23話 『いくじなし』
篤と雫は朝十時の開園と共に〈煙の輪遊園地〉へ忍び込んだ。街へ降りる山道から見えたように、二人の潜伏先から車で二十分とかからない場所だ。それなりの施設で、客入りはそれなり以下だった。おかげで認識阻害を使う篤たちも思いの外のびのびと動き回ることが出来た。この日は気象予報士が太鼓判を押すほどの晴れ模様。雲は無く、アトラクションが朝日でキラキラと光っていた。
〈煙の輪遊園地〉はジェットコースターやゴーカートもあったが、一日で周る分にはほどよい大きさで、良い意味で狭かった。篤と雫は路上で営業していた手すりと四輪付きの屋台からくすねたジュースを片手に、円状の園内を反時計回りに歩いていった。
「最初に何乗ってみよう、コーヒーカップとかいいなあ」
雫は園内に入る前から興奮気味で、未だにパンフレットを食い入るように凝視していた。
「水を差すようで悪いが」篤が言った。「コーヒーカップは周囲から怪しまれるからNGだ」
「回した場合でしょ、それ」水を差された、と強調するように、雫は立ち止まって篤を見る。「回さなければ?」
「……OK」
「決まり。行こ」
「ちょ、ちょっと待て」言葉で篤は雫を引き留めた。「本当に回さないだろうな」
「……うん」
「なんだ今の間は。怪しいな」
「約束するよ。ぜったい、カップの、ハンドルには、触らないから」
「よし」
カップ内への潜入に成功した二人は、取り決め通りハンドルには一切触れなかった。やがてアトラクションが始まり、音楽に合わせてカップたちを乗せた大皿が動き出しても、それは変わらなかった。
「ラストがもう本当に凄いんだから。でも先に断っておくと、どんでん返しとか、売り文句でよく見る「必ず騙される」みたいなものじゃ決してないってこと。あれは詩的で、例えるなら富士山の頂上で浴びる初日の出と同系統の印象なんだから。富士山行った事無いけれど。とにかく……読み終えて本を閉じた時の天にも昇りそうな気持ちったら。あんなのそう味わえるものじゃないよ。ホーガンは最高のSF作家でもあり、最高のシナリオライターの一人でもあるわね。そう信じてる」
雫は対面する篤へ、小説の話を一方的に投げつけていた。月に五万年前の、人間の遺骸が見つかったというSF小説。例のごとく篤はそれについて無知だったが、そういった事柄でも雫から話を聞くときは好奇心をもって耳を傾け、しっかりと記憶するようにしていた。読んでみようか、という気にすらなっていた。彼女の話が篤は楽しみだった。
「それだけ推すって事は、相当面白いんだろう」篤が言った。「ちょっと読んでみたくなったよ」
「なんかごめんね」
「どうして謝る」
「私ばっかりだったから」雫は自嘲した。「悪い癖なの。好きなものの話になると、つい一直線に、我を忘れて乱射してしまうんだ。何回かそれが原因でフラれちゃって」
「君の話が悪いんじゃないさ」篤は宥める口調で言った。「単純に、興味がなかったんだろう。雫の話したい議題に。そして興味を持とうともしなかったから、距離を取ったんだ」
「おかしな話よね。全部。笑えないジョークくらい性質が悪くって、はっ、逆に笑える。向こうから「好きだ」って言ってきたくせにさ」雫は言った。「でも篤さん、詳しいね。同性だから、そういう事って推測できるものなの?」
「いいや」篤は流転する景色を見た。「俺もつい最近まで、そっちにいたから。……興味を持とうともせず、勝手に色々な事に失望した気になってた。でも雫、君の話を聴いていると、興味を持てる。どうしてかは分からないが。……多分、声とか、話し方が合ってるんだろう」
「変なの」雫は俯いて言った。「でも私の声、ちょっと低いでしょ? 他の子と比べても、女の子らしくないし」
「他の奴がどうかは知らない」篤は雫を見た。「俺が好きなだけだ」
ハッと雫が顔を上げ、それから片方だけ口角を上げた。
「そう言えばこの前観た映画で……」そこまで言ったものの、言葉を続けられなかった。その代わりに彼女はハンドルを両側からしっかり押さえると、一気に回し始めた。
「お、おい」篤が叫んだ。「約束しただろ、回すなって」
「そうだっけ」わざとらしく笑う雫。「見てよ、あっちの係員。凄い顔してるよ」
篤はその係員を見て言った。
「俺も同じ顔をしたいところだ!」
ようやく満足した雫はハンドルから手を離した。息切れしていて、髪は均整を欠いていた。
「『お、おい』だって」雫は篤の言葉を思い返して笑い出した。「面白かったぁ。篤さん、本気で慌ててるんだもの。新鮮だね」
「……」
「あー、篤さん? 悪かったよ、調子に乗っちゃって。つい」
するとそれまで無言を貫いていた篤がハンドルを握り、雫の時とは比にならない速さで回し始めた。その遠心力は雫が若干怯えるほどだった。
「お、おちる」雫が叫んだ。「目回る」
「掴まってろよ」篤は高笑いしていた。あまりに、自分がこうしていることが笑えた。
規定の時間が終わった。カップが徐々に動きを鈍くして完全に静止すると、職員が数名青ざめた顔で飛んでくる。篤と雫は慌てて飛び降り、闘牛に追われるマタドールのように柵を越えて逃げた。
