17話 『清算』
二週間の休暇を終えた篤はそれまでと変わらず会社に向かった。始業十五分前には運搬部に着く。普段通りの出社時間だ。朝は六時に起きて、コーヒーを淹れて新聞を読んだ。カナリアへの餌も忘れなかった。篤は日々のルーティンを取り戻していた。
黒江雫のことはきっぱりと断ち切った。いずれまた彼女の計画は実行されるだろう。だがそれに自分が関わることはない。なぜなら再度その計画が実行されるということは篤の失敗が上層部に知られたということだ。一度失敗した人間に同じ轍を踏まれてはたまったものではないだろうから。邪魔をされる可能性も考慮して篤の耳に二度目の殺害計画という情報すら入ってこないだろう。例え篤がそれを知ろうとしても、誰も口を滑らせることはない。運搬部に所属するものは同じ組織の人間であろうと気を緩めることがあってはならない。裏切り者の可能性を常に頭の片隅に置いておかなければならない。もっとも、べらべらと自分の仕事を喋るような人間はここには採用されないだろう。
運搬課の部屋に入り自分のデスクに座る。二週間前と変わりなくデスクは綺麗に整頓されたままだった。
課長に「関堂」と名前を呼ばれる。課長の芭墨は自分の椅子に座ったまま篤を見据えた。
「おはようございます、課長。俺は、今日は何をすれば?」
その言葉を待っていたというばかりに口角を上げると、デスクの引き出しから封筒を取り出す。新たな計画の始まりが告げられた。
篤は立ち上がり、課長の前に行くとその封筒を受け取る。
「人手が足りないのはいつものことだ。優秀な社員をいつまでも休ませておく余裕はない」
運搬部はその仕事内容のため、雇うことのできる資格を持つ者を選別する。そして選別する以上、採用できる人間は多くはない。運搬部はいつだって慢性的な人手不足。それは東京支部に限った話ではなくどこでも、本部でさえもだ。
「目を通したがお前なら休暇明けでも完遂できるだろう。会議は午後だ」
言うと課長は席に戻れと手を振った。
封筒を開き中身の書類を取り出す。ターゲットは斉藤太郎、三十五歳。入社一年目で仕事をやめて以来、コンビニでアルバイトをして生活費を稼いでいる。築数十年の安アパートに一人暮らし、アルバイトで外に出る以外、家に籠ってネット三昧。典型的なターゲットだった。それは殺しやすいという意味ではなくターゲットによくみられるタイプ、という意味だ。わざわざ殺害までして魂を奪うというのにその労力に見合うターゲットは少なかった。篤の中で労力に釣り合うだけのターゲットは今までで二人しかいなかった。八年間仕事を続け、数百の計画を実行してきて、だ。
仕事を始めたばかりの頃は疑問だった。仕事は危険と隣り合わせで、費用対効果なんてとても釣り合っているようには思えなかった。それが金銭をやりとりする事業だったなら大赤字もいいところだ。一度、芭墨蓮次郎に聞いたことがあった。当時の芭墨は課長ではなく、篤の教育係を担当していた。篤の問いに芭墨はこう答えた。
「そんなことを考えるのは無駄だ」と。
納得も理解もいかぬ答えではあったが、篤はそれ以上口を開くことはなかった。そして実行した計画が両の手では収まらなくなるころに芭墨の言葉を理解した。
回収する魂の価値など自分たちには理解することができないのだと。運搬部はただターゲットを殺し、魂を運ぶだけだ。それを利用するのは神であって我々人間ではない。魂の価値はそれを利用するものにこそ推し量れるのだ。生きている人間が死を推し量ることが未だ出来ないのと同じように、魂の価値はそれに生かされている我々には推し量れない。それは生きるという状態を作り出すものであって、それが我々の限界である。他の用途や別の価値を見出すのは埒外だ。
それ以来、篤は仕事に疑問を持つことはなくなった。ただ典型的なターゲットとしか感じなくなった。いつも通りの手法でいつも通り殺すだけだった。
