで、女性名だったものを男性名に見せかけたのです」

「でも、そのガブリエルは色覚異常(ドルトニズム)があることが示されているわ。色覚異常(ドルトニズム)は、普通母方から受け継いだ男の子が発症するものだと……」


 ジュリーはそう言いかけたが、改めて家系図を見てすぐに気が付いた。


「ああ、このガブリエルの場合は、まず、父親が色覚異常(ドルトニズム)の形質を持っているわ。そして、兄のフランソワも色覚異常(ドルトニズム)を発症している……ということは、母方にもその形質があったということ。つまり、父方と母方から受け継いだ女の子が発症する稀なパターンだったのね!」


 ジュリーの言葉にアメリアは少し微笑んで頷いた。

 そして、改めてマダムの方に向き直って言った。


「事実はこうだと思います。1860年、この屋敷で不幸にも転落死したのは、女性には珍しく色覚異常(ドルトニズム)を有したご令嬢のガブリエル(Gabrielle)でした。それをご存知だったマダムは、シンシアから『仮面の男』の話を聞いたときに、咄嗟にガブリエルの性別を女性から男性に変更して、この話をしたのだと思います。『仮面の男』を本物の男性ではなく幽霊だと信じ込ませるために、この屋敷で不幸な亡くなり方をした()()が必要だったからです。しかし、私たちが幽霊について詳しく調べ始めたので、ガブリエルの性別を示す証拠を消す必要が生じ、この家系図からガブリエルが女性であることが読み取れる部分――『le』を破り取りました。幸い他には性別を特定する記載はなかったのでしょう。そうですね、マダム・ローフォード?」


 マダムは編んで垂らしている髪を一度撫でた後、長く息を吐いた。

 そして、視線を落としたまま口を開いた。


「ミス・グレンロス……やはりあなたの頭脳と探究心は神からの贈り物です。私はあなたがこの幽霊事件に関わり始めてすぐにこの家系図に細工をしました。不確かな話を聞いたとき、あなたなら必ず根拠を確認しますから。他の誰でもないあなたなら……」


 彼女の緑色の瞳がアメリアを見つめた。


「ただ、逆にあなたにさえ幽霊の存在を信じさせられれば安全だと思いました。だからこそ、敢えてご子息のガブリエルがいたかのように偽装したこの家系図を残しておいたのですが……そのロケットがあったなんて。今にして思えば、本ごと持ち去っておくべきでしたね」

 

 マダムはため息をついたが、アメリアは首を振った。


「いいえ、マダム。ロケットがなかったとしても、私は『仮面の男』が幽霊であるという説には納得しなかったでしょう。『仮面の男』に幽霊らしくない特徴があったこともそうですが、何より、レディとしての規範を重んじるあなたがシンシアに対して、幽霊話のような不穏な話をするなんて、普通なら考えられません。そうせざるを得なかったのは、『仮面の男』が幽霊ではなく実在の男性であり、しかも、あなた自身にその男性を庇わなければならない事情があったからです。実在の男を見たと思えば、シンシアは校長先生に報告したでしょう。しかし、幽霊話を信じたシンシアは、あなたの狙い通り、精神が『不安定』だと思われることを恐れ、この話を他人に明かすことは控えていたようです」

「……いずれにしても、あなたを騙すことは不可能だったのね」


 マダムの頬に一瞬微かな笑みが浮かんだように見えたが、彼女は真面目な顔に戻って続けた。 

 

「その様子だと、私が庇っていた『仮面の男』がムッシュー・シャイデマンであることも気づいているのですね?」 

「ええ、『仮面の男』が現れる曜日とムッシューがディナーに出席する曜日が一致していましたから。それに音楽好きのジュリーのお蔭でムッシューが小演奏会でシューマンの曲を演奏することが訪問の合図になっていたことにも気づきました」


 アメリアが静かに言うと、マダム・ローフォードは一度ゆっくりと目を閉じた。

 そして、再び目を開き、眼鏡越しに二人を真っ直ぐに見据えて問いかけた。

  

「でも、それなら、どうして今夜お二人はリネン庫に隠れていたの?私が言うのもおかしいけれど、ここまでわかっていたなら、校長先生にこのことを報告するのが筋ではありませんか?」

「それは……」


 アメリアは少し口ごもりながらも続けた。


「昨日、私はマダムがラテン語で『戦いは他のものに任せよ』とおっしゃったのを聞きました。そして、同じ日にジュリーがムッシュー・シャイデマンから『幸いなるオーストリアよ』と聞いたのです。それで、私はお二人が結婚するのだと思いました……」

「あなたはラテン語もわかるのね。迂闊だったわ。ムッシュー・シャイデマン——フランツが()()()()求婚で言ったの。『戦いは他のものに任せよ、汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ――私たちの戦いも終わりにして結婚しよう』とね」


 マダムは笑ったが、どこか弱々しかった。


「ミス・グレンロス、あなたの推測通りよ。私は来月いっぱいで学院を退職してヴェニスへ行くの。彼の妻としてね。悩んだわ。本当に。深く深く悩みました。でも、あなたたちは結婚のお祝いを言いに来てくれたわけではなさそうね?」


