第二話 若者たちのちょっと変わった巣立ち(2/2)
自宅へと戻ったユーバを待っていたのは、不安げな面持ちで玄関に佇む祖母と母の姿だった。村長からの命を受け、イマータ市へ旅立つことを告げると、二人の顔には複雑な陰りが差した。父と二人の兄は、他よりは幾分ましな実りを得た畑を死守するべく、残りの小麦を刈り取るためにまだ家へは戻っていない。地震の爪痕が残る屋内は、倒れた家具や散乱した小道具がそのままで、平穏な日常がいまだ遠いことを物語っていた。ユーバは片付かないダイニングを横切り、自分の部屋へと足早に向かった。
警備隊員として見張り小屋での寝泊まりに慣れている彼は、迷いなく荷をまとめていく。使い込まれた丈夫な水筒、保存食の詰まった革袋、そして予備の衣類。最後には、手入れの行き届いた分厚い革製の寝袋を、手際よく荷に加えた。
荷造りを終えたユーバは、壁に掛けられた武具一式へと手を伸ばした。二メートルを優に超える、村の誰よりも高く、見上げるような巨躯。その恵まれた骨格に合わせ、鈍い銀光を放つ鉄製のすね当てと、腰回りを守る鉄製のスカートを次々と装着していく。肌を保護する厚手の革でできた鎧下を纏い、その上から重厚な鉄の甲冑を重ねていくと、もともと大きな体躯はいっそうの威圧感を放った。一つ一つの金具を締め上げるたび、身が引き締まるような重圧が全身に伝わる。さらに愛用している五角形で大型の鉄盾を背に固定し、少し長めの柄を持つ大剣を腰へと佩いた。
準備を整え、再び祖母と母の前に立ったユーバの瞳には、一切の迷いがなかった。彼を遥か頭上に見上げる祖母の瞳が潤む。ユーバの頭頂で燃えるような輝きを放つ赤髪は、若かりし頃の祖母からそのまま受け継いだ一族の証だった。その力強い眼差しと、鮮やかな髪の色を見た二人は、溢れる涙を拭いもせず、ただ彼の無事を祈る言葉を絞り出した。
「ふたりとも大げさだなぁ。領主さまとの交渉が終われば、すぐに帰ってくるんだから」
照れ隠しの苦笑いを浮かべ、ユーバは自分よりはるかに小さな二人を包み込むように、温かな別れの抱擁を交わした。家族の体温を背中に感じながら、彼は振り返ることなく家を後にした。
村の正門には、すでにミツナが到着していた。陽が真上に差し掛かり、影が足元に短く落ちる頃、遠くからガジャガジャと金属が激しくぶつかり合う音が響いてきた。二メートルを遥かに上回る巨体が鉄の重みに耐え、一歩ごとに大地を深く踏みしめる重い足取り。鉄製の鎧を完全に纏ったユーバが、鎧の動きづらさに苦労しながらも、ようやく二人の待つ門へと姿を現した。
その鉄の塊を見上げたルザサードは、深いため息を吐き出した。
「はぁ……やれやれ」
呆れ果てたようなその声に、先に到着していたミツナが反応した。彼女は不安げに眉を寄せ、丸い眼鏡の奥の瞳をルザサードへと向ける。
「……どうして、そんなに大きなため息をつくんですか?」
ルザサードは心の中で再び「やれやれ」と毒づきながら、わざとらしく声を張り上げた。
「これから長旅だってのに、そんな鉄の塊を纏って歩くとは、あんたも相当な物好きだ。いいか、領主様のいる街までは、身軽な行商人ですら七日はかかる。そんな重荷を自慢げに着飾ってたら、向こうに着く頃には村が跡形もなく破滅してるぜ」
その言葉が、ユーバの耳元で鋭く弾けた。
「あっ……!」
己の思慮の浅さを突きつけられ、ユーバの頬が赤く染まる。体力には自信があったが、旅の行程という視点が抜け落ちていたことに気づき、彼は慌てて全身を縛っていた革紐や金具を解き始めた。
カチャリ、と小気味よい音を立てて外された甲冑は、丁寧に鎧櫃へと収められていく。彼はその櫃を背負子の中央に据え、太い麻縄でしっかりと括り付けた。大型の五角形の盾は櫃の取手へと器用に引っ掛け、腰には抜き身に近い速さで応じられるよう、大剣のみを佩き直す。
不意の襲撃には剣で。距離があるなら背負子から盾を。合理的とは言えぬまでも、今の自分にできる精一杯の判断を下したユーバの姿を見て、ルザサードは「それでいいんだ」と語るかのように、満足げに一度だけ頷いて見せた。
