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あの日、小麦色の風が吹いた。  作者: 古代 ルミオン
第一章 黄金色の大地と灰色の尖塔

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第九話 闇の奥で(1/2)

 天然の洞窟の奥深く。じめじめとした湿気と、遠くで爆ぜる水滴の音だけが静寂を支配していた。


 一行の周囲には、ミツナの祈りが生み出した目に見えない温かな光が満ちている。その光は薄いヴェールのように、六人それぞれの輪郭を優しく包み込んでいた。

「なんだか、本当に勇気が湧いてきた……!」

 ユーバが力強く呟いた。先ほどまで顔に張り付いていた不安は嘘のように消え去り、代わりにはっきりとした決意がその表情に宿っている。神の加護は目に見えぬ力で彼らの精神を奮い立たせ、その肉体には微かながらも確かな熱量を与えていた。

 その時、リズが自らの杖に対し、古い友人に語りかけるような静かな声で命じた。

「消えよ」

 刹那、杖の先で青白く輝いていた光が、意志を持つかのように音もなく吸い込まれて消えた。周囲は一瞬にして、底なしの漆黒に塗り潰される。

 視界を奪われた一行は、闇に目が慣れるまでしばらく息を潜めた。やがて、わずかな光の粒子を拾えるようになると、互いの存在を気配で確かめ合いながら、一歩一歩、慎重に足を進め始める。濡れた岩肌を踏みしめる微かな水音だけが、耳に届く。

 ただ、なぜかユーバが身につけている古びた鉄製の鎧だけが、歩くたびに「カチャリ、カチャリ」と金属音を立てていた。静まり返った洞窟内では、そのプレートの擦れ合う音はやけに大きく、耳障りにさえ感じられる。

(そうだ、後でキャロルさんやカウジンの鎧は、なんで音がしないのか聞かなくちゃ……)

 目前に迫る激戦を前に、リズはどうでもいい疑問をふと思い出していた。


「ユーバ君、足元に気をつけてくださいね。落ち着いて進みましょう」

 すぐそばで、キャロルの穏やかな、しかし凛とした言葉が聞こえた。その物腰の柔らかさは、こんな絶望的な暗闇の中でも、不思議と一行に安心感を与えていた。

 やがて、闇の中に大きな口を開けたような空洞の入り口がぼんやりと見えてきた。完全な暗闇の中であっても、その空間の広がりだけは、他の通路とは明らかに異質な威圧感を放っている。

 先頭に立つキャロルが足を止め、静かに、しかし確かな覚悟を込めて声をかけた。

「私は『せーの』の合図で突入します。皆さん、後はよろしくお願いしますね」

 彼は隣に立つカウジンと短く視線を交わした。カウジンの黒い瞳は、闇の中でも獲物を狙う獣のように鋭く光っている。キャロルはわずかに高揚を感じながらも、あくまで冷静に、囁くような声で合図を口にした。

「……せーのっ」

 その言葉と同時に、彼は強靭な脚で地面を蹴り上げ、疾風のごとき速さで一直線に駆け出した。それと同時に、リズは淀みなく呪文を紡ぎ始めた。その唇から漏れる魔法語の一つひとつには、濃密な魔力が凝縮されている。

 数秒後、漆黒に沈んでいた空洞内は、まるで太陽が昇ったかのような強烈な光に満ち溢れた。リズが放った光の魔法は、洞窟の隅々までを白一色に照らし出す。

「さあ、行くわよ!」

 リズの掛け声に応えるように、残る四人も武器を構えて空洞内へと雪崩れ込んだ。


 突如として放たれた強烈な光と、信じられない速度で肉薄する人間たちの出現に、くつろいでいたゴブリンたちは完全にパニックに陥った。けたたましい悲鳴を上げ、鋭い牙を剥き出しにしながら、我先にと逃げ惑う。中にはあまりの眩しさに、なすすべもなく目を覆う個体もいた。

 キャロルの足取りは、もはや人間の域を超えているかのようだった。風を切るような速度で空洞へ侵入すると、研ぎ澄まされた視線で奥に陣取る三体の大型個体――ホブゴブリンを瞬時に捉える。彼は最短の軌道を描き、迷うことなく一直線に駆け抜けた。

