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あの日、小麦色の風が吹いた。  作者: 古代 ルミオン
第一章 黄金色の大地と灰色の尖塔

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第三話 二つの襲撃(1/3)

 秋晴れの空はどこまでも高く、澄み渡っている。草原を撫でるように吹き抜ける風は心地よく、ウージー村を囲む黄金色の小麦畑へと流れていく。風が抜けるたびに、豊かな実りが擦れ合う「ざわざわ」という乾いた音が、さざ波のように周囲へ響き渡っていた。

 だが、その黄金の波に目を向ければ、穂の一粒一粒は例年よりもどこか細く、密度もまばらである。大陸随一と謳われるウージーパスタの源――その収穫への不安は、村人たちの顔に落とされた微かな陰りと重なっていた。

 村の境界に目を移せば、数日前の地震が残した爪痕がいまだ生々しい。崩れ落ちた家屋の木材、不自然に傾いた倉庫の屋根。復興への槌音は響いていても、大地の震えがもたらした恐怖の余韻は、冷え切った石壁の隙間にこびりついたままだ。


 正門を抜けた三人の影が、南へと続く街道に等間隔で並ぶ。太陽は天頂に近く、昼の光が大地を隈なく照らし出している。先頭を行くユーバは、その大きな体を揺らしながら一歩一歩、街道の乾いた土を踏みしめた。背負った重い荷が歩調に合わせて軋み、その隣ではミツナが、時折風に揺れる金色の髪を抑えながら、慣れぬ旅路に視線を凝らしている。二人の後ろ、手を縛られたルザサードは、時折退屈そうに空を仰ぎながらも、その鋭い眼光で前方の道のりを値踏みするように追っていた。

 黄金色の畑が、歩みとともに少しずつ遠ざかっていく。

 三人の前にはただ、秋の陽光に焼かれた一本の道が真っ直ぐに伸びていた。

 南へと伸びる街道は、幾世代もの旅人や荷馬車に踏み固められた歴史そのものだった。馬車が悠々とすれ違えるほどの道幅があり、両脇には遮るもののない草原が海のようにどこまでも広がっている。風が渡るたびに、背丈の低い草々が深い緑の波となってうねり、所々に根を下ろした広葉樹が、陽光を遮る濃い木陰を点々と落としていた。


 村で生まれ育ったユーバと、幼い頃からこの地で過ごしてきたミツナにとって、この景色は庭の広がりと変わらない。互いの歩幅や呼吸は、言葉を介さずとも自然に重なり、慣れ親しんだ土の硬さを確かめるように足取りはよどみなかった。

 だが、その調和を乱しているのは、三人の間に漂う、逃げ場のない沈黙だった。旅の始まり特有の、腹の探り合いにも似た重い空気を振り払おうと、ユーバが不器用に口を開いた。

「今日は、本当にいい天気だな」

 大きな体に見合わない、少しばかり緊張の混じった声だった。そこには未知の旅路への密かな期待も含まれている。隣を歩くミツナも、その意図を汲み取るように柔らかな微笑みを返した。

「ええ、風も気持ちいいですし。豊穣の女神ヴィリディアナも、私たちの旅を見守ってくださっているのでしょう」

 丸い眼鏡の奥にある優しい瞳を細め、彼女は草原を吹き抜ける風を頬に受けた。

 しかし、その清々しい空気は、わずか数歩後ろを歩く男のところでぴたりと止まっていた。手を縛られたまま、所在なさげに従うルザサード。二人の穏やかな会話が耳に届いているはずだが、彼は視線ひとつ動かさない。ただ、前方に続く街道の先を、射抜くような眼光でじっと見つめている。固く結ばれた口元からは何の感情も漏れ出さず、その無言の背中からは、何を思案しているのかさえ窺い知ることはできなかった。


 黄金色の村が遠ざかるにつれ、二人の奏でる穏やかな音色と、ルザサードが纏う冷ややかな沈黙のコントラストは、いっそう際立っていく。薄い氷の上を歩くような、危うい沈黙がしばらくの間続いていた。その静寂を最初に破ったのは、意外にも後方を歩くルザサードだった。彼はふとした拍子に顔を上げ、どこか遠くを眺めるように周囲の景色をゆっくりと見回しながら、低い声を投げかけた。

