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  ☆


 ぱたん。

 後ろ手にドアを閉める。

 休むも何も、襲われそうになったショックは、もうほとんど残っていない。けれど、違う理由で気分はささくれだっていた。

 誰も、私を見ていないんだ。アルもユーキもあのおじさんも、視線の先にいるのは私じゃない女性。

 そのせいで、関係ないことに巻き込まれて命まで狙われて。

 あ、なんか無性に腹が立ってきた。どいつもこいつも、水の精、水の精って……


 椅子に座ろうとして、テーブルの上の一輪挿しが目に入った。ピンクのバラの花が一輪いけられている、透明なガラスの花瓶。それを、じ、と見つめる私の眉間に、知らずしわが寄ってくる。

 むー。

 水の精の生まれ変わり。アル達にああは言ったけれど、実は、大変不本意ながら、心当たりが、ある。

 雨が降るのがわかるのも、泳ぎが異様に得意なのも、もしかして。


 私は立ったままバラの花を抜くと、それをそっとテーブルの上に置いた。

 試してみて、だめならだめでそれでいい。でも。もしできてしまったら。

 どきどきしながら、じっとその花瓶をみつめる。

 その中に満ちている、水。

 

 呼吸を整えて、視線だけに集中していく。

 ここしばらくずっと、体の中にぴりぴりした何かが渦巻いている気がしていた。それが今、意識することで徐々に一つにまとまって、体の中心で静かに凪いでいくのを感じる。

 ゆらり。

 みつめていた水の表面に、こまかい波紋が現れる。まるで、風が吹いたように。最初はゆっくりと、そして、だんだん激しく。

 見つめる視線に力をこめる。まばたきしない目の、その奥が痛い。

 透明な液体が、ゆっくりと空中に持ち上がってくる。ガラスの器はそのままに。

 ゆらゆらと揺れながら、それは不安定な球形を保っていた。ゆっくりゆっくりと、私の視線の位置まで持ち上がってくる。

 エアコンは効いているはずなのに、額に汗が浮かぶ。息が自然と浅くなる。

 しばらく小刻みに震えていた水の球が、ゆらっと大きく揺れて二つに分かれた。

 でも、そこまでだった。


 大きく息を吐くのと同時に緊張が一気に解けて、水の球は音をたててテーブルへと落ちた。

 呼吸が荒かった。その場に崩れるように座り込む。

 それができたことの達成感より、本当にできてしまったんだという唖然とした気持ちのほうが大きい。

 こんな力。私は本当に……


「奏子」

 突然、後ろから声がした。飛び上がらんばかりに驚いて振り返ると、いつの間に来たのかアルが部屋の入り口に立っていた。その目がいっぱいに見開かれている。

「アル!」

「君は……」

「黙って見てるなんて、ひど」

 みなまで言う前に、アルが飛びつくように私に抱きついてきた。

 う、わあ。

 鼓動が激しくなる。頬が熱い。

 混乱する頭で、ふいに初めて会った夜のことを思い出す。

 あの時も、アルはこうして私を抱きしめたっけ。


 私じゃない人の名前を呼んで。


「いや!」

 思いっきりその体を突き放す。私の力でできることではなかったけど、拒否の声に驚いたのか、アルが自分から体を離した。

 我に返ったように目を瞬きながら、アルがつぶやいた。

「早紀が来たから知らせようと……」

「早紀が?」

「ああ」

「……着替えてから、行くわ」

 視線を逸らして言うと、ぽん、と私の頭に暖かい手が置かれた。そのまま立ち上がると、アルは何も言わずに部屋をでていく。


 アルにとって私は……


 行かなきゃ。

 私は、力なく立ち上がった。


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