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異世界転生はもうつまらない  作者: 水中昌&槙宮みあ
11/30

11話 『カフェ』

 

 カーテンから射す朝日に篤は目を覚ました。休暇に入って三日目の、土曜日の朝だった。気怠い体を何とか起こす。頬はやつれ瞼も重く目は半分しか開かない。壁を見て午前七時だと分かった。

 三日も経って結局、彼は未だ抱えている二つの疑問を解決できていない。


 まず、なぜあの女は、死にたがっていたのか。

 ずっと考えてはいたが、篤の持ち合わせる固定観念では到底理解できない領域の内容であり、やはり彼女の死にたがりに関しては要素のただ一つさえ不明だった。


 二つ目は、なぜ坂本詩音(さかもとしおん)の殺害に自分は既存のものとは異なる、違和感を持ったのか。

 これについては進展があった。仕事の枠を越えたという認識はあるものの、あくまで殺人は殺人。気負う事もなければ、懺悔するものでもないはずだ、と篤は考えていた。だが坂本詩音殺害について取り上げる際、最も重要な要素は、『利己的で私情の混じった殺し』であることだと思い至ったのだ。つまり胸に去来したあの締め付けられるような感情は、そういった殺人だからこそ沸き上がったのだと結論付けた。しかしそれ以上考察は捗らず、行き着いた先は新たな二つの疑問。


 結局、あの感情は何だったのか。そして、黒江雫とは何者か。


 コーヒーを淹れながら篤はひたすら後者、黒江雫について考えていた。それについてしか考えられなくなってしまった。テレビをつけてもアナウンサーの言葉が頭をすり抜けて、彼女の声を思い出す始末だった。

 彼女に会おう。会って聞こう。


 彼女の行動パターンは篤の記憶にある。会おうと思えば高確率で遭遇できるだろう。だが、実際に会っていいものだろうかという不安もあった。ターゲットにプライベートで接触したことがばれたらまずい。特に黒江雫の場合は。何せ殺すのに失敗したターゲットなのだから。直接会ったことが特殊運搬部に知られればまずいどころではない。最悪だ。

 訊きたいことはある。だがリスクが伴う。どうしたものかと考えながら冷蔵庫を開けた。なにか腹にたまるものを、と中身を見たが空っぽだった。休暇を取ってから今日まで碌に食べていなかった。乱暴に冷蔵庫を閉める。外に出て何か食べよう、帰りに買い物をして帰ればいい。篤は服を着替えて車のキーを取った。

 

 ゆっくりと車を走らせながら右へ左へ視線を動かし、あの店でもないこの店でもないと胃袋の指令に従って店を選定していく。そうしていると確信的な直感が背筋を駆け抜けた。

 〈カフェ・ネチェシェッタ〉。テラス席、湯気立つコーヒー、ホットドッグにパンケーキが見えた。現在八時前。朝食にはうってつけだ。篤は即決した。


 近くのコインパーキングに車を停めてカフェへ向かう。自然と足は早くなり歩幅も大きくなった。

 店に着くと店内は満席で、テラス席にも空きはなかった。コーヒー豆の香りで満ち満ちていた。席はカップルが半分以上を占めていて、他はスーツ姿の社会人やコーヒーと本を携えて孤独を楽しむ人たちだ。

 篤の四つ下の後輩、零課の女性がコーヒーには目がない人で、彼女とは会うたびにいつもどこの豆が良いだの今はあのカフェがアツいだのと話している。そんな彼女が間違いなく都内でも五本指に入る店だ、と豪語していたことを思い出した。

 だがその確固たる基盤のせいで人気が非常に高い店で、現状の通り混雑時は座ることすら難しい。カップが空の人間もいるが、そういった人種に限って読書をしているので当分は席を譲ってくれないだろう。それでも篤は迷わず注文を済ませ、商品の完成を空席が生まれることを望みながら待った。


 出来立てのコーヒーとパンケーキを載せたトレイを持つ篤は立ち尽くしていた。十五分は待ったはずだが、未だ空席は出なかった。どうしたものか、と窓際の席をうろつく篤。一人用の席にはスーツ姿の客が多かった。そろそろ出勤の時間だろう、どいてくれ。と気配をなんとなく漂わせながら歩くも、誰も意に介さなかった。皆自分のことに夢中だ。

 このままではせっかくのコーヒーとパンケーキが冷めてしまう。私の今月の給料かけてでもおいしさは保証しますよ、と言われて期待してきたのだが。


「……っと」


 一人の男と目が合い、篤は驚いた。その男は黒縁の眼鏡を掛けていかにもビジネスマンと言った風貌だったが、日本人ではなかった。ブロンドの髪を短く切りそろえ瞳は碧い。だが篤が驚いたのはスーツだった。その男が着ていたのはイタリアの有名なブランドものだったからだ。まじまじと見つめてしまった篤に、男は声を掛けてきた。


「どうぞ、私はもう出ますので、はい」


 流暢な日本語だった。たどたどしさがなく、全く違和感を抱かせないところが見た目と反して不気味だった。彼は立ち上がり、篤に席を譲って出ていった。礼を言う暇もなかったが、ありがたく席には座らせてもらった。トレイを置こうとすると新聞紙が目に入った。先ほどの彼の忘れものだろう。手に持って窓の外を見たが彼の姿はどこにもなかった。仕方ないと思い新聞に目をやる。二日前の朝刊だった。不思議に思いつつも篤は寝込んでいて読んでいなかったのでその忘れ物に目を通しながらコーヒーとパンケーキを食べることにした。


 コーヒーは苦みが少なくマイルドで飲みやすかった。しかし苦みがないわけではなく後味にきりっとした苦みを残し、飲みごたえを感じさせた。次にパンケーキにナイフを通した。生クリームをたっぷりと付け口に運ぶ。やわらかな甘みが波となって口内に押し寄せた。


 ごくりと呑み込み頷く篤。これは都内でも五本指、いやトップ三は堅いだろう。

 商品を味わいつつ、先客の忘れ物を読んでいく。見出しは都心の水道の民営化についてだった。国会で議論が白熱していると書かれていたが、有識者の意見では民営化などはするべきではないという。水道料金が上がるのは迷惑だな、と半ば他人事のように考えながら次のページを捲る。熊本の無農薬トマトが爆発的人気、郊外で増加する空家問題、いずれも大した興味を惹いてくれなかった。


 読み終えた新聞をたたんで篤は漫然と窓の景色を見た。皿の上には生クリームが名残惜し気に残っているだけで、コーヒーカップは真っ白な底を見せていた。


 これからどうしようか、と篤は考える。黒江雫の件は色あせることなく強大なまま、心に残っていたが、いざ彼女を探しに行くべきかどうか、その決断を下すのは難しかった。その事から逃れるように、そういえばカナリアに餌をあげていなかったと思い出す。初めての給料を何に使うかと悩んだ挙句、信伊奈に騙されるもとい遊ばれて購入したものだ。危険な仕事だし魔除け的な意味で、と自分では尤もらしい理由を付けて世話を続けていた。長い付き合いになりそうだったが、愛という情とは遠くかけ離れていた。篤は同性の友達にも女という性の対象にも執着することがなかった。ペットに愛着がわかないのも無理はない。


 すると篤に声が掛かった。


「あなたは」


 声のしたほうを見る。篤の心臓が大きく跳ねた。そこには仕事のターゲットだった女――黒江雫が立っていた。


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