第十話 秋の夜長(1/3)
季節は深まり、大神様の大坑道の中にも、ひんやりとした秋の空気が漂っている。先程まで洞窟の奥で蠢いていたゴブリンたちの気配は消え去り、一行の顔には、小さな冒険を終えた安堵と、かすかな達成感が穏やかに漂っていた。
六人が横穴から外へ踏み出すと、目に飛び込んできたのは、大坑道の無機質な風景とはあまりにも不釣り合いな、絢爛豪華な馬車だった。
磨き上げられた黒檀の車体は、幅、高さともに三十メートルに達する大坑道が放つ淡い光を吸い込むように深く黒く、しかし磨き込まれた表面は、その光さえも上品に反射している。要所に施された精巧な金細工は、控えめながらも圧倒的な存在感を放ち、その繊細な意匠は熟練の職人の技を雄弁に物語っていた。二頭の栗毛の駿馬は、筋肉質な四肢をしっかりと大地につけ、まるで長年連れ添った老夫婦のように、静かに、そして堂々と佇んでいる。時折、鼻先から白い息を吐き出し、坑道の冷気に溶けていった。
幸いなことに馬車は無傷であり、物取りなどに襲われた形跡も見当たらない。地震の直後ということもあってか、この大坑道を行き交う旅人の姿も疎らなのだろう。ユーバ、ミツナ、ルザサードの三人は、目の前に現れた非現実的な光景に言葉を失い、ただただ目を丸くして見惚れていた。特にユーバは、顎が外れんばかりに口を開け、まじまじと馬車の細部を凝視している。
「さて皆さん、一度着替えましょう。女性は馬車の中へ」
程なくして、キャロルが柔らかな笑みを浮かべ、優雅な仕草でそう告げた。彼は騎士としての凛とした威厳を保ちつつも、どこか親愛の情を滲ませた物腰で、リズとミツナを馬車の客室へとエスコートする。
「こんなに、こんなに素敵な馬車に乗れるなんて……!」
ミツナは、掘り当てた宝石を見つめるかのように瞳を輝かせ、頬を熱く染めながら感極まった様子で呟いた。キャロルの節くれだった、しかし温かな手に導かれ、生まれて初めて異性にエスコートされるという特別な経験。その高揚感に、彼女の白い耳は瞬く間に林檎のような赤に染まった。普段の物怖じしない態度はどこへやら、彼女は羞恥に俯く。
「ミツナ、顔、茹でダコみたいに真っ赤だぞー」
その様子を逃さず、ユーバがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて茶化した。彼の屈託のない声が、大坑道の静謐な空気を揺らす。
「うるさいわね!」
普段の慎ましさはどこへ行ったのか、ミツナは照れ隠しにユーバを鋭く睨みつけた。だが、その声には拒絶の色はなく、むしろ甘えたような響きが混じっている。それでもなお、彼女の顔の火照りが引くことはなかった。
女性陣が馬車の中へ姿を消すと、残されたキャロル、カウジン、ユーバの三人は、長旅と戦闘の塵を被った重厚な鉄の鎧を解き始めた。「カチャリ」という硬質な音や、「ゴツン」と床を叩く鈍い金属音が、静まり返った大坑道に反響する。一つ、また一つと無骨なパーツが外され、岩肌の床に置かれていく。中でもユーバの扱う鎧は、彼の粗削りな動きに呼応して、とりわけ騒がしい音を立てていた。
その時、馬車の内側から鈴を転がすようなリズの快活な声が響いた。
「ねえ、キャロルさんとカウジンさんの鎧は、あんなに分厚くて丈夫そうな鉄製なのに、どうして歩く時に音がしないの? ユーバの鎧なんて、一歩ごとにガシャガシャうるさくて、まるで壊れたブリキ人形みたいなんだけど!」
鎧の胸当ての留め金を指先で外し、ゆっくりと床へ下ろしたカウジンが、いつものようにぶっきらぼうな低音で応じる。
「自分の鎧は、真銀製で静音効果の魔法がかかっとる」
「ええっ!? 真銀製? しかも魔法の鎧なの!?」
リズの声が驚きと興味で一段と跳ねた。馬車の中にいても、彼女の黒曜石のような瞳が好奇心で輝いている様が容易に想像できる。
「長剣も盾もな。以前、古代の魔法王朝の遺跡で発見した」
そのやり取りを耳にしたキャロルが、知的な好奇心を隠しきれない様子で身を乗り出した。
「ほう、それは素晴らしい。差し支えなければ、少々拝見してもよろしいですか?」
キャロルは、カウジンが脱ぎ置いた煤けた胸当てや、幾多の死線を越えてきたであろう盾、そして刀身に深い青色の光を宿した長剣を手に取った。美術品を鑑定するかのように、様々な角度から熱心に視線を注ぐ。彼の澄んだ瞳は細部の一点一転を冷徹なまでに観察し、時折、感嘆の吐息が白く漏れた。
「……どれも見事なものだ」
古代の失われた技術と魔導が美しく融合した武具。その完成度の高さに、キャロルは心底からの敬意を込め、静かに言葉を溢した。
「あたしも見たい!」
馬車の中で、待ちきれないといった様子でリズが身を乗り出し、声を弾ませた。今にも客車の扉を蹴立てて飛び出してきそうな勢いを、ミツナが慌てて両手で制止する。ミツナは、リズの子供のような無邪気さに苦笑いを浮かべつつ、優しく宥めていた。
「俺にも見せてください!」
