5.5.団長室にて
仙台市内、某所。ビルの五階まで上り、エレベータが開く。
千路と渡会は、狭い廊下を進んだ。通路の突き当りに、目的の場所があった。「血盟師団 団長室」と書かれた札が、控えめに主張している。
渡会が、緊張した面持ちで唾を飲んだ。その隣で、千路がドアを四回、規則正しく叩いた。低い声が聞こえてきたところで、扉を開く。
「失礼します」
赤いカーペットが広がっていた。壁際に並ぶ棚には、分厚い書籍がびっしりと詰まっており、隅には、応客スペースがこぢんまりと用意されていた。部屋の中央奥には、書類が山積みになっているデスクが見えた。その席に座っている、スキンヘッドの男こそが、血盟士団長の田村だった。巷では、僧侶が本職と言われているが、鋭い目つきにスーツを纏ったその姿は、ヤのつく職業の人間にしか見えない。
千路と渡会がデスクの前に立ち止まり、自己紹介をして一礼する。
「突然呼び出して悪かったな」
低い、地鳴りのような声が放たれた。
「いえ、とんでもありません」
千路が気をつけの姿勢のまま答える。
田村は、漆塗りの筆立てから、鈍色の光沢を伴ったボールペンを引き抜いた。
「盗まれた化元体を追っていたときの状況について、詳しく聞きたいと思ったんだ。人妖にはどこで襲われた? 特徴は? 個体数は?」
「場所は――」渡会が口を開く。「わかりません。襲ってきたのは、カマキリとハチを足したような虫と、クモ、それから天狗の三体です」
「困ったな」
田村はペンのノック部を何度も押しながら、続けた。
「お前たちほどの実力者に撤退を強いる人妖が出たんだ。注意喚起をしたいものだが……」
田村が尚もペンの尻部で遊んでいると、今度は千路が口を開いた。
「団長、あなたは誤解していると思います」
ペンのノック音が途端に止んだ。田村が顔を上げる。
「誤解だと?」
「はい。奴らは暴走していませんでした」
千路はそう告げながら、記憶を手繰り寄せた。
千路と渡会は妖化しながら飛行を続け、犯人を追跡した。
標的はすぐに見つかった。渡会と顔を見合わせ、急降下する。
千路が、妖化状態で両翼を広げながらフロントガラスに張りついた。トラックが急ブレーキを掛け、後続車も慌てて減速を始めた。
千路はフロントガラスから離れると、地面に降り立ち、タイヤを切り裂いた。
渡会の化すワシが荷台に着地し、運転席の窓ガラスを叩き割る勢いで突いた。中のマスク姿の作業服の人物は、慌てて外へ飛び出した。
千路と渡会が、トラックの荷台の上で、ほぼ同時に妖化を解いた。
「造作もなかったですね」
渡会が荷台を見下ろしながら言う。
「茂水さんに連絡して、トラックごと引き取りに来てもらいましょう。できれば、運転手も連れて帰りたかったですが……」
渡会の視線は、荷台から運転手の消えた夜闇のほうに移った。その隣で、千路が難しそうに腕を組む。
「ひとつ気になったんだが、一拠点分の化元体を短時間で、たった一人で完了させることはできるんだろうか?」
「それは――」
渡会は、千路の言わんとすることに気づくと、途端に青ざめた。
ズドンという音と同時に、荷台が一瞬大きく揺れた。二人は音のしたほうを振り向いた。
宵闇に同化しそうな黒い巨大グモが、輪状に並ぶ目を光らせていた。荷台に突き刺さるよう立つ八本の脚は、ゴツゴツとした堅い殻で覆われている。
クモは口と思われる大顎を開閉させると、勢いよく糸を噴出した。
先端が渡会の腹部を捉えた。たちまちぐるぐると全身を包み、渡会を拘束する。
「渡会!」
千路は妖化し、クモのほうに飛び掛かった。クモは糸を断ち切り、目や頭を防御する姿勢を取った。
再びトラックが揺れた。後方に気配を覚える。千路はクモへの攻撃を止め、振り向いた。
ハチとカマキリを足して二で割ったような人妖だった。全長二メートル程の全身は黄色と黒の警戒色で染められ、前脚は大きな鎌となっている。腹部は丸く膨れ上がり、尻部には針がついていた。頭部は平たい逆三角形で、顎は肉食昆虫のそれをそのまま拡大したような形をしていた。
そのカマキリ様の人妖は、両鎌を構えながら四本脚で千路に迫った。千路は鎌から目を離さないように後退する。
瞬間、背後から両翼を長い前脚でがっちりと捕縛された。振り向く間もなく、前から鎌が振り下ろされる。胸部がざっくりと裂かれ、瞬く間に血が滲み出した。重みを伴う焼けるような痛みに襲われた。同時に、この人妖たちに奇妙な感覚を得ていた。
――共闘だと?