 混乱の最中、錆びついた粗末な小剣を構えてどうにか態勢を整えようとするゴブリンたちの間を、銀色に輝くキャロルの長剣が、まるで意思を持つかのように舞い踊る。一瞬のうちに四体のゴブリンが、悲鳴を上げる間もなく鮮やかに斬り伏せられた。キャロルが目当ての巨大なホブゴブリンの目前に到達したとき、背後には物言わぬ骸が転がっているだけだった。

 その直後、ほんのわずかに遅れてカウジンが追いついた。屈強な体躯に似合わぬ俊敏な動きで、彼もまた青白く輝く魔法の長剣により二体のゴブリンを屠っている。だが、キャロルの異次元のスピードに追随した代償か、その肩は激しく上下し、額にはべったりと汗が滲んでいた。

 リズは空洞へ突入すると、数歩進んだところで、まるで何かに足止めをされたかのようにぴたりと歩みを止めた。彼女は杖を両手でしっかりと握りしめ、小さな唇を一文字に結ぶ。その顔には、いつもの冷静さに加え、魔法師としての強い決意が宿っていた。

 周囲の喧騒をものともせず、彼女は澄んだ、しかし凛とした声で呪文を詠唱し始める。それは決して長く複雑なものではなかったが、紡がれる一語一語に、重く濃密な魔力が宿っているのが肌で感じられた。

 キャロルとカウジンの電光石火の切り込みを辛うじて逃れたゴブリンたちは、混乱しながらも本能的に空洞の左右へと散らばっていた。彼らは鋭い爪を立て、威嚇するように低く唸っている。

 リズの魔法が完成した、まさにその瞬間。彼女の右側にいた五体のゴブリンが、まるで操り糸を同時に切られた人形のように、バタリ、バタリと音を立てて岩床へ崩れ落ちた。深淵なる眠りに落ちたその寝顔は、どこか間抜けでさえある。

「右は眠らせたわ。残った左をよろしくね、ユーバ!」

 リズは、自分の仕事は完璧に終わったと言わんばかりの涼しい顔で言い放った。その表情には、ほんの少しだけ得意げな笑みが浮かんでいる。


 左側にはまだ二体のゴブリンが残っていた。仲間たちが次々と沈む光景を目の当たりにしたからか、あるいは凶暴な本能が限界を超えたのか、彼らは狂ったような形相で鋭い牙を剥き出しにし、こちらへ向かって突進してくる。もはや、恐怖で逃げ出すような様子は微塵もなかった。

 だが、ユーバはその異様な迫力に一瞬たりとも怯まなかった。彼は恵まれた体躯と鍛え上げられた強靭な腕で、愛用する巨大な大剣を素早く、かつ正確に薙ぎ払った。先の戦いとは異なり、ユーバの心には不思議なほどのゆとりがあった。加護の祈りによる恩恵も大きいだろう。だが何より、洞窟に入ってからの死線を越えるたび、彼は確実に「戦士」へと脱皮していたのだ。握りしめた大剣はまるで体の一部のようにしっくりと馴染み、羽のように軽く感じられた。

 ユーバの大きな体から放たれた渾身の一撃を、一体のゴブリンがまともに食らった。鈍い衝撃音と共に、その小さな体は熟れた果実のごとく両断され、信じられない勢いで五メートルほど先まで吹き飛ばされる。周囲に緑色の体液が飛び散り、生臭い匂いが鼻をついた。

 残ったもう一体のゴブリンは、ユーバの一撃を辛うじて回避したものの、その直後、背後から音もなく忍び寄ったルザサードに完全に捕らえられていた。ルザサードは獲物を弄ぶかのような多彩なフェイントを繰り出し、ゴブリンを翻弄して逃げ場を奪う。そこへ、一体目を仕留めたユーバが力強い足取りで駆けつけた。彼は再び巨大な大剣を頭上高くに振り上げる。ゴブリンは仲間と同じ運命を悟ったのか、絶望的な悲鳴を上げた。だが、逃れる術はない。振り下ろされた大剣に叩き伏せられ、二体目のゴブリンもピクリとも動かなくなった。