 ジュリーとアメリアは視線を交わした。

 先ほどのアメリアの懸念を説明した方が良さそうだが、未婚のレディが口に出して差し支えない言い方でないといけない。

 ジュリーが上手い言葉を見つけられないでいると、再びアメリアが躊躇いながらも話し始めた。


「あの、ムッシュー・シャイデマンは今夜はマダムのところには来ないのでしょうか?シンシアに目撃されて以来控えていらっしゃったのだとは思いますが、今夜の小演奏会の曲目はシューマンだったので、今夜は来るのではないかと……」


 マダムはゆっくりと首を振った。

 

「彼はもう来ないわ。退職するまでは夜には会わないと決めたの。それに彼が今夜弾いたのはシューマンが結婚前夜の妻に贈った『献呈』。彼は結婚の約束を確認するために弾いただけ——」


 そこでジュリーは思わず立ち上がってしまった。

 ムッシュー・シャイデマンに掛け合って結婚を諦めてもらうことしか頭になかったので、彼が来ないとなればどうしたら良いのかわからなかった。

 

「あの、マダム!私たち、彼を止めようと……!」

「ミス・ウィンクラー……?」


 マダムはジュリーを見上げて大きく眉を上げていた。


「だって、マダム・ローフォード、あなたはムッシュー・シャイデマンに結婚を強要されているのではないですか?」

 

 ジュリーが問うとマダムはいっそう困惑した様子で「強要?」と聞き返した。

 アメリアはというと、ジュリーの率直過ぎる物言いに言葉を失っていた。

 しかし、彼女もすぐに覚悟を決めて畳みかけた。


「ええ、そうでないと、厳格なマダムが何ヶ月もムッシューの訪問を受け続けていたことに説明がつかないのです。すぐに結婚なさらなかったのは、マダムがどうしても結婚したくなかったからではないでしょうか。でも、二人の秘密を盾に脅されて断れなかった……だから、先ほども『深く深く悩みました』とおっしゃったのですね?」


 一瞬の静寂。

 続いて、部屋を満たしたのは――マダム・ローフォードの笑い声だった。

 彼女は清々しいほどに笑っていた。

 ジュリーもアメリアもこんなに笑う彼女を見たのは初めてだった。

 力が抜けたジュリーは重力に従って再び長椅子に座り、アメリアと顔を見合わせた。

 一頻り笑った彼女は二人を見ながら切り出した。


「笑ったりしてごめんなさいね、お二人とも。ミス・グレンロス、あなたの論証は見事です。でも、今の部分は少し違います。私は彼と結婚したくなかったのではないの。まして彼に何かを強要されたことなんて一度もないのよ」


 話が飲み込めないジュリーとアメリアにマダム・ローフォードは穏やかに語った。


「彼は、()()()求婚で、結婚して一緒にヴェニスに行こうと言ってくれました。彼はヴェニスにいたことがあって、かの地の気候や音楽をとても気に入っているのです。私に会いに来るときに着けていた仮面も元々はヴェニスのお土産だそうよ。さっきミス・グレンロスが言った通り、皆に知られている顔を隠すために着けていたのだけど、そのせいで随分怖がらせてしまいましたね」


 彼女は微笑んだが、すぐに首を振ってその笑みを消した。


「私も彼と結婚できたらどんなに良いかと思いました。フランツが私を愛するのと同じくらい、私も彼を愛していたから。でも、できなかった。お仕事などなさらない立場のお二人は驚くかもしれませんが、私は教師の仕事もまた愛していたのです。でも、仕上げ学校の教師は結婚したら退職しなければなりません。既婚の女性教師など学院の評判にかかわりますから……」


 俯いたマダムの視線は床の一点に向けられていた。


「それで彼を諦められれば良かったのに、私はレディらしからぬ欲望を抱いてしまいました。教師の仕事は辞めたくない。けれど、彼との愛も諦めたくない。……それで彼にお願いしました。結婚はできないけれど、夜を一緒に過ごしたいと」


 ジュリーは隣のアメリアが静かに息を呑むのを聞いた。

 無理もなかった。

 男性と「夜を一緒に過ごしたい」など未婚のレディが絶対に言ってはいけないし、思ってもいけないことだった。

 しかし、ジュリーにはマダム・ローフォードの望みを理解することはできなくても、その切実さを感じることはできた。


「彼は迷っていましたが、私の望みを受け入れてくれました。もちろん、毎晩や毎週なんていうわけにはいかなかったけれど、シューマンを合図にすると言ってくれました。まさにロベルト・シューマンが愛するクララを想って作曲した通りに弾くから……と」


