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あの日、小麦色の風が吹いた。  作者: 古代 ルミオン
第一章 黄金色の大地と灰色の尖塔

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第十話 秋の夜長(3/3)

「これこれ! この干し肉が、まさか保存食だなんて信じられる?」

 リズは宝物でも見つけたかのように目を丸くし、干し肉を口へと運んだ。噛み締めるたびに、一体いかなる香辛料と秘伝のソースに漬け込まれたのか、想像もつかないほど複雑で奥深い旨味が口腔を満たしていく。

「うわっ、なんだこれ!」

 ユーバも恐る恐る口にし、驚愕の声を上げた。ミツナ、ルザサード、そして普段は鉄仮面のように感情を伏せているカウジンでさえ、その想像を絶する美味に目を見開き、無言で咀嚼を繰り返している。

「このパンも、見た目はよくある保存用なのに……。噛むほどに豊かな小麦の香りが鼻を抜けて、後からほろほろと、まるで上質な焼き菓子みたいに解けていくのよ」

 リズが至福の表情で頷く。

 パンを頬張ったミツナも、瞳をキラキラと輝かせながら「なにこれ……もしかしたら、村のパンより美味しいかも……」と素直な感嘆を漏らした。

「ですが、このパンは君たちの故郷、ウージー村の良質な小麦を使って焼かれているのですよ」

 キャロルは慈しむような眼差しで、穏やかに微笑んだ。

 一行は驚きと感動の連続に酔いしれながら、秋の夜食を満喫した。少し肌寒い季節ではあったが、焚き火が照らすこの小さな輪の中だけは、不思議なほどに暖かく、絶えることのない笑い声と睦まじい会話が夜の静寂を彩っていた。


 少しお酒が回ったのか、リズは頬をほんのり朱に染め、隣に座るルザサードへ悪戯っぽく、それでいて射貫くような挑発的な視線を向けた。

「ルザサードさん。そろそろあなたの本当の正体を、白状してもいいんじゃないかしら? まあ、ここにいる皆も薄々勘づいているとは思うけれど」

(おいおい、マジかよ……)

 ルザサードは内心で盛大に毒づいた。焚き火の熱とは異なる嫌な汗が、背中を伝うのを感じる。

「じゃあ、あたしが皆に『あえて』教えてあげるわ。言っておくけれど、彼はその辺に転がっているような、ただの行商人なんかじゃないわよ」

 リズは逃げ場を塞ぐようにさらに畳み掛けた。その声には確固たる自信と、獲物を追い詰めるような愉悦が混じっている。

「……もう、好きにしろよ」

 ルザサードは観念したように息を吐き、深い諦念の入り混じった表情で天を仰いだ。それを見届け、リズは自らの推理を披露し始める。

「ルザサードさんは、きっと盗賊か何かよ。それも、相当な腕利きのね!」

「……本当に言うのか!」

 不意に、隣に座っていたカウジンが声を上げた。普段の無愛想な彼からは想像もできないほどの驚愕が、その低い声に滲んでいる。

 一方、純粋で正義感の強いユーバは、慌てて身を乗り出した。

「え? え? リズさん、突然何を言ってるんだ! ルザサードに、そんな失礼なことを言うのはやめてください!」

「そんなあなたも、さっきから年上の彼を呼び捨てにしているじゃない。盗賊だと分かっていたからでしょ?」

 リズの鋭い指摘が飛ぶ。彼女の瞳は、ユーバの狼狽を愉しむように細められていた。

「い、いや、それは……村で不審者として捕まっていたから、警備隊員として、連行する側としてそう呼んでたわけで……」

 ユーバは顔を赤らめ、泳ぐ視線を彷徨わせながらしどろもどろになった。

「ふーん、まあいいわ。ミツナさんは、最初から何か気づいていたでしょ?」

 リズはにっこりと笑みを深め、隣に座るミツナに水を向けた。

「はい。盗賊とまでは確証が持てませんでしたが、行商人ではないと。あの一件……見張り小屋の惨劇を前にして、あんなにも冷静でいらしたのがきっかけです。その後、洞窟で剣を振るう姿を拝見して確信いたしました」