魔法の剣や鎧という響きに、ユーバの瞳は文字通り爛々と輝いた。新しい玩具を見つけた幼子のような、純粋な歓喜がその表情に溢れ出す。彼にとって、本物の魔法武具を間近にするのは、これが初めての経験なのだろう。
ルザサードは、そんなユーバを横目で一瞥し、「……そんなに珍しいか?」と、誰に聞かせるともなく小さく零した。自身、静音と硬度に優れた魔法の革製ベストを日常的に纏っている彼にとって、魔法の武具は驚嘆の対象ではない。その精悍な面差しには、どこか冷めた観察者の色が漂っている。
「キャロルさんの鎧も、やっぱり魔法の武具なの?」
再び、馬車の中からリズの期待に満ちた声が飛んできた。
「いえ、私の鎧は騎士団から支給されたものです。ただ幸運なことに、知り合いに腕利きのドワーフの鍛冶師がいましてね。彼に個人的に依頼し、可動性と特に静音性を極限まで高めてもらったのですよ」
「ええっ!? 腕利きのドワーフが加工したの!? あたし、それも見てみたい!」
リズの好奇心は天井知らずに膨れ上がり、馬車の座席でジタバタと身を悶えさせる。その動きに合わせて、艶やかな黒髪が大きく波打った。
カウジンが、キャロルの腰に佩かれた長剣に鋭い視線を留めた。
「キャロル殿の愛刀……ただの業物ではないとお見受けするが」
その言葉に応じるように、キャロルは誇らしげに、そして慈しむように愛刀を逆手に取り、鞘からゆっくりと抜き放った。
三十メートルの高さを誇る大坑道の壁面から放たれる淡い光を、白銀色の刀身が吸い込む。それはまるで呼吸をしているかのように繊細な輝きを脈動させ、平地には古代の神秘的な魔法文字が複雑な紋様となって刻まれていた。
「我がジャスティン家に代々伝わる、名実ともに伝家の宝刀です」
キャロルの声音には、騎士としての矜持と、先祖から受け継いできた至宝への深い愛情が満ちていた。
「こ、これは……!」
カウジンは息を呑み、釘付けになった瞳を皿のようにして刀身を見つめた。普段の冷静沈着な彼からは想像もつかないほどの昂揚が、震える声と強張った表情から隠しようもなく漏れ出している。その瞳は異様な光を宿し、伝説の一角に触れた学者のような危うい熱を帯びていた。
「そんなに珍しいものですか? カウジンさんの愛刀も、魔法効果が付与された素晴らしい業物とお見受けしますが」
カウジンの尋常ならざる反応に、キャロルは少しばかり困惑した様子で問い返した。
「これは、ただの業物などという次元ではない。古代の魔法王朝末期……魔法文明が全盛を極めていた頃の逸品だ。おそらく、熟練のドワーフが鍛え上げた真銀の刀身に、後から高位の魔法師が直接魔法文字を刻み込んだものだろう。全盛期の作ゆえに一切の無駄がなく、完成度は完璧だ。まさに伝家の宝刀の名に相応しい。いかに莫大な金を積もうとも、決して手に入れることなど叶わぬ代物だ」
カウジンは、溢れ出す知識を抑えきれないといった様子で早口にまくし立てた。その言葉の端々からは、古代の魔法王朝の文明に対する深い造詣と、本物の価値を見抜く確かな審美眼が感じられた。
「えー、あたしにも見せてよー!」
馬車の中からは、相変わらずリズの抗議するような声が響いている。その我慢しきれないといった様子は、緊迫した探索の後ではどこか微笑ましくもあった。そんな賑やかな声を背に聞きながら、男たちはそれぞれの鎧を脱ぎ終えた。長旅と実戦で汚れた装甲を丁寧に拭い、各々の鎧櫃へと納めていく。
ルザサードもまた、愛用の黒い小剣を柔らかな布で丹念に拭き上げ、薄く油を引いて手入れを怠らない。その無駄のない指先の動きからは、彼が自身の得物に寄せる深い信頼が伺えた。
一通りの作業が片付く頃、とっくに着替えを済ませていたリズが、待ちきれずに客車から飛び降りてきた。頬を少し膨らませ、不満げな表情で唇を尖らせる。
「ホントに残念だったわ。まるで博覧会じゃない。それを馬車の窓越しにチラッとしか見られなかったなんて……。今度ゆっくりと、隅から隅までじっくり見せてよね!」
好奇心のままに声を上げ、子供のように駄々をこねる姿を見れば、彼女もまだ十六歳の多感な少女なのだと思い出される。リズはそのまま、凝り固まった身体をほぐすように大きく伸びをした。
「とりあえず今日の出発は諦めて、明日の朝にしましょうか。あたし、なんだか急に疲れちゃった」
「馬車の中ではしゃぎ過ぎなんだよ」
ユーバが呆れたように指摘すると、リズは事もなげに、涼しい顔で言い返した。
「何言ってるのよ! たくさん魔法を使ったからに決まってるじゃない」
もっともらしい理由を並べてはいるが、実際には誰もが慣れない洞窟の踏破やゴブリンとの死闘を経て、心身ともに極限の疲労を感じていた。特に実戦経験の浅いミツナは、目に見えて消耗している。その白い貌には、隠しきれない疲労の影が濃く滲み出ていた。
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