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「マスター、ブレンドひとつ」

 悠希さんが声をかける。

 一瞬、そのお客さんと目があった。

 

 その風体に似合わない鋭い眼光。さ、とすぐに逸らされるけれど、そのあともちらちらと私を盗み見ているのがわかる。

 嫌な、感じだな。


「はい、ブレンド」

 マスターの声で、我に返る。

「あ、今度は私が持っていきます」

 さっき悠希さんにまかせちゃったせいもあって、反射的にブレンドに手をのばす。

「奏子、悠希にまかせろ」

「僕が持ってくよ」

 あせったような二人の声が同時に重なって、その拍子に私の手が揺れた。

「あ」

 私の手がカップをひっかける格好になって、コーヒーが傾く。とっさに固まることしかできなくて、思わず目をつぶった。


 かなりの熱さを覚悟していた私に、かしゃんというカップの砕ける音が聞こえた。

「奏子っ!」

 切羽詰まった早紀の声に目を開けると、床には散らばったカップのかけらとこぼれたコーヒーが広がっていた。

「失礼いたしました」

 何事かと一斉にこちらを向いたお客さんに、悠希さんが軽く頭をさげる。早紀が素早くかけよってきた。

「大丈夫?」

「うん……大丈夫、みたい」

 確かめてみると、スカートにもエプロンにもコーヒーはかかってなかった。あの角度で落ちたら、絶対かかると思ったんだけど。

「よかったあ。てっきり奏子にかかったのかと思った」

 モップを出しながら早紀が言った。

「ごめんね、驚かせて。すみません、マスター、ブレンドもう一杯……」

 目の端で何かが動いて、反射的に目が行く。


 さっきの中年のお客さんが立ち上がってこっちを見ていた。驚いたような視線は、もう隠しもせずあからさまに私にむけられていた。


「あぶないから触らなくていい」

「大丈夫ですよ……あっ」

 カップの欠片を拾っていたら、ブレンドを入れ終わったマスターが声をかけてきた。その言葉に顔を上げようとした時、指に鋭い痛みが走った。

 見れば、人差し指の先からぽたりと血が垂れている。

「あ、やっちゃった」

「だから言ったろ。ドジ」

 座ったままの私の前に膝をついて、マスターが言った。反論しようとした私の指を、躊躇なくその口に含む。

「!」

 予想外のマスターの行動に、思わず息をのんだ。

 ぺろり、と、指の先を舐められた感触に、ぞわりと全身が総毛立つ。

「マ……マ、マ、マスター……」

 ちゅ、と名残惜しげにも見えるしぐさで指先を吸うと、マスターはゆっくりとその唇を離した。

「消毒」

 ふ、と、間近で微笑まれて。


「奏子?」

 ぺたりとその場に座り込んだ私に、不思議そうな悠希さんの声が聞こえた。マスターは、何事もなかったように壊れたカップを片付けていく。

「どしたの? 顔赤いよ?」

「な、なんでもないです……」

 ぎくしゃくと立ち上がって視線をフロアへと向ける。さっきのお客さんは、もういなかった。


 そこには、手つかずのコーヒーが残されていた。




第四章終わりデース。あと、諸事情により、明日一回休みです。明後日から第五章ー。

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