会議は滞りなく進んだ。採用された計画は前々回のターゲット、鈴ヶ嶺聡とほとんど同じだ。アルバイトから帰宅途中のターゲットを式神で釣りトラックで撥ねる。実にシンプルで運搬部ではポピュラーな殺害計画だ。幸いなことにターゲットの斉藤太郎の労働時間は夕方から深夜にかけてで、帰る時間帯とそのルート上は人が少なかった。
翌日、関東に大型台風が直撃した。ニュースで散々報道されていた台風は数十年に一度の規模だったそうでインフラに大きな爪痕を残し、交通網を麻痺させた。おかげで計画に必要なトラックの仕入れが大幅に遅延、実行は一週間繰り下げられた。
七日という間をおいて実行された計画は、はたして成功した。タイムスケジュールのずれは一分だった。復帰直後でも仕事の成果は十二分だった。黒江雫という存在を切り捨てた篤は日常を取り戻した。心残りもなく、仕事は完璧に近い。安寧の今日が明日も続く、そんな日々を取り戻した。
篤がデスクでパソコンに向き合い斉藤太郎の計画レポートをまとめている時だった。
「関堂篤、監査課だ」
運搬課の入り口に監査課の信伊奈安平が立っていた。いつかこの時がくることはわかっていた。監査課に呼び出される理由は一つしかない。黒江雫の殺害の失敗および第三者の魂の回収とその偽装。上層部に裏切りと判断されても仕方のないことだと思っていた。自分はしかるべき処罰を受ける、その覚悟はできていた。課長を見ると顎でくいと信伊奈の方を示す。おそらく課長も知っていたのだろう。だがその素振りは一度も見せることがなかった。
「失礼します」
課長に向かって言うと信伊奈に連れられて監査課へと向かう。
「こうなるとは思っていたよ」と歩きながら信伊奈が囁く。
「俺の落ち度です。抹消でも受け入れます」
信伊奈の顔は見なかった。篤はまっすぐに監査課を見据えて歩く。
「上には俺が一言言っておいた。実は処罰はもう決まっててな、減給と謹慎、あとはおまけで監査課のきつい取り調べだけさ」
監査課と書かれた扉の前に着く。
「気は張っておけ。態度次第じゃ処罰は別のものになる」
信伊奈が扉を開ける。監査課に入る。取り調べの部屋は簡素だった。会議机が四角形を成していて、椅子がいくつか置かれている。そして部屋の隅に大きな書類棚が置かれているだけだ。
監査課長のほか五人が椅子に座っていた。篤の顔を見ると手で近くの椅子を示す。篤と信伊奈が着席すると取り調べが始まった。
監査課の役割は運搬部を客観的な視点から監督することだ。裏切りの兆候や組織の協調を見張る人事評定を主な仕事としている。
「なぜ呼ばれたかはいうまでもないな」
監査課長の言葉に篤は頷く。
「私は黒江雫の殺害に失敗し、全くの他人の魂を回収、それを偽りました」
信伊奈を含めた六人の監査課が課長の顔を見て頷く。認識の共有を確認した監査課長は話を続ける。
「それがどういう意味を持つか分かるな、関堂篤」
「はい、出雲への裏切りと捉えられてしかるべき問題です。どのような処罰も覚悟しています」
信伊奈は処罰はすでに決まっているといった。しかし監査課長の一任でそれを変更することは可能である。反省や自覚のない態度をとればこの部屋が瞬時に篤の墓になるだろう。
監査課の役割には抑止力としての機能がある。それは魔術課と零課という強力な部隊を持っている運搬部のセーフティとして働く。仮に裏切りや反乱が起きようものなら監査課が飛んできてそれを鎮圧する。そして監査課の人間はそれをできるだけの力を持っているものが登用されていた。篤程度では相手にすらならない。まさしく戦いの次元が違う人間たちだ。
「本件をわれわれ監査課は重く受け止め、貴様への処分を、「抹消」が妥当とした」監査課長は篤を書類から目を上げて篤を見た。彼は微動だにしておらず、その表情に困惑も恐怖も浮かんではいなかった。