 一方、前線で大型個体と相対するキャロルとカウジンの二人には、まだ十分すぎるほどの余力が残っていた。三体のホブゴブリンを相手にしながら、初対面とは思えぬほど息の合った、まるで長年連れ添った戦友のような見事な連携で敵を圧倒している。ホブゴブリンたちが振るう粗末な剣は、二人の熟練された剣技の前では子供の玩具も同然だった。

 剣の達人同士、言葉を交わさずとも互いの呼吸を読み、次に成すべきことを瞬時に理解し合っているのだろう。キャロルの流れるような優美な剣捌きと、カウジンの重厚で力強い一撃が絶妙なタイミングで繰り出され、ホブゴブリンたちは防戦一方に追い込まれていた。

「カウジンさん、右を崩します。お願いしますね」

 戦いの最中ですら、キャロルは穏やかな口調を崩さない。彼はわざとらしく大げさなフェイントを放ち、ホブゴブリンの一体を完全に誘い込んで体勢を大きく崩させた。その一瞬の隙を、百戦錬磨のカウジンが見逃すはずもなかった。

「心得た!」

 青白く輝く長剣が鋭く走り、ホブゴブリンの喉元を深々と貫く。鈍い音と共に、その巨体が地響きを立てて横たわった。

 残った二体に対しては、もはや作業に近いものだった。互いの研ぎ澄まされた技を見せつけ合うかのように、それぞれが残る一体ずつを容赦なく、そして確実に切り伏せていく。ホブゴブリンたちは、反撃の機会すら与えられぬまま、次々とその命を散らしていった。


 戦いが終わると、キャロルとカウジンは迷いなく踵を返した。二人は床に転がる眠ったままのゴブリンたちに歩み寄ると、容赦なく剣を突き立て、確実に息の根を止めていく。その傍らでは、同じようにトドメを刺し終えたユーバとルザサード、まだ緊張の解けぬ面持ちで立ち尽くすミツナ、そして「あたしの仕事はとっくに終わっているわ」と言わんばかりの余裕を浮かべるリズがいた。

「あら、二人には少し物足りなかったかしら?」

 リズはいたずらっぽい笑みを浮かべ、汗一つかいていない涼しい顔で前衛の二人に歩み寄った。

「あっ……」

 その時、リズの背後でユーバが、何かに弾かれたような驚きの声を上げた。彼は、折り重なるゴブリンの亡骸の中に、見慣れた「何か」を見つけたようだった。

「どうしたの? 怪我でもした?」

 心配したミツナがすぐに駆け寄り、ユーバの腕に手を添える。彼女の青い瞳には、隠しきれない不安の色が浮かんでいた。

「いや……。この兜……自分と同じ警備隊のものだ」

 ユーバの声は喉に何かが詰まったように掠れていた。顔は見る間に青ざめ、見開かれた瞳は一点を凝視している。その手には、先ほどまで誇らしげに振るっていた大剣が力なくぶら下がっていた。

「そうなのね……」

 ミツナはユーバの腕にそっと手を添え、どこか悲しげな声で呟いた。彼女にとっても、それは見覚えのある仲間の遺品だったのだろう。沈痛な面持ちで動けないユーバに、キャロルが静かに近づいた。彼は優しく、しかし力強くその肩に手を置いた。

「ユーバ君。仲間の死を悲しむなとは言いません。それは人間として当然の感情です」

 キャロルの穏やかな言葉遣いが、冷え切ったユーバの心に染み込んでいく。

「ですが、今ここで感傷に浸りすぎることはできません。さもなくば、次は君が死ぬことになります。……うまく言えませんが、今は気持ちを切り替えるしかないのです。何より、君は自らの手で仲間の仇を討ったのですから。亡くなった先輩や同僚たちも、少しは報われるはずですよ」

「はい……わかっています」

 ユーバの目には大粒の涙が滲んでいたが、それが零れ落ちることはなかった。彼はぐっと拳を握りしめ、深く、長く呼吸を一つ吐き出した。

「みなさん、すみません。……もう大丈夫です」

 顔を上げた彼の表情には、拭いきれぬ悲しみと共に、それを糧にするような静かな決意が宿っていた。


【100万字超・完結済み・執筆済み】

予期せぬ事態にならない限り、読者の皆様に【毎日更新】の確実なワクワクをお届けします。

物語が途中で途切れる(エタる)心配はございません。

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