 ミツナは落ち着いた、しかし凛とした確信に満ちた口調で答えた。

「ええーっ!」

 ユーバは今度こそ、魂が抜けるほどの驚きを隠せず、大きな声を上げた。

「カウジンさんは?」

 リズが視線を移すと、カウジンは相変わらずぶっきらぼうに応じた。

「会ったその時からだ。同業の亡骸を目の当たりにして、あれほど冷徹でいられる行商人など、この世に存在せん」

「キャロルさんは?」

 最後に向けられたリズの少し意地悪そうな問いに、キャロルは穏やかに、しかし断定的な響きを含ませて答えた。

「初めて洞窟でお会いした時ですね。あの洗練された剣捌きは、並大抵の訓練では絶対に身につきません。本当の商人ならば、剣の訓練をする暇があるなら、少しでも多くの商品を仕入れて商売の勉強をなさるでしょうから」

 結局、最後までルザサードをただの行商人と信じ切っていたのは、純粋なユーバだけだった。あまりの衝撃に、ユーバはまるで魂を抜かれた抜け殻のように、がっくりと項垂れてしまった。

「悪いが、俺はしがない行商人だよ」

 ルザサードは自嘲気味に肩をすくめて見せた。だがその内側では、このあまりに滑稽な状況が可笑しくて、堪えきれずに吹き出しそうになっていた。

「そうね。あなた自身の口から、そう易々と正体を認めるわけにはいかないわよね」

 リズは先ほどまでの悪戯っぽい色を消し、深い理解を示すような、慈愛に満ちた微笑を浮かべた。そして、静かに言葉を継ぐ。

「確かにルザサードさんは、ただの行商人ではないわ。これまでの立ち居振る舞いを見れば、盗賊の類であることは明白よ。でも、それを証明することは私たちにはできない。そんな分かりやすい証拠は、あなたは持ち合わせていないでしょうし、仮に隠し持っていたとしても、私たちには到底見つけられないもの」

 リズの視線は、焚き火の炎を映して鋭く、しかしどこか温かくルザサードを射抜く。

「だからこそ、彼に初めて会った時から『行商人でいいわ』と言ったのよ。けれどね、騎士団に所属するキャロルさんや、帝国の文官であるあたしの言葉次第で、あなたたちの身柄はどうにでもなる。帝国貴族の言葉は、それほどまでに重いの。ルザサードさんは、あたしが行商人と認めたあの一言で、即座に自らの生殺与奪の権を握られたことを察知した。あたしはそれを承知の上で、こちらの優位をちらつかせ、あなたの卓越した能力を最大限に利用させてもらったわ」

 一息つくと、リズは真摯な響きを声に込めた。

「けれどね、そのおかげで、こうして全員が無事に大坑道から生還できた。ルザサードさんには、不本意な思いをさせたと思っているわ。本当に助かった。ありがとう、ルザサードさん」

 リズは真剣な眼差しを彼へ向け、帝国貴族としての矜持を脇に置き、深々と頭を下げた。

 ルザサードは予想だにしない光景に目を丸くし、たじろいだ。

「おいおい、勘弁してくれ……。貴族様がそんなに簡単に、平民に頭を下げるもんじゃないぞ」

 困惑を隠しきれない声だったが、その響きには、どこか照れたような色が混じっていた。


 焚き火の爆ぜる音だけが、静まり返った河畔に規則正しく響いている。見上げれば、吸い込まれるような漆黒の天蓋に、数えきれないほどの星々が冷たくも美しい光を湛えていた。