「なあ、お二人さん。この辺りに出てくる獣や魔獣ってのは、どんなのがいるんだ?」

 その声には、これまでの頑なな拒絶はなかった。代わりに、未知の土地に対する実務的な、僅かながらの興味が混じっている。警備隊員としての矜持きょうじを持つユーバは、その問いに一段と背筋を伸ばし、淀みなく応じた。

「そうだな……。季節にもよるけど、熊や猪は普通に出る。特にこれからの時期は冬眠前の熊が活発になるし、猪も荒くなるからな。村の連中にとっては貴重な食料だが、同時に狩猟の対象でもあるね」

 ユーバは、街道の脇に広がる草むらの僅かな揺れにも目を配りながら言葉を継ぐ。隣を歩くミツナがすっぽりと隠れてしまいそうなほど、その背は高く、厚い。彼は行く手を遮る日差しをその大きな体躯で受け止めながら、確かな知識を口にした。

「魔獣に関しては、基本的にはこの辺りにはいないかな。少なくとも俺が警備隊に入ってから、目撃された例はない。……ただ、亜人種のゴブリンなら、数は少ないが生息している。あいつらは集団で動くが、幸いこの近辺には大規模な集落を作るほどの連中はいないはずだ」

 見上げるようなその背中で、ユーバは村の安全を背負ってきた警備隊員としての自覚を一言一言に込めた。ルザサードの問いに答える形ではあったが、それは同時に、自分自身とミツナへ「この道のりは自分たちが守るべき領域だ」と言い聞かせているようでもあった。

 草原を渡る風が、少しだけ冷たさを帯び始める。

 ルザサードはユーバの解説を黙って聞いていたが、その瞳は、ただの「獣」以上の何かを、街道のさらに先に見据えているようだった。彼は、ユーバの言葉の端々に潜む「平和」という名の隙を見逃さなかった。ルザサードは歩調を崩さぬまま、探るような光を瞳に宿して問い返す。

「繁殖力の高いゴブリンが、集落を作らない?……それはなぜだ?」

 その問いに、ユーバは頼もしく胸を張り、迷いのない声を返した。

「増えすぎる前に、俺たち警備隊が駆除するからだよ。定期的に周辺を巡回し、ゴブリンの巣を見つけたら徹底的に排除しているんだ」

「わざわざ村から、出向いていくのか?」

 ルザサードは眉をひそめ、いぶかしげな音を喉に鳴らした。その反応を「警備体制への感心」と受け取ったのか、ユーバはさらに詳しく説明を続けた。

「増えすぎた時は警備隊総出で討伐に向かうこともある。だけど普段は、村の外にある見張り小屋に詰めている隊員が定期的に周辺を巡回し、群れを見つけ次第、駆除しているんだ」

 誇らしげに語るユーバの横顔を、ルザサードは一瞥いちべつし、それ以上は言葉を重ねなかった。表面上は納得したように見えたが、その内側では、より深刻な懸念けねんが毒のように静かに回りはじめていた。

(あの大地震の後、警備隊は見張り小屋へちゃんと隊員を送ったのか……?)

 震災直後の混乱、崩れた家屋、負傷者の救護。あの未曾有みぞうの惨事の中で、平時と同じ巡回体制を維持できていたとは到底考えにくい。もし、空白の時間が生まれていたとしたら……。嫌な予感が、鉛のような重苦しさとなって彼の胸にのしかかる。ルザサードの視線は、もはや景色を眺めてはいなかった。前方の街道――草むらの影や、樹木の茂みの奥を、獲物を狙う獣のような鋭さで睨み据えていた。


 陽がゆっくりと西へ傾き、空の端から鮮やかなオレンジと深い紫色が混じり合いながら溶け出していく。

 街道の遥か先、夕日に焼かれた地平の上に、目指す見張り小屋の簡素な木造屋根がようやくその輪郭を現した。小高い丘の上にひっそりと佇むその姿は、逆光の中で黒い影となり、広大な草原の中にぽつんと取り残されたような寂寥感せきりょうかんを漂わせていた。

「今夜は、あそこを借りよう」

 ユーバの提案に、ミツナも静かに頷いた。長時間の歩行に加え、それぞれの胸に抱えた緊張が、三人の足取りに隠しようのない疲労を刻んでいた。

 だが、街道を外れて丘へと続く細い登り坂を進むにつれ、ユーバの内に奇妙なざわつきが芽生え始めた。いつもなら、夕闇が迫るこの時間、見張り台の上には周囲を警戒する隊員の影が映るはずだった。あるいは、交代の準備をする者の気配や、煮炊きを始める煙のひとつも見えていいはずだ。

