第三話 二つの襲撃(3/3)
三人は街道脇の大きな木陰に腰を下ろし、束の間の休息を取っていた。乾いた風が梢を揺らし、心地よい木漏れ日が疲れた体を優しく撫でる。分け合った水が、渇いた喉を心地よく潤していった。
だが、その安らぎも長くは続かなかった。
旅を再開してしばらく進んだ頃、静寂を切り裂くような音が三人の足を止めさせた。街道から少し離れた、大人の背丈ほどもある草むらが、何かが暴れているかのようにガサガサと激しく揺れている。瞬時に、その場の空気が凍りついた。ユーバは即座に腰の大剣の柄に手をかけ、低い姿勢を取る。
「……ゴブリンか?」
絞り出すようなユーバの問いに、ルザサードは肩をすくめて無言で返した。だが、その目は嘲笑うような余裕などなく、茂みの奥に潜む「何か」を獣のような鋭さで射抜いている。
その時だった。
「そこに誰かいるのか? もしいたら、こっちに来て手伝ってほしい!」
茂みの向こうから響いたのは、意外にも流暢な人間の言葉だった。切羽詰まった、喉を掻き切るような切実な叫び。
困惑する三人の前に、一人の人間の男が草を掻き分けて姿を現した。三十はとうに過ぎているだろう、整えられていない髭に覆われた顔。その表情には色濃い疲労が刻まれているが、立ち居振る舞いには一筋縄ではいかない旅慣れた風体があった。腰に佩かれた長剣の柄は、長年の酷使によって鈍い光沢を放ち、埃にまみれた衣服の綻びが、彼が潜り抜けてきた修羅場の多さを物語っている。
男の必死な様子を前にして、ルザサードだけが、深いため息とともに毒づいた。
「おいおい、また厄介事か?」
顔をしかめ、隠そうともせずに面倒くさそうな表情を浮かべる。ようやく落ち着きを取り戻しかけた旅路に、新たな波乱の火種が投げ込まれた。
「何かあったんですか?」
迷うことなく声を上げたのはユーバだった。狡猾な悪意よりも、目の前の困窮を優先してしまう――それは、良くも悪くも彼ら二人が持つ純粋さゆえだった。ミツナもまた、心配そうに男を見つめながら、胸元の聖印を指が白くなるほど強く握りしめた。いつでも神の加護を呼び出せるように。その背中を見つめながら、ルザサードは心の中で「やれやれ」と天を仰いだ。だが、呆れてばかりもいられない。彼は若い二人に短く鋭い視線を送り、無言で警戒を促した。
ユーバは念のため、鈍い音を立てて大剣を鞘から引き抜いた。切っ先を地面に向けたまま、慎重に距離を詰めていく。その横をすり抜けるように、ミツナがゆっくりと男の方へ歩み寄った。ルザサードは一歩遅れて、いつでも二人を突き飛ばして逃がせる位置を保ちながら、音もなく後に続く。
近づいてくる三人を前に、髭面の男は観念したように両手を上げて見せた。
「すまない、私は怪しいものではない。ただ、少し困ったことがあって……」
弱々しく、疲労と不安の混じった声。
(残念ながら、怪しい奴ほどそう言うんだよ)
ルザサードは内心で皮肉たっぷりに毒づいた。彼の眼光は、男の言葉に惑わされることなく、その指先の震えや視線の動きを冷徹に観察し続けている。
男は、三人を促すように茂みのさらに奥を指さして言った。
「実は……ここに遺体があるんだ」
(え? もうそういうのお腹いっぱいなんだが)
ルザサードは、隠そうともせず露骨に顔をしかめた。
昨日の見張り小屋での惨状。こびりついた血の臭い。それをようやく洗い流し、前を向こうとしていた矢先に、また死体だ。
彼にとって、この旅路はもはや「不運」の一言では片付けられないほど、うんざりするような血の気に満ち始めていた。
男は三人が近づくのを待って、低く、重みのある声で短く名乗った。
「……自分はカウジン。古代遺跡を巡る旅をしている冒険家だ」
その佇まいは、一瞥しただけで「本物」だと分かった。特に目を引くのは、背負子に括り付けられた大型の盾だ。使い込まれてはいるが、夕闇の中でも異質なほどに青白く清廉な輝きを放つその盾は、まるで月光を凝縮して鍛え上げたかのようだった。その盾に見合うように腰に佩かれた長剣もまた、ただならぬ威圧感を放っている。
広い肩幅と無駄のない筋肉。これほどまでの業物を、ただの飾りではなく自らの体の一部として馴染ませているその姿は、幾多の死線を越えてきた熟練の戦士そのものだ。口数は少なく、愛想笑いの一つもないが、その無骨な横顔からは不思議と嘘のつけない誠実さが伝わってきた。
カウジンの案内で茂みの奥へ踏み込むと、そこには一躯の亡骸が横たわっていた。仰向けに倒れた遺体は薄汚れ、顔は判別できない。ルザサードはその状態を一瞥し、即座に「死後一週間以上」と断じた。硬直は既に完成し、鼻腔を突く僅かな腐敗臭が、死の定着を物語っている。
「行商人のようだが……荷がない。ゴブリンに襲われたのかとも思ったが……」
カウジンは言葉を切り、遺体の傍らに膝をついた。その大きな手で丁寧に死体を検分する様子は、死者への最低限の敬意を払う武人そのものだった。
