第六話 大坑道に灯る闇の中で(2/2)
キャロルは再びフルヘルムを被ると、静かにフェイスガードを下ろした。左手で盾をしっかりと構え、右手にはジャスティン家に代々伝わる家宝――魔法の力が宿る長剣を握りしめ、迷うことなく洞窟の深部へと足を踏み出す。その背中からは、揺るぎない決意が感じられた。
リズもまた、緊張に面持ちを硬くしながら杖を握り、キャロルの真後ろにぴったりと従った。彼女の心臓は、まるで激しい雷鳴のように、どきどきと胸の内で鼓動を刻んでいる。実戦経験のない彼女にとって、これから直面するであろう事態への不安と、助けなければならないという使命感が激しく入り混じっていた。
二人は一本道の洞窟を足早に進んでいく。ゴツゴツとした岩肌の床に躓きそうになるのを堪えながら進むにつれ、剣戟音はより鮮明に、より大きく響き始めた。複数の刃がぶつかり合う激しい音に、獣の唸り声のような不気味な響きが混じって聞こえてくる。奥で苛烈な戦闘が行われていることは明白だった。
ふと、リズは不思議なことに気づいた。全身を鉄製の鎧で包んでいるはずのキャロルから、耳障りな金属音がほとんど聞こえてこないのだ。普段の訓練であれば、歩くたびにガシャガシャと騒がしい音がするものだが……。
(落ち着いたら、その秘密を聞いてみよう)
少しずつ冷静さを取り戻してきたリズは、そんなことを考えながら、目前の頼もしい背中を見つめていた。彼の鍛えられた背中は、彼女に戦う勇気を与えてくれた。
やがて、洞窟は少し開けた小規模な空洞へと繋がった。そこには、予想していた通りの、しかし想像を絶するほどに厳しい光景が広がっていた。
そこには、確かに四人の人間がいた。
彼らを取り囲むように、十匹を超える醜悪な緑色の肌をしたゴブリンたちが、鋭い牙を剥き出しにしてニヤニヤと笑いながら、錆び付いた短剣や先の尖った棍棒を振り回している。
囲まれている四人の中で、ひときわ目を引くのは全身を青い輝きを放つ鎧で身を包んだ、まるで鉄塊のような戦士だった。顔を覆うフルヘルムの奥は窺い知れないが、左手に掲げた大型の盾には、幾度となく攻撃を受け止めてきたであろう無数の傷跡が刻まれている。そして右手には、ゴブリンの群れに向かって大きく振りかぶられた長剣。その剣捌きは無駄がなく、流れるように複数のゴブリンの攻撃を受け止め、的確に反撃を加えていた。まるで踊るように、あるいは熟練の職人のように。複数のゴブリンを相手にしても全く焦りの色を見せず、長年の戦いの経験がその動きに滲み出ていた。
その隣には、身の丈が二メートルを超えているだろうか、全身を鉄製の鎧で身を包んでいるものの、顔の部分が開いたオープンヘルムを被った、若い戦士らしき男がいた。しかし、その剣筋は先ほどの戦士とは対照的に、どこか荒々しく、無駄な動きが多い。二匹のゴブリンと対峙しているだけでも、すでに息切れしているように見える。足元が幾度かぐらついており、ゴブリンの攻撃によって足を負傷しているのかもしれない。彼の表情は苦悶に歪み、必死に剣を振るっているものの、その動きには焦燥感が漂っていた。
一番奥にいる男は、他の二人とは明らかに異なる出で立ちをしていた。一見するとただの行商人のようだが、その右手には刀身が不気味なほど黒く塗られた小剣が握られている。正規の剣士のような派手な動きはないものの、その剣の扱いには全くのぎこちなさがない。むしろ、背後にいる神官服の女性を守るように、常に複数のゴブリンの動きを冷静に牽制している。鋭い眼光が、油断なく周囲を警戒していることを物語っていた。
そして、その三人の後ろには、純白の神官服を着た若い女性が、まるで怯える子鹿のように身を縮こまらせて戦況を見守っていた。左手には、心細いほどの小さな松明が握られ、右手には、いざという時のためのものか、ずっしりとした鎚矛が握られている。しかし、彼女の足は一歩も前に踏み出そうとせず、ゴブリンに向かっていく気配は全く感じられない。その顔には恐怖の色が濃く浮かんでおり、明らかに戦い慣れていない様子だった。
戦士たちの足元には、すでに力尽きた二体のゴブリンが血溜まりの中に横たわっていた。しかし、残りの群れは仲間が屠られたことなど意に介さず、獲物を前にした飢えた狼のごとき執念で、四人を執拗に攻め立てていた。
