21話 『窃盗及び器物破損』
姿を消して万引きをするうえで、注意すべき点はたくさんあった。まず大前提として、他者とぶつかってはならない。そして狭い通路では、商品や棚に引っかからない様注意すること。これは認識阻害の特性上、使用者と着用している衣服類は消えているが、そうでない物体に関しては干渉できてしまうからだ。
よって篤が考案した作戦は、誰にも何にも触れず、目当ての商品の目前まで行き、それに触れ、指輪から認識阻害の範囲拡張操作を起こす――触れている商品も消してしまうというものだった。あとは商品を大事に抱えて、誰かが出入りするタイミングに合わせて出て行き、車に詰め込む。それの繰り返しだった。
運転中の車内で篤は雫に行動を共にしようと持ち掛けていたが、「効率悪いよ、そんなの。私がドジやると思ってるんでしょ? 心配しないでいいから」と断られていた。図星だったので結局押し切られてしまう形になったが、別行動の方が都合がよいことが分かってきた。そう広くない通路、至る所に飛び出して積み上がった安売りの商品、行き交うショッピングカートたちを潜りぬけるには、確かに一人の方がよかった。
篤たちはまず、最優先である食料を頂戴していった。カップ麺などのインスタント食品が中心だったが、肉や刺身も抜け目なく入れた。外の気温なら保存もできるし、長期戦を見越して栄養の偏りも防がなければならない。篤が車に戻る度、雫が選んできた商品が増えていた。事前の取り決めだと彼女は飲料と野菜類担当だったのだが、それらに埋もれて大量の化粧品や歯ブラシなどがあった。
衣類に手を付け始めた彼は、下着や動きやすい恰好のパーカー、目についた適当なTシャツたちをかき集める。センスの欠片もない、完全に無作為な選択だった。両手が重くなったのでいったん戻ろうとした際、女性ものの衣類コーナーを通りがかった。人生で全く気に掛ける必要のなかった区画だったが、彼はしばらく立ち止まった。それからマフラーを三本ばかり、悩みに悩んで見繕った。
搬入も十度目を超え、車もそろそろ限界に近づいている。中は重なるクーラーボックス、インスタント食品、衣類の山で一杯だった。切り上げ時だな、と判断して、篤は雫が盗品を抱えて戻ってくるのを待った。しかし三分待っても戻ってこない。万引きのサイクルから考えて、一度は戻って来てもいいはずだ。彼は焦りを覚えて、彼女を探しに行った。
彼女は二階の、衣類コーナーにいた。
「あっ、篤さん」雫はこっちこっち、と叫んだ。「ちょっと助けて」
フロアの隅っこに立っていた彼女は、退路をショッピングカートによって塞がれていた。一々返却するのが面倒だった客が乱雑に置いていったのだろう。奇跡的に彼女が見つかることはなかったものの、少しでも身じろぎすればカートに触れてしまい、近くのレジに立つ店員と、一角を映した監視カメラに気付かれてしまう状態だった。
「……何があったんだ」
「コーディネートをあれこれ考えてたら、つい夢中になっちゃって」あはは、すみません。とふざけて謝る雫だが、直後に言い直した。「いや、本当にごめんなさい」
「ちなみに、その両手の大荷物は消してるんだよな?」
ヤギの体毛がごとく服を大量に抱え込んでいた雫は頷く。
「よし」篤は言った。「それなら何とかなる。……動くなよ」
篤はどこかへ走っていき、戻ってきたときには箒を携えていた。そしてそのまま監視カメラの真下まで行き、振りかぶった箒を叩きつけた。カメラは無残に天井から落ち、それを見ていた店員が慌てて駆け寄ってくる。
「今だ」言われた通り微動だにしなかった雫の元へ戻った篤は、監視の目が無い事を確認し、カートを動かして彼女を救出した。
「ありがと」
「どういたしまして。さあ逃げるぞ」
車に戻った二人はしばらく無言に浸っていた。雫は大犯罪をやってのけた怪盗にでもなった気分で、正面の犯行現場を繰り返し見ては、ペントハウスから摩天楼を見下ろす大富豪のような顔をしていた。一方で篤は、未だかつてない、仕事では味わえなかった達成感を味わっていた。ワクワクしたし、絶えず緊張に触れ、積み上がっていく成果に心躍った。大和通運では違った。期待も緊張も希薄で、積み上げた死体をデータ化したものが成果だった。彼は既知の認識よりもさらに、あの組織は狂っていた、と思った。盗みを働いて、ようやくそう思えた。
「やったな」篤が言った。「見ろよ、バックミラーが何も見えやしない。宝の山だ」
「もう、やばい……」雫は篤の手を握った。「今まで生きてきて、最高に気持ちが良いよ。ドラッグをやった事はないけれど、中毒になっちゃいそう。今ならとっても分かる。毎日できるなら、私きっと、これを日課にしてた」