「……いや。これは人の仕業だ。脇腹を一突き……おそらく、毒を塗った短刀の類だろうな」
カウジンが傷口を指し示そうと、遺体の衣類を僅かに避けた、その時だった。
ルザサードの目が、ある一点に釘付けになった。遺体の懐。隠すように差し込まれていたのは、小さなナイフ。血に汚れながらも、夕刻の斜光を浴びて鈍く輝くそれは――確かに「黄色」の柄を持ち、精巧な薔薇の文様が施されていた。それは、ルザサードが自身のブーツの隠しポケットに忍ばせているものと、全く同じ意匠。盗賊ギルドのメンバーであることの、紛れもない証だった。
見張り小屋で膝を突いたユーバとは違い、ルザサードの表面は凍りついたように静かだった。しかし、その内側では、氷の下の激流のような怒りが燃え上がっていた。これは、単なる不運な犠牲者の死ではない。誇り高き、あるいは呪わしき同胞が、何者かに仕留められた痕跡なのだ。
ルザサードは、血のついた薔薇の文様をじっと見据えた。平静を装う瞳の奥で、彼は静かに、しかし鋼のような硬さで誓った。この死を、ただの骸として終わらせはしない。必ず犯人を引きずり出し、落とし前をつけさせてやる、と。
押し黙ったまま遺体を見つめるルザサードの横顔に、ミツナが不安げな視線を投げかけた。
「ルザサードさん……? どうかしたんですか?」
その透き通った声が、復讐の炎に焼かれかけた彼の意識を、辛うじて現実に引き戻す。
「……いや、なんでもない」
ルザサードは努めて平坦な声を出し、視線を逸らした。
「俺も同じ行商人だからな。……こんなところで野垂れ死ぬとは、つくづく嫌な商売だと思っただけだ」
その声は、自分自身に言い聞かせるように低く、そして苦い重みを湛えていた。
カウジンを加えた四人は、見つかった亡骸を街道脇の静かな木陰へと運んだ。見張り小屋での経験が、彼らの手つきに迷いを消させていた。手早く、しかし丁寧に土を盛り、ミツナが死者の安らかな眠りを願って神への祈りを捧げる。
祈りが終わる頃には、日は完全に地平線の下へと沈んでいた。空は深い藍色に溶け込み、一番星が瞬き始めるまでの、一瞬の静寂が辺りを包み込む。
三人が当初の目的地である大坑道へ向けて旅を再開しようとした、その時だった。
「……もしよろしければ、私もご一緒させてもらってもいいだろうか」
カウジンが、少しの躊躇を滲ませながら切り出した。彼の話は、この緊迫した状況には不釣り合いなほど長閑なものだった。なんでも彼は、大陸随一と名高い「ウージーパスタ」を食すためだけに、遥々ウージー村を目指して旅をしてきたのだという。だが、先日の地震で村がそれどころではないと察し、今は目的地を失って引き返す途中だった。
「イマータ市へ向かうのならば、道中の護衛も兼ねて、同行させてもらえれば助かるのだが」
その意外な提案に、ユーバとミツナは顔を見合わせた。
「イマータ市までなら構わないよ。ね、ミツナ」
「ええ。困っているのなら、一緒に行きましょう」
若い二人は、頼りになりそうな旅の仲間が増えることを快く受け入れた。カウジンは深々と頭を下げ、武人らしく、しかし心底から安堵したように礼を述べた。
「本当に助かる。……感謝する」
そんなやり取りを背中で聞きながら、ルザサードはまたしても「厄介事」が増えたことに、心の中で深い溜め息をついた。
(パスタだと? どこまでお気楽な野郎だ。……だが、あの身のこなしといい、持っている得物といい、ただの冒険家なわけがない。……泳がせておいて、化けの皮を剥いでやる)
ルザサードは己の内に燃える「黄色い薔薇」の怒りを冷徹な計算の下に隠し、重い足取りで再び、闇に染まり始めた街道を歩き始めた。歩を進めるルザサードの胸中では、暗い情念が静かに、しかし烈火の如き熱を持って灯っていた。
それは、誇り高きギルドの同胞を屠った者への、決して揺るぐことのない「報復」という名の決意。チラリと、背後からついてくる男――カウジンの方を肩越しに振り返る。大陸随一のパスタを求めて旅をする冒険家。そんな世迷い言を真に受けるほど、ルザサードの頭は出来ていない。あの異様なまでの存在感を放つ武具、そして死体を検分した際の手際。もし、あの男が「黄色い薔薇」の命を奪った張本人なのだとしたら。
(……その時は、俺が貴様の最後の一食を引導にしてやる)
カウジンの正体を暴き、もし彼が犯人であるならば、如何なる手段を講じてでもその罪を償わせる。ルザサードは己の指先に馴染む「証」の感触を、ブーツ越しに確かめた。
夕闇が大地を飲み込み、夜の帳が降りようとしている。
不信と決意、そしてそれぞれの目的を抱えた四つの影が、暗く染まりゆく街道をどこまでも長く伸びていった。
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