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あの日、小麦色の風が吹いた。  作者: 古代 ルミオン
第一章 黄金色の大地と灰色の尖塔

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第六話 大坑道に灯る闇の中で(1/2)

 「大神様の大坑道」は、昼夜を問わず壁面や天井が淡い燐光りんこうを放っている。そのせいで、外界の時間の流れから切り離されたような、どこか白昼夢めいた感覚に包まれていた。


 昨夜遅くまで帝国の行く末を論じ合ったキャロルだったが、騎士を目指し日々刻んできた鍛錬は、彼の肉体に正確な時を刻んでいた。朝日が差し込むはずのない岩の底で、彼は静かに意識を浮上させる。微かに聞こえる馬の鼻鳴らしと、遠くで滴る水の反響音が、この異質な空間における唯一の鼓動だった。

 御者台で身を横たえていたキャロルは、音を立てずに身を起こすと、背後の客室へ向かって穏やかに声をかけた。

「リズさん、おはようございます。そろそろ出発の時間です」

 その声は、昨夜の熱情を帯びた議論が嘘のように、理性的で落ち着いたトーンに戻っていた。

 リズはまだ深い眠りの淵を彷徨っているようだった。小さく可愛らしい欠伸を漏らしながら、眠い目をこすり、もぞもぞと時間をかけて身支度を整える。ようやく客車から降りてきた彼女の肌は、坑道の仄暗い燐光を吸い込み、透き通るような白さを帯びて見えた。昨夜の激論による疲労か、あるいはこの巨大な密閉空間特有の重圧のせいか、彼女の瞳には僅かに寝不足の影が差している。

 二人は、携帯用の硬いパンに塩気の強いチーズ、それに干し肉という、簡素ながらも腹持ちの良い朝食を済ませた。その折、キャロルは丁寧に鞣された革袋から、小さな陶器製の瓶を取り出した。

「リズさん、もしよろしければこれを。少し苦いですが、眠気を吹き飛ばすにはうってつけですよ」

 彼は、自慢の逸品を披露する少年のような、微かな微笑を浮かべていた。

 それは「コーヒー」と呼ばれる、漆黒の液体だった。瓶の蓋を切ると、深く焙煎された豆特有の香ばしくも力強い香りが、坑道内のひんやりとした空気にじんわりと染み渡っていく。遠い異国から運ばれてくる極めて貴重な嗜好品であり、帝国内では金と同等に扱われることもある。富裕な貴族とて、日常的に口にできるものではなかった。

 リズはその独特な、舌を刺すような苦味と、後から追いかけてくる微かな酸味の調和に、思わず顔をしかめた。しかし、キャロルの細やかな気遣いに感謝しながら、一口、また一口と、その熱い雫をゆっくりと喉へ滑らせていく。

「……これ、何かの薬草を煎じたものかしら? 独特な味わいね」

 空になった瓶を返しながら、リズは吐息をついた。確かに、その峻烈な苦味の奥には、霧を払うように眠気を遠ざけていく、不思議な活力が宿っているようだった。


 二人は旅を再開し、しばらくの間、大トンネルの無機質な空間を歩み進めていた。代わり映えのしない岩壁と静寂が続く中、常に周囲を警戒していたキャロルが、前方の異変をいち早く察知し馬車を止める。

「リズさん、あの辺りを見てください」

 彼の指差す先、壁際に不自然な土の盛り上がりが視界に入った。その瞬間、二人の間に鋭い緊張が奔る。それまでどこか物見ものみ遊山ゆさんのような、あるいは穏やかな旅路の一部とさえ感じていたリズの表情も、一瞬にして険しく塗り替えられた。彼女は愛用の杖を硬く握りしめ、もう片方の手を腰に差した護身用の短刀へと添える。キャロルが示した先の光景を凝視する氷のような彼女の瞳からは、先ほどまでの柔らかさは完全に消え去っていた。

 慎重に馬車を進め、問題の地点へと近づく。そこは、壁の一部が巨大な獣に噛み砕かれたかのように無残に崩落していた。岩盤が根こそぎ剥がれ落ち、鋭利な岩の破片が足元に無造作に散乱している。

 崩落した瓦礫は十メートルほどの幅で広がっていたが、この巨大な大坑道そのものを塞ぐには至っていなかった。しかし、崩れ落ちた壁には、まるで巨大な眼窩のごとき直径五メートルほどの横穴がぽっかりと口を開けている。何より異様だったのは、坑道の他の部位が淡い光を放ち続けているのに対し、崩落した岩塊だけは既にその輝きを失い、死んだような灰色のつぶてと化していることだった。

 キャロルは既に騎士団の重厚な鎧に身を包んでいる。彼は腰のベルトから、一振りの長剣を静かに引き抜いた。坑道の淡い燐光を吸い込み、白銀の刀身がしなやかに煌めく。それは手入れの行き届いた見事な業物であったが、今のキャロルにとっては、信頼を置く己の半身に過ぎない。彼はその剣先を低く構え、油断なく横穴の奥を睨み据えた。