「だが上層部から、貴様のこれまでの貢献を加味したうえで内容を変更せよと通達があった。……謹慎三ヵ月および給料の減額三年間がお前への罰だ。上の方々には、せいぜい感謝しておくんだな」
「ありがとうございます。皆様のご慈悲、痛み入ります」
頭を下げると机にごんとぶつかるが気にしない。
「委細は芭墨課長に聞け。以上だ」
篤は立ち上がり扉の傍まで来るともう一度深く頭を下げた。そして監査課の部屋をあとにして運搬課へと戻る。拍子抜けするほどあっさりと終わってしまった。きつい取り調べが待っているという言葉は信伊奈が気を利かせたのだろう。監査課の取り調べは本来なら一時間は続き精神を削り取られることで有名だった。もっと悪い噂だと、入ってそのまま出てこれない者もいたらしい。常に気を引き締めるに越したことはないのだ。
扉が閉まり関堂篤を見送ると、監査課長は篤の書類を隣の部下に渡した。
受け取った部下は隅の棚に向かい、物理的な施錠と魔術封印を施し書類をしまった。
「信伊奈。お前に話がある」
「はい? 何でしょう」
信伊奈は思わず頓狂な声が出る。
「これだ」
監査課長はスーツの内ポケットからボイスレーコーダーを取り出し机の上に置いた。信伊奈は目を丸くした。その反応を見て再生ボタンが押される。録音されていたのは信伊奈安平と関堂篤の会話だった。それも、篤が黒江雫の計画に失敗した直後の。
再生が終わると監査課長が口を開く。
「お前はあれの失敗を知っていて、それを隠したな」
「さぁ、昔のことですのでねえ」と肩を竦める信伊奈。
「関堂篤の裏切りともいえる失敗に上層部が甘い処罰で済ませたのも、お前の口添えだ」
「一介の監査課の人間にそんなコネがあるとお思いで?」
「今日のこの席はお前に対する取り調べも兼ねている」
「兼ねている、のではなく……本命は私でしょう。光栄ですね、〝本命〟とは中学校以来縁がなかったもので」
無給休暇の篤は家で暇を持て余す生活を送っていた。朝コーヒーを淹れて新聞を読みカナリアに餌をやる。日課は変わらず続けているが無趣味の彼には、それ以外やることがないということだ。車の整備も毎日やるようなものではないし、トレーニングも三日に一回のペースで続けてはいた。しかし一日は長く、コーヒー、新聞、餌やり、トレーニングだけで終わるのはせいぜい午前中くらいのものだった。かといって新しいことを始めたりする興味も気力も持っていない。ソファに座ってぼうっと日が落ちるのを眺めることが多くなっていた。仕事のない日々は空虚で、無意味にさえ思えた。
ビル群に太陽が隠れ始めた頃、携帯に着信が入る。亜厂からだ。
「俺だ」と通話に出る。向こう側からはいくつもの車の音と人々の喧騒が聞こえた。
「お疲れさまっす、亜厂っす」快活な声で亜厂が喋る。「先輩どうしてるかなーと思って掛けたんすよね。仕事してない先輩とかイメージ湧かなくて」
「予想通り何もしてない。仕事がないと退屈で仕方ないよ」
篤の言葉に亜厂は嬉しそうに笑った。
「やっぱり。こっちも先輩一人いないだけで大変なんすから。今日もこれから仕事なんすよー」
亜厂が仕事で弱音を吐くことは少ない。受注する計画がまた増えているのだろう。その最前線に立つ運搬課は特に人手不足だ。熟練の社員が一人欠けるだけで現場の負荷は倍以上になる。
「悪いな、迷惑かけて」
「今度飯でも奢ってくださいよー」
「ああ、店はお前が選んでくれよ」
「任せてください。あっ、値段に文句はなしで」
「こっちは減給の身だぜ」
「じゃ、これから仕事なんで」
「ああ、失敗はするなよ」
「つってもちょろい奴なんで余裕っすよ」
「そうか」
「先輩なんで話しますけど、二十一歳の女子大生。深夜に出歩く癖あり。楽勝ですよ」
「女子大生か。お前好みだろう」
「やめてくださいよ、標的とは寝ない主義なんで。今回の雫ちゃんって子も、早々にぐっちゃり潰しちゃう予定ですから」
「……雫?」
篤に動揺が走る。
亜厂のターゲットは黒江雫だった。




