10話 『先輩』
「二週間の休暇、ね。珍しいな、お前がそういう頼みをしてくるとは」
翌朝、冷静さを保つ魔術をかけてもらってから、篤は監査課――文字通り特殊運搬部の全般を監査する課だ――の信伊奈安平を訪れていた。二人は篤がここに就職して以来の仲だった。
「偶には羽を伸ばそうかと思いまして」
机を挟んだ篤の言葉に、信伊奈は彫りの深い顔でくすくす笑った。
「お前に二週間もかけて取り組むような趣味があったとは。車弄りだって数日あれば十分だろう。あぁ、いや別に責めているわけじゃない。取りたければ取っていい。なにせ実績があるからな。ただ個人的な興味ってやつだよ。休みの間、何するんだ?」
監査課が持っている空間の割合は他と比べてもかなり少ない。その代わりに区分が非常にはっきりしていた。ビニールカーテンで済ませている運搬や企画、清掃課と違い、厚い壁、屋根(魔術による防音加工付き)があった。個室も監査官の数だけ存在し、心行くまで監査官と会話を楽しむことが出来る。
「特に、何がしたいとかは……」篤は言った。「日常に不満はありませんし。ただ近頃働きづめだったもので、血を見ない一週間があっていいかなと」
「それを続けて二回も取ろうってわけだ」信伊奈が言った。書類をめくりながら唸って、うんうん、と頷く。「まあ、いいだろ。異世界転生させるのも楽じゃないしな。飽きが来るのは分かる。とはいえ二週間もあれば亜厂がトップになるだろうが」
「あいつの事ですから、俺が休んだ月で一位になっても喜ばないでしょう」
「ふ、だろうな。……それにしても、だ。せっかく二週間もあるんだぜ。関堂、お前もそろそろ何かに打ち込んでみたらどうだ。スポーツ、ヨガ、読書、映画、音楽とか。探してみれば沢山あるぞ」
「そういうのはあまり」篤は苦笑した。「家でのトレーニングくらいは続けますがね。小説とか映画みたいな創作物とかになると……」
「そうだよなぁー。普通そうなるよなあー」信伊奈が椅子にもたれかかった。「まだ人間ドラマとかはマシなんだが。SFとかファンタジーになると、どうしても事実との違いに目が行ってしまってなあ。「いや、神はこんな仕事やらないし」、とか、「魔術はこんな派手じゃないし」って突っ込んじまう」
それから二人は仕事の共通の話題で盛り上がった。だが篤は自分にかかっていた暗示の効果が薄れていることを掌中の汗で悟り、最も懸念している事柄について訊くことにした。
「その、最後に一つだけいいですか。安平さん」ああ、と返ってきたので、篤は続けた。これはただの好奇心から来る質問なんですが、と前置きを重ねて。「――もし目標とは違う魂を送ってしまった場合、その社員はどう処理されます?」
信伊奈の顔つきが引き締まった。
「まずそこに恣意的判断があったのかが焦点になるが」監査役は言った。「もしワザとなら、〈クビ〉は免れないだろうさ」
彼の言う〈クビ〉は、失敗者もとい行方不明者リストに名が載ることを意味していた。
「そう、ですよね」
篤の額に汗がにじんだ。
信伊奈は前のめりになって、机に両肘を置く。
「ただお前みたいに実績があって、かつ監査の人間ともつながりがあるような社員なら、多方面からの要請で恩赦が降りる可能性は大きい。俺の見立てで三か月の謹慎、が妥当な線ってところだ」
うつむきがちだった顔を上げて、篤は上擦った声でなるほど、と言った。それで信伊奈には十分だった。彼は体勢をそのままに、部下の彷徨う目を捉えた。
「篤――やったな? だから二週間なんじゃないか? 東京から魂がお上に届けられて、確認されるまでのおおよその期間も、同じく二週間だ」
眼の良い彼なら見透かしてくるのではないか、との篤の予測が的中してしまう形となった。深いため息ののち、信伊奈は訊ねた。
「誰だ。誰をやった?」
「坂本詩音、守志田地区のキャバレーで働いていた女性です」
「行方不明騒ぎになってたやつか」坂本詩音の名前は信伊奈も今朝の報道で聞き覚えがあった。反射的に彼は篤に、なぜだ、と訊いたが、直後に不要な質問だったとそれを無かったことにした。「失敗した、その身代わりって訳か」
部下は首を縦に振った。
「俺以外の誰かに話したか」と信伊奈。
「いいえ」
「確実だな」
はい、と篤が言ったのを境に、お互い沈黙した。信伊奈は顎に手を当てて考え込み、篤は視線をウロウロさせて、相手が何か言ってくれるのを待った。
「さっきも言ったが」ようやく信伊奈が口火を切った。「どうにか出来なくはない。ただし、今、全てを素直に上へ報告すればな。神様以外は――つまりは出雲の連中も人間だから、白状するなら早めが良いって事だ。後回しにすればするほど印象は悪くなるし、苦しくなるぞ」
その事柄は篤も寝ずにずっと考えていた。同時に、二週間を得た場合、どう活用するかも。結果、篤はその二週間を今現在抱いている疑問の解消に充てることにした。そしてその解消への欲求と、二週間を捨てて罰の軽量化を秤の皿に載せてみた。
「それでも、二週間が欲しいんです」篤は言った。「……ゆうべ坂本詩音を殺して、久しぶりに「人間」を殺した気がしました。あんな感覚、とっくに忘れていたのに……。初めて仕事をした時の、まだ右も左も分からない新入りに戻った気分でした。ですから、きっと今仕事をしようとしても、期待に沿える成果は上げられないでしょう」
見るからに不安定な篤を使うつもりは信伊奈にもなかった。もし篤が失敗を重ねるような事になれば、いくら彼が優秀だと評価される社員とはいえクビは決定的になり、信伊奈自身のキャリアにも傷が付くことになる。
「そういう事情なら……分かった。お前が俺に望むのは、沈黙だな」
「はい。二週間だけ、どうか」
篤は頭を下げた。信伊奈は書類上の事は俺がどうにかする、と約束してくれた。
肩の力がようやく抜けた篤が部屋を出て行くとき、監査役は篤を呼び止めた。
「二週間後、またこの部屋に来いよ。その時は、いつも通りのお前に戻っておけ」
「はい、そのつもりです」と篤は言って、「失礼します」と出ていった。
篤が出ていくと信伊奈は椅子にもたれ、ため息を吐いた。
「新入りに戻った、ねぇ。あの吊り下げた魔術は、そう簡単に切れるはずないんだが」




