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異世界転生はもうつまらない  作者: 水中昌&槙宮みあ
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22話 『紅いコートの女』

 かつてない静かな買い物を終え、二人は街から離れた山道を進んでいた。車内では雫の好きな映画の話で盛り上がっていて(もちろん篤は観た事ない作品だ)、彼女があらすじを聴かせ、篤が感想を述べるといったものだった。そしてそれが七作品目に突入しかけた時、篤の頭に混濁が生じて、やがて苦痛に変わった。彼は顔をゆがめながらも木々の真下にある路肩へ車を停めた。


「どうしたの」篤の肩に、雫は重さを感じさせない力加減で手を乗せる。「具合でも悪い? ひどい顔色よ」


「めまいが……少しだけ。悪いが、五分だけ休ませてくれ」


 篤は車を出る。昼だが外は寒かった。彼は煙草をくわえて火をライターで点けた。その炎の赤を見た途端、背後から視線を感じた。振り向くが、森の隙間を通るアスファルトが右に傾いているだけで、なにもいない。


「赤色」篤は呟く。額には冷汗が光っている。「どこかで見た……そうだ、あの時の」


 紅色の服を着た女性の姿が、どういう訳か今の彼の脳裏から離れようとせず、付きまとっていた。雫の代わりに死んだ女。その魂を、世界の何処かで箱詰めにされている女。名前を坂本詩音と言ったが、その名を篤が思い出すことはとうとうなかった。しかしその姿、今際に流した血と手のひらの中の絶叫は、まだ彼の中に生きている。そして今再び蘇り、彼に怨嗟を晴らそうとしている。 


 煙草の燃える巻紙にすら彼女を見た篤は震駭し、丸々一本残っていたそれを何度も踏みつけた。その様子を見た雫はすぐさま車から出てきて、「本当に大丈夫?」と言った。雲に日が隠れ、辺りは影で満ち、さらに冷え込んだ。


「ああ」と篤は答えるが、直後に両手が痙攣していることを把握して口を噤む。


 雫は彼の手を取り、痙攣を確認する。それから懸念に眉尻を下げて彼の顔を見上げた。


「こんなに震えてるのに」雫の声もかすかに震えていた。「車に戻った方がいいわ。暖房をたくさんかけないと。毛布も買い込んだでしょ、帰ったらあれにくるまってて。料理なら私が用意する。あとは……」


 篤の顔が硬直し、瞼は勝手に細まっていく。口元は引き締まり、目元に熱が込み上げてくるのがわかった。だが彼は堪えて、それらの異変を押しとどめた。


「どうしたの」雫が言った。「篤さん。ねえ」


「もう大丈夫」篤の言葉を裏付けるように、彼の手は落ち着きを取り戻していた。紅い女も日を改めたのか(消滅したわけではない、と篤はなぜか悟っていた)、どこかへ去っていた。篤は「ありがとう」と口早に言い、雫を車内に戻した。もう一度煙草に火を点ける。今度はフィルターの目の前まで吸えた。


 車に戻って吸い殻を捨てると、篤はハンドルを握り――しかし発進はしないまま――、スーパーの前でやっていたようにビートを刻み始めた。彼が緊張している時に行う無意識な癖なんだ、と雫はこの時気が付いた。彼女はあえて待った。ここで追及しても、彼を追い詰めるだけのような気がした。仮に無言のまま車を発進させるなら、それはそれで構わなかった。彼女はシートベルトを締めてシートに体を預け、ダッシュボードで点滅する方向指示器を眺めた。

 篤の手が動きを止め、ハンドルから離れた。


「言っておきたいことがある」彼は雫の方を見たが、視線はそらしていた。「二週間前、俺はターゲットでもない女性を殺した。雫、君と初めて会った日に」


「どういうこと?」あの夜を思い出しながら雫は訊ねた。


「〈ソウルカプセル〉を空で提出するわけにはいかない。何かで埋まってなければ、受け取ってすらもらえない。……だから殺した。紅いコートを羽織ってて、名前は――思い出せないが、路地裏に引き摺り込んで、首を切った。ノルマ達成の為、自分の保身のために。そして今でも、その亡霊を見るんだ」


「どうして、その話をしたの。黙ってれば、私は多分、一生知ることはなかったのに」


 彼女は責任を感じていた。自分を殺して、などといってみる癖に自ら死ぬ勇気はない。私の臆病が見知らぬ女性を殺してしまったのだと。


「話さなくちゃいけないと思ったんだ。雫には、隠し事なんてする意味が無いと思った」


「正直な人って素敵」


 ふふっと雫が笑う。篤は照れ臭くなって顔を隠した。


「からかうなよ」


 すると雫は大成功、とばかりににやついた。


「あっ、私一言も篤さんって言ってないのに?」


「…………やられた」


 空はオレンジに燃えていた。斜陽は行く手にあり、光が突き刺さるようでもあった。

 雫は目を細めた。街の端まで来たとき、大きな観覧車が見えた。夕日に照らされたそれはゆっくりと回転している。斜陽を受けて輝くさまはまるで街を見守る灯台のようでもあった。


「篤さん」ぽんぽんと彼の足を叩く雫。「明日は遊園地に行こうよ」


「どうして」


 雫はにこりと笑って答える。


「正直になっただけ」


 それを聞いた篤は笑う。つられて雫もまた笑った。

 明日の予定が決まった。


 空き家に到着し、篤はエンジンを切った。


「それじゃあ運ぶか。重いのは俺がやるから、雫は適当に軽めのを頼む」


「分かった」彼と同時に降車した雫は、さっさと作業に取り掛かろうとする篤を呼び止めた。「あ、待って」


「ん?」


「はい」迂回して彼の元まで行き、後ろ手に隠していた手袋を差し出す。「これ」


「……俺に?」


「車に渡してるように見える?」篤が受け取ると雫は一礼した。「どういたしまして」


 二人は四十分かけて戦利品を屋内へと運び込んだ。




「都内だけじゃない。ありったけの監視映像、スマートフォンを漁るんだ」情報課のエンジニアたちに檄を飛ばしているのは亜厂だった。篤が裏切って、追跡チームの指揮権は彼に任されていた。「完璧に逃亡することは不可能だ、特運の名誉にかけて、あの裏切者を何としてでも……」


「亜厂さん」すっかり疲弊した情報課の男がモニタールームに入って来て、申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみません。命令された通り調べたんですが、手掛かりはなにも」


「くそっ!」亜厂は言った。「……念のため、もう少し調べておいて欲しいっす。絶対に手がかりはあるはず……見落としているのか……」




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