暴走した人妖にはありえないことだった。理性を失った化け物は、我先にと化元体にありつこうとする。人妖同士で争うことはあっても、手を組むことはない。そもそも、手足の自由を奪われた絶好の獲物がいるというのに、それを無視してわざわざ千路と戦おうとするのは、普通の人妖の動きではない。
千路は、クモを巻き込むように後方から荷台を飛び降りた。カマキリも羽を広げ、後を追う。
クモの脚から解放された千路は、妖化を解き、渡会の姿を前方に認めると、這うようにして近づいた。
目の前に、平たいものが突きつけられた。薄っすらと折り目のついた金属の扇だった。
「血盟士団は、諦めの悪い輩しか入れないんでしょうかねぇ。それとも、人妖の性なのか」
穏やかながらも、冷たい印象を放つ男の声がした。
千路はゆっくりと顔を上げた。
熟した苺のように赤い顔。細長く伸びた鼻。鷲のような翼。黄色と黒色の目が、蔑むように見下ろしている。クモや奇妙な虫とは違い、その外観の妖怪を千路は知っていた。
「――天狗」
相手の目が、わずかに細められた。
後方から低い羽音がした。振り向かずとも、カマキリの人妖が着地したとわかった。そして、おそらくあの鋭い鎌が、千路の背中に突きつけられているのも想像できた。
千路は改めて天狗を睨むと、口を開いた。
「団のことは、どこで知った? 他に、仲間はいるのか?」
怪我のせいで、短い質問でも息が絶え絶えになる。天狗は扇で千路の顎を持ち上げると、
「我々、手荒な真似事は好きじゃないんですよ。もしこの場で引き返して、今後いっさい余計な詮索をしないと言うなら、二人とも見逃してあげますよ?」
千路の視線は、トラックの荷台を経由し、渡会を捉えた。怯えた眼差しが、何かを訴えようとしていた。再びトラックの荷台に目をやる。口を一の字に結び、天狗を見上げた。
「了解した。化元体とお前たちのことは諦める、だから彼を解放してくれ」
まもなく、背後の人妖の気配がなくなった。作業服が、トラックの運転席に戻る。クモがトラックの荷台に張りつき、天狗が扇で脅しながら後退していった。
「物わかりの良い団員で安心しました。屍が二つできずに済んでよかったです。人妖肉が増えたところで二体じゃどうしようもないですからね」
嘲笑気味にそう言い残し、トラックの荷台に飛び乗った。
トラックが発車した。低い走行音を唸らせながら遠ざかっていく。
千路は、ぐるぐる巻き状態の渡会に駆け寄り、糸を解き始めた。
「班長、すみません」
「謝るべきは私のほうだ、申し訳ない。怪我はないか?」
「いいえ、ありません。班長こそ大丈夫ですか? 酷い怪我をしたと思いますが」
糸が外れ、渡会の身体が自由になる。千路は、手に付着した糸の断片を払い落とした。
「渡会は避難所に戻ってくれ」
「……班長はどうするんですか?」
千路は返答する代わりに、トラックの去っていった方角を見た。
「待ってください、無茶ですよ。その状態じゃ、追跡だけでも困難です。暴走するか、奴らのお土産になるかのどっちかです。それに――憶測になりますが、奴らはおそらく班長ひとりでどうにかできる敵じゃありません」
「わかっている、だが化元体を取り戻さなければ避難所の団員はどうなる?」
渡会は黙り込んだ。決して、返答の準備ができていないわけではなく、珍しく声を荒げる千路に戸惑ったからだ。
