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あの日、小麦色の風が吹いた。  作者: 古代 ルミオン
第一章 黄金色の大地と灰色の尖塔

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第八話 いざ(1/2)

 「大神様おおがみさまの大坑道」の崩落によって生じたその横穴は、生暖かい湿り気を帯びた空気を絶えず吐き出していた。奥深くへと続く天然の洞窟は、壁面を伝う水滴の音が反響し、静寂の中にぽつり、ぽつりと不気味な余韻を残している。足元は濡れた岩肌で滑りやすく、一歩踏み出すごとに微かな水音が鼓膜を叩いた。

 横穴を這うように進み、程なくして一行が辿り着いたのは、思わず息を呑むほどに広大な空洞だった。直径はゆうに二十メートルを超え、見上げた天井は深い暗闇に溶け込んでその全容を窺い知ることはできない。


 ミツナが掲げる松明の炎は、赤々と揺らめきながら周囲の岩肌を照らし出していた。その光は暖かくはあるが、広大な闇の前ではどこか心許ない。対照的に、リズが携える身の丈ほどもある魔法師の杖の先には、冷たく鋭い輝きを放つ青白い光が灯っていた。性質の異なる二つの光源は、いつの間にか六人となった仲間たちの顔を、明暗のコントラストで鮮烈に浮かび上がらせる。濡れて黒曜石のように光を反射する壁や天井は、まるで巨大な口を開けた魔物の胃袋の中に迷い込んでしまったかのような錯覚を抱かせた。

「さて、どう進むか相談しましょう」

 周囲の状況を冷静に見渡しながら、キャロルが静かに切り出した。その落ち着いた声は、洞窟の静寂の中でやけに明瞭に響いた。

「まずは、先に進むにあたっての隊列を決める必要がありますね」

 彼はそう続けると、一人ひとりの顔を順番に見つめた。その真剣な眼差しからは、全員を無事に帰還させようとする強い意志が感じられた。

「少人数編成における基本は三列となります。前線を維持する壁役の一列目、後方の警戒と防衛を担う三列目。そして、最も守るべき者を二列目に配置するのが定石です」

 理路整然としたキャロルの説明に、一同は黙って頷いた。彼の言葉には、机上の空論ではない、確かな知識と経験に裏打ちされた説得力が宿っていた。

「先頭の一列目は、私とカウジンさん。よろしいですね?」

 異論はなかった。身の丈はキャロルより小柄ながらも鍛えられた体躯を持つ冒険家カウジンは、腕を組みながら無言で頷く。その黒い瞳は、常に周囲のわずかな変化も見逃さない鋭さを保っていた。

「二列目の一人は、最も軽装のリズさんです」

 これもすぐに決まった。リズ自身も当然といった表情で頷き、自らの役割を再確認している。

「三列目の一人はユーバ君、君に頼みたい」

 キャロルよりも一回り以上も大きい恵まれた体格に逞しい筋肉を備えたユーバが後方を守るのは、極めて理に適っている。その瞳にはまだ若干の不安が滲んでいるものの、キャロルの的確な指示を信頼したのか、素直にその役目を受け入れた。

 問題は、残る二列目と三列目の配置だった。

「行商人で、この中でも特に非力なルザサードさんを二列目に置くべきだと思うわ」

 リズが、やや早口で主張した。彼女には、あの油断ならない目つきをした行商人を、自分の隣という監視の届く位置に置いておきたいという狙いがあった。

「先の戦いを見れば、恐怖に震えていたミツナさんこそ二列目で守るべきではないでしょうか」

 対してルザサードは、腕を組んだまま行商人らしい丁寧な口調で言い返した。その端整な顔には、わずかな苛立ちの色が浮かんでいる。もっとも、彼の真の目的は、あの得体の知れない魔法師の隣に身を置きたくないという、ただ一点に尽きていた。

 二人の間で、一瞬、気まずい沈黙が流れた。洞窟内の湿った空気が、より一層重く感じられる。

「……あの時は、本当に怖くて……」

 ミツナが、うつむき加減に小さな声で呟いた。普段かけている眼鏡の奥の青い瞳は、まだ去らぬ恐怖を映して揺れている。

 その時だった。

「私も、こういった状況や戦いに慣れる必要があります。私がユーバと共に、殿しんがりを務めます」

 ミツナは顔を上げ、意外にもはっきりとした口調でそう告げた。その声には、かすかな震えこそ混じっていたが、退かぬという確固たる決意が感じられた。彼女にしてみれば、幼い頃から姉弟のように育ったユーバの隣にいることが、何よりの支えになるのだろう。