「もう最低」自販機の側面にもたれかかりながら雫が言った。その顔は湧き上がる笑いで溢れている。「あれだけ口酸っぱく注意してきたくせに」
「先に破ったのは雫だろ」篤も同じく笑っていた。「自業自得だ」
「変な汗かいちゃったじゃない。着替え、持ってくればよかった」
「何なら土産物屋で盗めばいい」
篤がそういうと雫が噴き出す。釣られて篤も自爆し、二人は腹を抱えて笑った。
「もう立派な強盗団ね、私達」涙をぬぐう雫。「しかも犯罪してる感覚が段々薄れちゃって、当たり前になってきそうでさ。あ、見て。次はあれ行こうよ」
篤が雫の指さす方を見やると、そこにはお化け屋敷があった。
「あれ、は……」
歯切れが悪い篤に雫は首をかしげた。
「どうしたの。お化けが怖いなんて年でもないでしょ」しかし応答がないため、彼女は察した。「まさか怖いの」
「俺は待ってるから、行ってくるといい。俺も行きたいんだけどな。さっきので腕をやられた」
「怖いんだ」
「怖い? 俺が? お化けを?」だんだん篤はムキになっていった。「まさか。あり得ない」
「そういえば入り口近くにゾンビのホラーなアトラクションもあったよね」
「それがいい。そっちに行こう」
「ど、どうしてゾンビは大丈夫なの?」
雫の声は笑いに震えていた。
「誤解してる。それだとまるで俺がお化けが大丈夫じゃないみたいだろう」
「じゃあ説明してよ」
「……昔、通運に入りたての頃上司に訊いたんだ。ちょっとした好奇心ってやつで」
『信伊奈先輩』
『ん、君は確か新入りの……』
『関堂篤と言います』
『そうか。もう俺たちの名前覚えたのか。勉強熱心だな。何か用か』
『その、俺たちの仕事は魂を回収することですよね』
『〈玉〉、な。特運の事務所ならいいが、あそこから一歩出たら――ここみたいな通運の敷地内でも――口にしない方が良いぜ』
『す、すみません』
『じゃあ続けてくれ』
『お化けっているんですか』
『……は?』
『実は今まで自分はお化けというものを信じていなかったのですが、ここに入って、たま――玉の存在を知ってしまって、思ったんです。玉があるなら、もしかしたらお化けも現実に居るんじゃないかって』
『ははぁ、なるほどな。……ふふ』
『同僚に訊いても分からないの一点張りでして。それなら先輩の誰かに訊いた方が確実だろうと』
『いるぜ』
『え!?』
『なあ、考えてもみろ。外の世界じゃ形而上学の存在である玉が、こうして存在していると立証されているんだ。眼や顕微鏡で見えないものだとしても、存在しているんだ。エーテル、心、気、とにかくどんなものでも、唯物論的観点から否定することは一切出来ないのさ。なら、お化けがいない根拠が何処にある? それに……ここだけの話。俺の同僚には何人かお化けに襲われた奴もいてな。寝て起きたら首絞められた跡があったり、魔術治療使っても後遺症残る精神病抱えたり、散々な目に遭ってる。お前も気を付けたほうがいいぜ。十中八九、奴らはいる』
『そ、そんな……』
『対抗策を教えてやるよ。噂じゃあ幽霊ってのは、コーヒーの香りに弱いらしい。毎朝豆を挽いて、しっかり高い機器使ってる奴の所には来ないんだと』
話を聞いた雫は内容をしっかり反芻したうえで、結論を出した。
「……篤さん、それ騙されてるよ」
「ああ。知ってる」
「えっ」
「半年前に本人から訊いたんだ。それで幽霊に効くのはコーヒーじゃなくて、カナリアの鳴き声だって言われた」
まさか、と雫は腕組をした。
「一応、確認したいんだけれど、今家にカナリアいる?」
「ああ。逃がしたけどな」
「いつから?」
「半年前」
予測と寸分狂わぬ答えが返ってきて、雫は頭を抑えた。
「………………わかった、実はね。私知ってるの。本物のお化けって、作り物のお化け屋敷には絶対来ないらしいわ。お化けにも自尊心みたいなものがあってね、彼らを模した模型とか人形を嫌うんだって」
篤は眉一つ動かさずに即答した。
「いやそれは嘘だろう」
「なんで私のだけ信じないのよ」
「本当に大丈夫なんだよな」
半ば強引に説得、連行されてきた篤は、かろうじてお化け屋敷の入り口脇へと逃げ込んでいた。
「心配ないって。さっき出てきた馬鹿ップル見たでしょ。笑ってたじゃない」
「中でお化けに脳をやられたのかもしれない」
「はあ」頑なな篤に、雫もとうとう諦めた。「わかった、それじゃあ私だけで行ってくるから。篤さんはここでお留守番ね」
「駄目だ」
「なんで」
「雫だけなんて危険すぎる」
埒が明かない会話に雫がいら立った素振りを見せた。
「じゃあどうしろと」
「面白半分で干渉するから害を被るんだ。行くな」
彼女は無表情になって、肩から力を抜いた。
「いいえ。行く」
そう宣言した直後、入り口から右側に設けられた出口から男子学生と思わしき二人組が出てきた。口をポカンとだらしなく開け、顔は青ざめていた。
「見ろあの客を」篤がその二人を指した。「きっと魂に霊的な攻撃を受けて、感情の全てを奪われたに違いない……あっ、おい」
熱心に説明する篤の腹部を小突いて、雫は勝手にお化け屋敷の中へ入って行ってしまった。「いくじなし」と言い残して。




