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☆
「奏子」
支度をして出ていくと、カウンターには早紀とユーキが座っていた。早紀の顔色は、昨日見た時よりはよくなっている。
「具合、どう?」
「うん。奏子、心配してたから、顔だけ見せに。ついでに、貸す予定だったCD、持ってきたわ」
「あ、ありがと。月曜には返すわ」
開店直後だけあって、店の中には誰もいなかった。アルは、何事もなかったようにカップを拭いている。私も、あえて何も言わなかった。
「まだちょっと、顔色が悪いね」
ユーキが、何気ないしぐさで早紀の首筋にかかった髪をはらう。うなじにかかるユーキの指先に、早紀は見る間に赤くなった。
「ちゃんとご飯食べて、よく休んでね。早紀ちゃんの明るい声が聞こえないと、この店も火が消えたようで淋しいよ」
柔らかく微笑むユーキに、早紀は真っ赤になって何も言えない。
「ユーキ……さん」
あきれたようにその様子を眺める。早紀も、たちの悪いのに惚れちゃったなあ。
からん。
入り口のベルが鳴ると同時に、反射的に背筋が伸びて笑顔になった。もう、体が覚えてるなー。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、大学生くらいの男の人。店内を一瞥して、入り口近くの窓際に腰を下ろした。うつむき気味に、待ち合わせでもしているのかそわそわと落ち着きなく視線を動かしている。
なぜ、気になったのかはわからなかった。その身にまとわりつく違和感。 その気配に。
覚えがある。この感覚は……
何も言わずに、ユーキがグラスとメニューを持って立ち上がった。早紀が、不思議そうな顔でそれを見送る。
その青年がこちらを向く。目があった。
すぐには、何が起こったのかわからなかった。
視界が、その瞳でいっぱいになる。体温が一気に下がった気がした。ううん、気のせいなんかじゃない。体が、冷たい……寒い。
景色が遠ざかって視界が暗くなる。自分の心臓の音が耳元で大きく響いた。
息ができない。
アルと早紀が私を呼ぶ声が、ひどく遠くに聞こえた。
「……!」
声が出ない。苦しい。胸に激痛が走る。心臓が、肺が締め付けられる。自分が倒れていくのを、他人事のように感じていた。
意識が失われようとする寸前、近くで何か強い力が爆発した気がした。
☆
ぱしゃん。
水音? 肌に感じる、ひんやりとした空気。
ここ、どこ?
なんだかぼんやりして、うまくものが考えられない。
足下を見ると、一面の水。
ああ、そういえば、こんな夢、前にも見た。
なんとなく座り込んで、両手を水の中に浸してみる。静かにひろがっていく波紋を目で追って、それからあたりを見回した。
今日は、夜だった。
白いもやなんてものはなく、くっきりはっきりと景色が見える。仰ぎ見た空のはしには、さえざえとした丸い月がかかっていた。後ろにはきっと、黒く繁った森があるに違いない。
湖も、森も、遠くにある月も。みんな寂しげに見えた。
ううん、違う。寂しいのは私。私の心。締め付けられるように、胸が苦しい。
どうして、こんなに胸が苦しいんだっけ。
はらはらと、頬を伝って涙が湖に落ちていた。それを、ただ見つめることしかできない。
と。
気配を感じて、振り返る。
木の陰に、誰かがいた。
「誰?」