 彼の言葉をなぞるマダムの声は揺れていた。


「でも、年明けに、ついに生徒に目撃されたことを知り、もうこれ以上は続けられないと思いました。彼も同意見で、二度目の求婚をしてくれました。職業への愛をとるか、彼への愛をとるか、深く深く悩みました。でも、そのうちに、生徒に見られた時点で――いいえ、その前に夜に彼と会いたいと思ってしまった時点で私はもう教師ではなくなっていたことに気づきました。教師は生徒の見本たるレディでいなければならないのに、レディ失格の私が教師であり得るはずがありません。だから、彼と結婚してこの学院を去り、教師の仕事とはお別れすることにしたのです」


 彼女はそこで一度言葉を切ると、改めてジュリーとアメリアに向き直った。


「お嬢様方(Young ladies)、どうか私のようにならないでください。私はまだ幸運でした。レディの道を外れてしまっても、彼は受け入れてくれました。だけど、私自身は、レディとしてあるまじき欲望を抱いた自分を一生許しません。許してはいけないのです」


 ジュリーもアメリアもただ沈黙した。

 アメリアは何か深く考えているようだったが、その赤みのある唇はただ引き結ばれていた。

 ジュリーの頭の中には、これまでのたくさんの出来事が巡っていた。

 実家での母の教え、家庭教師のお小言、父がジュリーには言うが弟には言わない言葉、<ベル・クラルテ学院>の教師からの戒め。

 一方で、「シャーロック・ホームズ」を読んでわくわくした気持ち、物事を突き詰めるときのアメリアのヘーゼルの瞳の輝き、仕事への愛と恋人への愛に引き裂かれたマダム・ローフォードの切実さ——。


「……マダム・ローフォード、それは違うのではないでしょうか」


 気がつくと、ジュリーはそう言っていた。

 

「あの、私、上手く言えないのですが、でも、とにかく違うと思ったのです。レディは、相応しくない本に興味を持ってはいけない。許される以上のことを知りたいと思ったらいけない。仕事を持ったまま愛してはいけない……どれも何かがおかしいと思います」


 マダムはただジュリーを見つめ、静かに言った。


「ええ、そうね。私もおかしいとは思うわ。でも、それが現実。レディでなくなった女性は誰にも尊重されません。現実と戦ってはいけません。幸福を逃します」


 ジュリーは、傍らのアメリアが少し身を乗り出すのを感じた。

 きっと彼女もジュリーと同じなのだ。

 どこか納得できない。腑に落ちない。

 ジュリーは更に問いかけた。

 

「マダムのおっしゃる通り、私たちはレディでなければいけません。少なくとも世間の目にはそう映らないといけません。でも、自分の全ての部分をレディの規範に収めることができないのも、また現実ではないでしょうか?そういう自分を自分自身でさえ許してはいけないのですか?どうしてもだめですか?」

「そういう自分を抱え続けるのは苦しいですよ……消してしまうのが一番良いのです」


 マダムは俯きながら答えたが、ジュリーは止まれなかった。

 

「ええ、そうなんだと思います。でも、自分を消して手に入れる幸福はどこか虚しいのではないでしょうか?だって、仕事を愛したマダムもムッシューを愛したマダムも確かに存在していて、だからこそ、『幽霊』が現れて……それで、アメリアと私がそれを調べることになって……レディらしくはなかったけれど。それで色々考えました。考えて考えて、アメリアとも話して、今なんてマダムとも話していて……そうすることで、何かが以前よりよくわかるようになった気がして。そこにすごく大切なことがある気がしたような……あら?ええと、私ったら何を言っているのかしら……?」


 すっかり迷子になってしまったジュリーは両手で頬を覆った。

 隣のアメリアがおそらく助け舟を出そうと口を開きかけたが——部屋に響いたのはマダム・ローフォードの声だった。


「マドモアゼル・ウィンクラー」


 顔を上げた彼女が話したのは、英語ではなく、いつもの通りの滑らかなフランス語だった。

 ジュリーは思わず姿勢を正した。


「フランス語でもないのにどういうことです。もう少し会話術を磨きなさい」


 内容とは裏腹に口調は穏やかで、眼鏡の奥の緑の瞳は静かに澄んでいた。


「でも、あなたの考えと気持ちはよくわかりました……ありがとう」


 最後にマダム・ローフォードは微笑んだ。

 

 ジュリーの記憶の中のその笑みは、戦いに向かう覚悟の笑みでも、幸福だけに身を委ねる空虚な笑みのどちらでもなかった。

 その間で確かに生きている彼女自身の笑みだった。



【冒頭の引用元】

Arthur Conan Doyle 「The Adventures of Sherlock Holmes」(1892)

https://www.gutenberg.org/ebooks/1661

抄訳は作者によります。原作はパブリックドメインです。(念のため)


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シリーズ本編はこちらから。

メラヴェル女男爵ミステリーシリーズ

エドワード朝英国を舞台に、探偵役メラヴェル女男爵(アメリア・グレンロス)が活躍するヒストリカルミステリー×ロマンスシリーズです。
― 新着の感想 ―
マダムローフォードの秘密は、そういうことだったのですね(*^^*)♪ アメリアやジュリーが心配しているようなことではなくてよかったです…… ジュリーは、言葉はうまく出せなかったかもしれないけど、思った…
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