「決まりね」

 リズが満足げな表情で頷き、議論はあっさりと決着を見た。リズはどこか勝ち誇ったような、少し意地の悪い笑みを浮かべてルザサードを一瞥する。

(……なんてことだ)

 ルザサードは内心で盛大なため息をつくしかなかった。

(あの小娘、完全にこちらの嫌がる道を選びやがった)


 ミツナは念のため、背負っていた小型の木製盾を手に取った。丸みを帯びたその盾は、彼女の華奢な体躯には少し大きく見える。続けて、彼女は松明を地面に置いて静かに火を消した。パチパチという小さな爆ぜる音と共に赤い炎が消え、洞窟内はリズの杖が放つ冷徹な青白い光だけに照らし出されることになった。

「この洞窟には、微かな空気の流れがあるわ」

 リズが杖を少し高く掲げながら言った。その知的な顔立ちには、魔法師としての自信が漲っている。

「つまり、私たちが通ってきた横穴とは別に、外へと繋がる出口があるはずよ」

 それを聞いたカウジンは、無骨な右手の甲手を外すと、分厚い人差し指を口に含んでからそっと空中に掲げた。いつものように感情の起伏は見られないが、その所作には熟練の冒険家としての風格が漂っている。

「ふむ。リズ様のおっしゃる通りだ。確かに、微かに風が流れとる」

 相変わらずのぶっきらぼうな口調だが、長年の経験に裏打ちされたその言葉には、岩のような確かな重みがあった。

「であれば、この先の最初の分岐は、風が流れて『いない』方へ向かうことになるわね」

 リズは杖の先を洞窟の奥へと向け、迷いなく断言した。杖の放つ青白い光が、彼女の白い肌をより一層際立たせている。

「リズ様。その、もしさらに先の分岐に出た場合は、どうするのでしょうか……?」

 ユーバが、使い慣れない敬語をぎこちなく使いながら問いかけた。その純粋な瞳には、これからの道のりに対する不安が滲んでいる。

「その時に考えるわ」

 リズは肩をすくめ、あっさりとした調子で答えた。あまりに飄々《ひょうひょう》としたその態度に、ユーバは少し拍子抜けしたような表情を見せた。


 いざ出発というその時、リズは一同を見回して、にこやかに言った。その笑顔は、普段のクールな彼女からは想像できないほど明るく、親しみやすいものだった。

「これまでのやり取りで分かっているとは思うけど、あたしもキャロルさんも、一般市民のあなたたちに尊大な態度を取るつもりはないわ。あたしたちは、市民とも向き合える良識ある貴族なのよ」

 続けて彼女は、どこかからかうような、柔らかな声で付け加えた。

「だから、あたしたちを『様』と呼ぶのはやめてほしいの。普通に、リズとかキャロルとか、そう呼んでくれればそれでいいわ」

 隣に立つキャロルも、静かに頷いている。その整った顔立ちには、彼らの戸惑いを優しく包み込むような穏やかな笑みが浮かんでいた。その言葉を聞いた瞬間、ユーバはぱっと表情を輝かせた。

「わかったよ、リズ!」

 にっこりと笑いながら応えた彼の赤い髪が、魔法の光を受けて鮮やかに輝く。

 すると、すかさずリズが真顔でユーバを睨みつけた。その鋭い青い瞳には、強い圧が宿っている。

「……『さん』くらいは付けなさいよ、ユーバ。確かにあたしはあなたより年下だけど、これでも帝国の文官なんだから」

「す、すみませんでした!」

 ユーバは慌てて、折れ曲がらんばかりに深々と頭を下げた。そのあまりに素直な様子を見て、リズは堪えきれずに吹き出した。

「ふふっ、冗談よ」

 彼女はそう言って、心底楽しそうに笑った。その鈴を転がすような笑い声は、洞窟の重苦しい静寂を打ち破り、そこに温かな空気を運んできた。バツが悪そうに顔を上げたユーバだったが、その表情はどこか晴れやかだった。


【100万字超・完結済み・執筆済み】

予期せぬ事態にならない限り、読者の皆様に【毎日更新】の確実なワクワクをお届けします。

物語が途中で途切れる(エタる)心配はございません。

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