 しかし、近づくほどに際立つのは、胸を突くような「無音」だった。人影はなく、窓からも灯りは漏れていない。ただ乾いた秋の風が、板張りの壁を寂しく鳴らして通り過ぎるだけ。丘の上を支配するその不自然な静寂は、まるでそこだけ時間が止まったかのような錯覚を抱かせた。


 いよいよ小屋を囲む粗末な木製の門扉を目前にした、その時だった。鼻腔をくすぐる、風に混じったわずかな異臭。あるいは、長年この場所で過ごした者だけが感じ取る「不在」の確信か。

 次の瞬間、ユーバは背負っていた重い鎧櫃を地面に叩きつけるようにして降ろした。ドスン、という重量感のある音が丘に響き渡る。彼は背後にいる二人に声をかける余裕すらなく、弾かれたような勢いで小屋へと駆け出した。見上げるような大きな体躯が、夕闇の静寂を切り裂いて、一目散に「かつての日常」へと突っ込んでいく。

「ユーバ、危ない!」

 ミツナの制止する声が夕闇に響いたが、彼には届かなかった。幾度となく足を踏み入れ、村の守りの要として信頼を置いていた「見張り小屋」という名の砦。今はただ、黒い口を開けて待ち構える暗渠あんきょのようなその中へ、ユーバは磁石に吸い寄せられるように飛び込んでいった。

 飛び込んだ主の気配が、ふっつりと途切れる。後に残されたのは、重く、粘りつくような沈黙だけだった。不安に駆られたミツナと、不自由な足取りで追うルザサードが遅れて辿り着いた時、そこにはもはや「規律」の断片すら残っていなかった。

 開け放たれた扉の先。網膜に飛び込んできたのは、嵐に蹂躙されたかのような惨状だった。床一面に広がる、どす黒い血溜まり。その中に、かつて共に村を、そしてこの街道を守っていたはずの三人の隊員が、無残に手足をもつれさせ、力なく重なり合っていた。壁には何かが叩きつけられたような激しい打撃痕が刻まれ、粉砕された調度品が凶器のように散乱している。


 冷え始めた空気の中、鉄錆にも似た血の臭いと、埃の匂い、そして正体不明の獣じみた不快な腐臭ふしゅうが混ざり合い、肺の奥を直接かき乱した。

 殺されていたのは、ユーバにとって単なる同僚ではなかった。時には厳しく、時には豪快に笑い、自分を導いてくれた兄貴分であり、頼れる先輩たちだった。守るべき拠点、信じていた強固な場所が、このような地獄に変わり果てた現実。それを前に、彼の強靭な巨躯から全ての力が抜け落ちた。

 膝から崩れ落ちる衝撃で、床板が小さな音を立ててしなる。ユーバは顔を覆うこともできず、喉の奥から絞り出すような、獣の咆哮ほうこうにも似た悲痛な叫びを上げて泣き崩れた。見上げるように大きかったはずのその肩が、今はこれ以上ないほど小さく、激しく震えている。

 ミツナはただ、立ち尽くすことしかできなかった。かけるべき言葉も、すがるべき祈りも、この血の海の底へ沈んでしまったかのようだった。眼鏡の奥の瞳から溢れた大粒の涙が、顎を伝って床に落ち、小さな水たまりを作っていく。悲しみと共に、ルザサードが予感していた「最悪」という名の恐怖が、彼女の心の中にじわりと、そして確実に侵食を始めていた。

 凄惨せいさんな血の海を前にして、一人、ルザサードだけが石像のように動かなかった。床に転がる亡骸なきがらを静かに、そして値踏みするようにじっと見つめている。その瞳の奥には、悼むような感情は微塵も感じられない。代わりに宿っていたのは、冷たく、獲物を追う獣が放つような鋭い光。ミツナは涙に濡れた視界の隅で、その異様な気配を確かに捉えていた。

【100万字超・完結済み・執筆済み】

予期せぬ事態にならない限り、読者の皆様に【毎日更新】の確実なワクワクをお届けします。

物語が途中で途切れる(エタる)心配はございません。

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