 リズは、焚き火の爆ぜる音が止んだ後の、赤々と燃え残る熾火を見つめながら、夜の静寂に溶け入るような寂しげな声を漏らした。

「明日には、イマータに着くわね」

 それは、共に死線を越え、分かち合ったかけがえのない時間が、間もなく終わりを告げることを惜しむ、心からの独白であった。

「そうね。やっと、イマータの街に着くのね」

 ウージー村から遠く離れ、未知の道のりを歩んできたミツナの声には、リズの郷愁とは対照的に、目的地を目前にした明るい希望が満ち溢れていた。

「今のうちに言っておくわ。あたしは、ほんの数日間の短い時間だったけれど……あなたたちとのこの小さな冒険を、きっと一生忘れない」

 リズの瞳には、揺らめく火影に照らされ、星のようにきらめく微かな涙が浮かんでいた。

「俺もだよ、リズさん」

 ユーバが少し心配そうに、しかし包み込むような優しい眼差しで応じる。

「でもね、あなたたちは明日、イマータの街に着いたら……きっとあたしとキャロルさんのことを嫌いになるわ」

 リズはそう告げて深く俯くと、耐えきれなくなったかのように、ポツリ、ポツリと、大粒の涙をその頬に伝わせ始めた。それ以上言葉を続けることができなくなったリズに代わり、キャロルが静かに口を開いた。

「今更ですが、改めてお伝えしておかなければなりません。私とリズさんは、帝国の貴族です。ですがその一方で、私たちは皆さんの旅仲間でもありました。リズさんはこの旅の間、常に貴族であることよりも『仲間であること』を優先してくれたのです。だからこそ、互いを『さん』付けで呼び合い、遠慮のない会話を交わすことも許してきました」

 キャロルは焚き火の火影を見つめたまま、言葉を継ぐ。

「ですが、イマータ市の門をくぐれば、この楽しかった旅は終わりを告げます。そして、私たちの関係も否応なく変貌してしまう。街に入れば、私たちは再び『貴族』としての役割に戻らねばなりません。あなた方に対し、威圧的で、時に横柄とも取れる態度を強いることもあるでしょう。許可なく口を開くことさえ許さないかもしれません。それはイマータに住む多くの帝国臣民に見せねばならない、支配者としての義務なのです。特定の個人を優遇することは許されないのです。……そうなれば、あなた方はどちらが本当の私たちなのか、分からなくなるはずです」

 そう語るキャロルの横顔にも、リズと同じく、どこか寂寥感を帯びた憂いが滲んでいた。

「私たちの、貴族として当たり前の振る舞いを肌で感じたとき、あなた方はきっと……私たちのことを嫌いになる」

 キャロルの声は最後には掠れ、まるで自分自身に言い聞かせるような、頼りない独り言となって夜の闇に消えていった。

「そんなことはない!」

 ユーバが、空気を震わせるほどの力強さで叫んだ。

「そうです。そんなことにはなりません。キャロルさんやリズさんが、明日からどんな態度を取ろうと、私たちは分かっています。今ここで、こうして語り合っているお二人が、本当の姿なのだと」

 ミツナもまた、普段の控えめな様子からは想像もできないほど強い語調で声を上げた。

「人の本質は、表面的な態度では測りきれん。この旅こそが、互いの真実を見出すための、かけがえのない機会だったはずだ」

 カウジンが静かに、しかし一言に重みを込めて断言する。

「貴族連中も迂闊だな。しっかりしてくれよ」

 ルザサードはいつになく穏やかで温かい眼差しを向け、二人を真っ直ぐに見つめていた。

「うん……みんな、ありがとう」

 リズは、まだ涙の膜が張る瞳で、一人ひとりの顔を慈しむようにゆっくりと見渡した。そして、心の底からの感謝を込めて、深く頭を下げる。そこには帝国の文官でも天才魔法師でもない、十六歳という年相応な、ひとりの少女の姿があった。

 ひんやりとした夜更けの風が、焚き火の果てに漂う白煙を連れ去るように、静かに吹き抜けていった。


 薪が爆ぜる音も今はなく、ただ穏やかな夜の静寂が一行を包み込む。見上げれば、漆黒の天蓋に散りばめられた無数の星たちが、過酷な旅の終わりと、それぞれの想いが交錯する明日を予感させるように、冷たくも優しい光を瞬かせていた。


【100万字超・完結済み・執筆済み】

予期せぬ事態にならない限り、読者の皆様に【毎日更新】の確実なワクワクをお届けします。

物語が途中で途切れる(エタる)心配はございません。

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