千路は口から大きく息を吸い、吐き出した。
「……渡会の言う通りだ。申し訳ない」
「いいんですよ。僕だって、できるなら避難所の団員を救いたいですから……帰りは僕に乗ってください」
「なるほど。お前たちが新庄で遭遇した米俵みたいな名前の男が、他にもいるということか。しかも集団で」
千路の報告を聞いた田村が、独り言のように呟き、さらに続けた。
「その中に『奴』がいたと。偶然ではなさそうだな」
「――何かあったんですか?」
渡会が目をわずかに見開き、訊ねる。
田村は、もったいぶるように口を開いた。
「つい昨日、都内で染谷の生き残りと接触した」
しれっと放たれる重大な情報に、何故黙っていたのだという渡会の憤りの視線と、早く続きを話せという千路の視線が、同時に田村に注がれる。
田村は表情ひとつ変えず、話を続けた。
「結果は失敗に終わった。邪魔が入ったんだ。染谷が殺されずに済んだのはよかったが、団員一人と一緒に消えたまま行方がわかっていない。で、その邪魔っていうのが、まさしくカマキリとハチを足して二で割ったような、おかしな人妖だった」
異なる個体の外観が似ることはよくある。だが、それがどちらも暴走しておらず、血盟士団の妨害をしてくるという共通項があるなら、果たして偶然で片付けられるだろうか?
「同一人物ですか」
千路がぼそりと呟く。
「しかし……都内で? まだ暴走が確認されているのは、東北地方だけではありませんでしたっけ?」
渡会がきょとんとしながら、千路と田村を交互に見て訊ねた。
田村は、持っていたペンを机に置き、口を開いた。
「それも奇妙な点だな。東京入りしていた団員たちの話では、妖化しようにもできなかったと聞いている。とはいえ、一番の問題は、奴らの目的が見えてこないことだ。生き延びるために化元体を盗むのはまだ理解できるが、それだと染谷との接触を妨害する意味がわからない」
田村は、鼻で小さく唸りながら腕を組んだ。そのまま考え込むように目を閉じたが、それも時計の長針が動くまでのことだった。カチ、という音とともに目を見開き、
「そうだった。もうひとつお願いがあったんだ」
机の上に置いてあった茶封筒を差し出した。
「こいつを人妖総合研究所まで届けて欲しい。一緒に化元体トラックを一台つける。挨拶がてら、荷物下ろしの手伝いをしてきてくれ」
「了解しました」
封筒を受け取った千路が、一礼する。合わせて渡会も頭を下げた。二人は踵を返し、部屋を出ようとした。
「そういや千路」
田村が何か思い出したように呼び止めた。二人が、ドア目前で同時に足を止める。
「何でしょうか?」
「お前、また新しいペットを飼い始めたそうじゃないか」
田村が机の上で手を組む。
「もしや、米沢の鬼じゃあるまいな?」
渡会の顔が、わかりやすいほどに強張った。助けを求めるように、千路のほうを向く。
「もし彼女が暴走したら、どうするつもりだ?」
返事を訊く前に、田村が質問を重ねる。
千路は怯むことなく、きっぱりと断言した。
「暴走はさせません」
「――千路。お前だからその返事で許されるんだからな? もし万一のことがあれば、収容所行きじゃ済まないぞ?」
「肝に銘じておきます」
部屋の扉が閉められた。廊下を歩く足音が、高らかに反響した。