 リズもまた、身の丈ほどもある杖を両手で固く握りしめる。杖の先端には彼女の精神力が凝縮され、いつでも魔法を解き放てるよう、静かな魔力の渦が巻いている。

 二人は無言のまま視線を交わすと、その闇の奥から何かが這い出してくるのを待つかのように、呼吸を整えた。

 キャロルはフルヘルムのフェイスガードを静かに下ろし、視界を戦闘用に絞り込むと、左手の盾を強固に構えた。そのまま、吸い込まれるような横穴の闇をゆっくりと覗き込む。だが、そこには燐光を失った漆黒が広がっているばかりで、奥の様子を窺い知ることはできない。

「何も見えません。闇が深すぎます」

 金属越しに響く、低く警戒を孕んだ声。

 リズは愛用の杖を握る手に力を込め、短く呟いた。

「光よ」

 杖の先端に魔法の灯火が宿った。それは坑道内の淡い燐光とは異なり、小さな太陽が生まれたかのような強烈な白光を放ち、周囲の岩肌を鋭く照らし出して深い影を落とす。

 キャロルは再び横穴を覗き込み、異質の呼吸音や足音が聞こえないことを確かめると、盾を常に前方へ突き出したまま慎重に足を踏み入れた。一歩、また一歩と、鎧の鳴る音さえ殺したような油断のない足取りで奥へと進んでいく。

 リズはキャロルの背に守られるようにぴったりと張り付き、後を追った。彼女の杖から放たれる光が、湿り気を帯びた壁面を次々と露わにする。時折、静寂をなぞるように水滴が滴り落ちる音が響いた。


 穴の先は、予想を遥かに超える空間であった。直径二十五メートルはあろうかという広大な空洞。人工的に整えられた大坑道のトンネルとは異なり、壁面は剥き出しの岩肌がゴツゴツと突き出し、まるで天然の洞窟どうくつのようだった。天井は驚くほど高く、リズが杖を精一杯掲げても、その頂を捉えることはできない。

 空洞の奥には、さらに深部へと続く直径十メートルほどの入り口が口を開けていた。そこからは、微かに湿った空気と共に、濃厚な土の匂いが漂ってくる。

 キャロルは周囲に潜伏者がいないことを入念に確認すると、フルヘルムのフェイスガードを静かに上げ、リズの方を振り向いた。

「リズさん、一旦止まりましょう。これからどう動くべきか、少し話し合いが必要です」

 彼の瞳には鋭い警戒の色が宿っていたが、その声はあくまで冷静に、次の行動への判断を求めていた。

 二人がこれからの行動を決めようと言葉を交わそうとした、その時だった。

 フルヘルムの隙間から放たれたキャロルの鋭い視線が、先ほど潜り抜けてきた入り口の脇――光の届かぬ薄暗い影の中に、不自然な「異物」を捉えた。

 そこには、見慣れない二つの大きな鎧櫃と、使い古された粗末な荷物袋がいくつか転がっていた。それは明らかに、帝国の文官と騎士である彼らの持ち物ではない。

「リズさん、あれを……」

 キャロルの指し示す先を見て、リズは息を呑んだ。驚きと共に、拭い去れぬ疑問が彼女の胸に沸き上がる。

「キャロルさん、私たち以外に騎士団がここへ派遣される予定はあったのかしら?」

「いいえ。少なくとも私が聞き及んでいる限り、そのような事実はありません。今回の任務は、私とリズさんの二人だけのはずですから」

 キャロルはきっぱりと首を振った。

 二人は顔を見合わせ、重苦しい沈黙の中で思考を巡らせる。導き出された結論は一つ。正規の騎士ではない「何者か」――おそらくは何らかの目的を持った一般市民が、この突如として現れた洞窟の奥へと足を踏み入れた可能性が高いということだ。

 その時、リズの優れた聴覚が、奥の暗闇から微かな振動を拾い上げた。それは先ほどまで聞こえていた水滴の音とは明らかに質の異なる、硬質な響き。金属同士が激しくぶつかり合う音が、小さく、しかし断続的に響いてくる。

 リズはキャロルに顔を寄せ、小声ながらも真剣な眼差しで囁いた。

「キャロルさん、聞こえるわよね……?」

 同意を求める彼女の瞳に見つめられ、咄嗟にフルヘルムを脱ぎ、息を潜めて耳を澄ませた。

 閉ざされた空間の静寂を切り裂き、確かに微かな「音」が届く。それは単なる不快な摩擦音ではない。もっと鋭く、激しく、そして規則的なリズムを刻む響き。

 ――剣戟けんげき音。

 それも一つではない。複数の刃が火花を散らし、命を削り合っている音だ。

「ええ、聞こえます。間違いありません、剣戟音です……! 奥で、何者かが交戦しています」

 キャロルの表情から先ほどの冷静さが消え、一気に戦士の緊張感が漲った。百八十センチを超える巨躯が、獲物を前にした獣のように低く構えられる。

 二人は、互いの意志が完全に一致したことを確認するように、固く視線を交わした。一般市民が、この突如として現れた洞窟の奥で何者かと刃を交えている。帝国の臣民を守るべき立場にある者として、これを見過ごすという選択肢はあり得なかった。

【100万字超・完結済み・執筆済み】

予期せぬ事態にならない限り、読者の皆様に【毎日更新】の確実なワクワクをお届けします。

物語が途中で途切れる(エタる)心配はございません。

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