ようやく足並みが揃い、重い木扉が外へと開かれようとしたその時。木陰にいたルザサードが、二人を呼び止めるように低く、だが通る声を上げた。
「おい、お嬢ちゃんにお兄ちゃん。出発する前に、俺が牢へ放り込まれた時に没収された装備品を返してもらおうか」
その要求に、ユーバは間髪入れずに首を横に振った。見上げるような巨躯でルザサードの前に立ちはだかり、彼なりに考えた「警備隊員らしい」毅然とした口調で告げる。
「それはできない。あなたはまだ、この村にとって疑わしい身なんだ。勝手に武器を渡すわけにはいかない。……大人しく、指示に従ってくれ」
相手に舐められてはいけないと気を張ってはいるものの、言葉の端々には根の真面目さと、人を突き放しきれないお人好しな性質が滲んでいた。だが、ルザサードはそんな若者の精一杯の拒絶を、唇の端を吊り上げた笑みで軽く受け流した。
「へぇ、手厳しいこった。だがな、もし俺が潔白だった場合、あんたらの村長は俺の私財を不当に奪った『盗賊』と同類になるぞ?それにだ――」
彼はわざとらしく周囲の荒野へと視線を巡らせ、芝居がかった調子で言葉を継ぐ。
「道中で腹を空かせた魔獣にでも出くわしてみろ。丸腰の俺をただの肉塊として差し出すつもりか?足手まといを連れて歩くリスクを、その頭で少しは考えた方がいいぜ」
もっともらしい理屈を並べ立て、相手の良心と計算を揺さぶる言葉の刃。ミツナは眉をひそめ、しばらく沈黙したまま考え込んでいたが、やがて観念したように短く息を吐いた。
「……わかりました。お返ししましょう。ですが、その荷物はユーバが預かって運びます。あなたの手元に置くのは、まだ信用が足りませんから」
ルザサードは、自分の手で扱えないことに露骨な不満を顔に出したが、装備品が手元(正確には一行の荷の中)に戻るという最低限の目的は達した。彼は鼻を鳴らし、渋々とその条件を呑んでみせた。
ユーバは門番の警備隊員に歩み寄り、差し出されたルザサードの没収品を受け取った。自らの鎧を収めた鎧櫃に加え、さらに他人の装備の重みがその広い背中にのしかかる。だが、恵まれた体躯を支える強靭な筋力は、その増した重量など微塵も感じさせないほど、悠然と地を捉えていた。
そんな一悶着を終え、ようやく旅の準備が整った。ユーバがルザサードを繋ぐ麻縄の端を手に取ろうと手を伸ばしたその時、男が思い出したように声を上げた。
「おいおい、お互いの名前も知らないまま道連れってのは、いくらなんでも不自然だと思わないか?」
その言葉に、ユーバとミツナは不意を突かれたように顔を見合わせた。不審者という先入観が先行し、基本的な対話の入り口を失念していたことに気づいたのだ。
「……そうですね。これから数日を共にするのですから」
ミツナが先に歩み出て、丸い眼鏡を指で直しながら穏やかに口を開いた。
「私はミツナと申します。村にあるヴィリディアナの教会で、神父様のお手伝いをしております」
続いてユーバが、背負った荷の重みを感じさせないほど堂々と胸を張り、名乗りを上げた。
「俺はユーバだ。この村の警備隊に所属している。道中の安全は任せてくれ」
二人の自己紹介を興味深そうに眺めていた男は、満足げに、そしてどこか食えない笑みを浮かべて自らを称した。
「俺はルザサードだ。まあ、あんたらには今のところ『不審者』として認識されてるんだろうがな」
ルザサード――。その名が正門の静かな空気の中に溶けていく。三人はようやく互いの名を名乗り合い、それぞれに異なる思惑を胸に秘めたまま、大きく開かれた門の向こう側へと足を踏み出した。
頭上では高く昇った太陽が、これから進むべき街道を白く照らし出している。領主の待つ街イマータへと続く、長き道のりの第一歩が今、刻まれた。
【100万字超・完結済み・執筆済み】
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