状況を瞬時に見定めたキャロルは、迷うことなく戦地へと躍り出た。鋼の鎧を纏っているとは思えぬほど、その踏み込みは矢のように鋭く、洗練された無駄のない動きで戦いの渦中へと加わる。そして、剣と剣が激突し続ける騒然たる空気の中、周囲の喧騒を圧するほどの大声で叫んだ。
「支援する!」
その凛烈な咆哮は、絶望的な防戦を強いられていた一般市民たちの耳に、勇ましくも、確かな希望の光となって届いたに違いない。
リズも即座に呪文の詠唱を開始した。その言霊は、普段の快活な響きとは一線を画す、決意を秘めた凛烈な重みを湛えている。簡潔な呪文のためか、魔法は瞬く間に完成を見た。
突如、ゴブリンたちの背後に、真昼の太陽を思わせる眩いばかりの光球が炸裂した。それはリズの杖が灯していた光よりも遥かに強烈で、洞窟内を瞬時に白日の如く照らし出す。不意を突かれた醜悪な群れは驚愕に顔を歪め、抗えぬ本能に従って光の源へと振り返った。強烈な逆光に晒された緑色の肌が、異様な輪郭をもって闇に浮かび上がる。
その刹那の隙を、キャロルが見逃すはずもなかった。
白銀の長剣が閃光となって走り、正確無比な四連撃が空を裂く。瞬く間に四匹のゴブリンが骸と化し、切り口から噴き出した緑色の血が岩肌を汚した。その鮮烈なまでの剣技に、リズは思わず息を呑む。
同時に、キャロルの傍らで防戦一方だった鉄塊のごとき戦士と若い戦士も、この好機に呼応した。彼らは一気に勢いを取り戻すと、それぞれ四匹、二匹のゴブリンを瞬く間に斬り捨てる。絶望の淵にあった彼らの士気は、新手の介入によって劇的に塗り替えられていた。
周囲を見渡し、生き残ったゴブリンたちが怯んで後退したことを確認すると、キャロルはリズの方へ歩み寄り、深く頭を下げた。
「リズさん、魔法での支援、本当にありがとうございました。あの光がなければ、私とて危うかったかもしれません」
単純な光の魔法であっても、放つタイミング一つで戦況を根底から覆す。その事実に、彼は心底から感銘を受けた様子だった。
「魔法師の才能は、扱える呪文の種類や威力だけで決まるものではないわ。その運用こそが、最も求められる能力なのよ」
リズは誇らしげに胸を張ったが、その実、彼女自身もキャロルの振るった武勇には言葉を失うほどの衝撃を受けていた。無駄を削ぎ落とした洗練、精密な刃筋、そして何より目を疑うほどの速さ。見習い騎士という肩書きからは到底想像もつかない、それは既に熟練の域に達した「技」であった。
キャロルとリズは互いに顔を見合わせ、静かに頷き合うと、窮地から救い出した四人の方へと向き直った。彼らは未だ興奮の余韻に呑み込まれたまま、激しく肩で息をし、キャロルとリズを呆然と見つめている。その表情には、死地を脱した安堵と、突如現れた救世主たちの超常的な実力に対する驚愕が、複雑に入り混じっていた。
リズは、四人の顔を一人ずつ、興味深そうに、そしてどこか慈しむような懸念を込めて覗き込んだ。彼女の唇に、柔らかくも理知的な微笑が浮かぶ。
「さて、皆さん。まずはご無事で何よりですわ。……そして、色々と伺いたいことがありますの」
これから二人は彼らの言葉に耳を傾け、この異常事態の全容を把握し、次なる一歩を定めなければならない。二人は帝国の安寧を担う為政者としての使命をその胸に刻み、救い出した四人の視線を真っ向から受け止めた。
リズの声が空洞に響き、消えていく。先ほどまで耳を劈いていた金属音やゴブリンの咆哮は嘘のように止み、代わりに、遠くの岩肌を伝う水滴の音だけが、やけに鮮明に規則正しく響き始めた。
リズの魔法が残した白銀の光の残滓が、ゆっくりと洞窟の闇に溶けていく。その淡い光に照らされた空間には、切り伏せられたゴブリンから立ち上る微かな熱気と、どこからか流れ込む、湿った土の匂いを孕んだ冷たい風が混じり合っていた。
崩落した壁の向こう側――。
人跡未踏であったはずの暗闇の奥には、まだ見ぬ世界の入り口が、二人を誘うように深く、重く口を開けていた。
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