「よし、帰ろう」篤がエンジンをかける。「帰って肉でも焼こう」
「あなたってホント最高」紅潮した頬を雫は篤に寄せた。「お肉焼いて、食べて。その後は?」
「話し合おう」と篤。「これから先の事を」
「……そうだね」雫は言った。「帰り道は気を付けて。私も後ろ見ておくけれど、本来危ないんだから。こういう運転」
「気を付けるよ。……そうだ」あからさまな表情を浮かべた篤は、後ろへ手をやり、隠しておいたマフラーを握ると、雫の首に巻いてやった。雫は反応もせず、しばらく赤と黒のチェックに見入っていた。
「これ……マフラー?」
「好きな柄じゃないかもしれないが」
「ううん……」彼女は口元までマフラーを引き上げた。「あったかいよ」
「それはそうだ。マフラーなんだから。……盗品で悪いな」
「いいの」咄嗟に顔を左に向けて、彼女はシートにもたれかかった。「ありがとう」
「いつかもっと良いのを買ってやる」
何気ない篤の言葉に、雫はマフラーを握る力を強くする。
〝いつか〟を想像してみた。場所は、ヨーロッパあたりだろうか。海が見えて、斜面に家々が建ち並んでいる。遠くには港に並ぶ漁船たちが、優しい波に揺れているのがわかる。二人ともすっかりそこになじんで、日常を手にしている。篤が露店で鮮やかなマフラーを見つける。店主に金を握らせて、それを贈ってくれる。ありがとう、と言えば、むかし約束しただろ、と返ってくる。そして二人は石畳の上を、並んで家に帰っていく。
なんて、なんてご都合主義で、面白味に欠ける脚本なんだろう。映画にしたら、批判が嵐のように飛んでくるに違いない。批評家は「産業的で時代遅れ」、とこき下ろした記事を書き、観客の記憶から――恐らく夕飯あたりには綺麗さっぱり消えてなくなるだろう。
でも――なんて素敵なんだろう。
自分にすら聞こえない声で、雫は「どうして」と言った。
どうしてそんな世界は、ここにないのだろう。肉体は魂の牢獄だと信じていた。むろん、今でも信じてはいるけれど、私がそう考えてしまうのは、魂を閉じ込める肉体すら、生まれ落ちた場所、海に一人ぼっちの列島という檻に閉じ込められているからではないの? 私はどうして死にたかったんだっけ。そう、転生したかった。生まれ変わって、今度こそ自由になりたかった。自由ってなんだっけ――今はいいでしょ、考えなくて。生まれ変われば、私はきっと変われる。この肉体も精神も大嫌い。眉毛は右だけ少し短いし、おっぱいは左がちょっと重いし、おまけに乳首のすぐ隣にほくろがある。指の長さは左右で違うし、中途半端な内二重だ。同級生に合わせるためにクソ以下のドラマを見てしまうし、本当に話したい話題を飲み込んで、二学年上の先輩がトイレで孕んだなんて与太話に喜々として加わるふりをする。男とも、キスは数えきれないほどしてきた、と思う。でもセックスはしてやらなかった。母親の教育が良かったのか悪かったのかは分からないけれど。とにかく本音で語り合える相手としかする気はない。――こんな欠点ばかりで、よくも今日まで生きてきたものね。
でも。
でもね。
今日という日は人生で一番楽しかったよね、雫。あんなに心の底から笑えたんだもの。初めて、想いが詰まった贈り物をもらった。生きることって、篤さんが隣にいることって実は、とても素晴らしい奇跡じゃないの? 彼さえ受け入れてくれるのなら、この世界での未来を考えてもいいんじゃないの? いや、駄目ね。きっと。上手く行くはずがない。敵に回したものが大きすぎた。篤さんから連中の話を聞けば聞く程、分かる。逃げ延びる可能性なんて、無きに等しいんだって。魂を抜き取られるため、死ぬために私は在る。
〝死によって還元が完了する〟。
だから、止めておきなさい。夢に縋るのは。夢を見れば見るだけ(分かってはいるけれど)現実が重くのしかかってくる。こんな生活がいつまでも続くわけがない(そんなことは分かってる)。一年? いや、数日かもしれない。もしかしたら帰り道に事故に遭って二人とも路上に散らばるかも。そんなバカげた――明日をも知れぬ身で、数年先を考えることに意味などあるのかな。ないかも。だとしても考えてしまう。未来に灯っている何かに辿り着きたい(駄目よ、それ以上は)と願ってしまう。夢見る権利はノラ犬にだってあるべきじゃない。ドブネズミにだって、明日の食事の夢を見たって良い。ハロウィンの王だってサンディクローズになる夢を見たっていい。デッカードだって電気羊の夢を見たっていい(戻れなくなる)。(うるさい!)私だって――私にも――
篤さん。全部、あなたが殺してくれなかったせいなのよ。
将来なんてどうでもよかった。
命なんて捨ててしまいたかった。
そう、だったのよ。




