第十二話 事情聴取
茂は穂先を見て、付着したものを布で拭う。
無駄な動きはない。
シャフトのロックを捻って外す。
金属の噛み合いが外れ、柄が二つに分かれる。
穂先を静かに納め、シャフトを揃え、銀細工の豪華な黒いケースに戻す。
留め具を閉じる音が、小さく鳴った。
ケースを持ち上げ、警官の前に差し出す。
警官は一瞬だけ躊躇する。
視線がケースと茂の顔の間を迷う。
「手続き上、すみません」
小さく言って、両手で受け取った。申し訳なさが指先に残っている。
茂は視線を落とし、小さく頷いた。
それだけだった。
背中を軽く押され、パトカーの後部座席に乗る。
ドアが閉まる。外の音が一段、遠くなる。
車が静かに動き出した。
規制線の赤色灯が、窓越しに流れていく。
誰も何も言わない。
沈黙。
数十秒。
茂はゆっくりと顎に手をやり、バラクラバを引き上げた。
布が擦れる音。汗の匂い。
素顔が出る。
前席の警官が、バックミラー越しに一度だけ見た。
視線はすぐ前に戻る。
「……助かりました」
「……最悪は、免れました」
前を見たまま。
「あのままだったら、間に合わなかった」
茂は小さく頷いた。
外を見る。
何も言わない。
パトカーは減速した。
高架を抜け、建物の裏手へ回る。
正面玄関の灯りは遠く、こちら側は暗い。
鉄柵が自動で開く。
地下駐車場。
コンクリートの天井が低く、蛍光灯が白い。
車は奥へ進んだ。壁際で止まり、エンジンが切れる。
前席の警官が短く言う。
「到着です」
それ以上は説明しない。
ドアが開くと冷えた空気が入った。
車を降りると、足音が地下に反響した。
無人に見える空間の奥から、姿を見せない視線だけが静かに向けられていた。
奥の通用扉が開いている。制服ではない男が一人、立っていた。
階級章は見えない。
だが本部側だと分かる立ち方。
警官がケースを持ったまま近づく。
「引き継ぎます」
短い報告。
男は頷き視線が茂に移る。
短い沈黙。
「こちらへ」
それだけ。
エレベーターではなく、階段で上階へ。
足音が揃う。
廊下は広く、掲示物は少ない。人の気配はあるが、声はない。
一室の前で止まる。
ドアは閉じている。男がノックもせず開けた。
「中へ」
室内は明るい。
机が二つ。
窓はない。椅子が一つ、空いている。
「お掛けください」
命令ではない。だが選択肢もない。
茂は椅子を見る。
まだ座らない。
室内の空気は、冷えている。
ドアが閉まる。
男が向かいの椅子に座る。
もう一人は壁際に立ったまま。
机の上には紙と端末だけ。
「これは任意の確認です」
感情のない声だった。
「拘束ではありません。いつでも退室できます」
「記録します」
端末が起動する音。男は視線を落としたまま言う。
「時系列で確認します」
「使用を決めたのは、何時何分ですか」
「現場説明の直後です」
わずかな間。
「不承認が出ているのは分かっていましたか?」
「無線でそれっぽいのは聞いています」
端末を打つ音。
「それでも使用した」
「はい」
視線は逸らさない。
質問は短い。
壁際の男が初めて口を開く。
「乳幼児の位置は把握していましたか」
沈黙が落ちる。
「視認していません」
「見えていたら使っていません」
室内の空気がわずかに固まる。
端末の音が続く。
「救出対象の搬出完了は何分後ですか」
「正確な時刻は把握していません」
「搬出確認後、現場を離れました」
「現場指揮の指示は受けましたか」
「使えないなら外周待機すると言いました」
「その後、使用の判断が出ました」
「最終判断は?」
視線が合う。
「現場指揮です」
数秒、誰も言葉を足さない。
男が初めて顔を上げる。
「記録と一致しています」
紙が一枚、机に置かれる。
「現時点で刑事判断はしていません」
「制度確認の範囲です」
声は変わらない。
「医療報告は回復見込みありです」
それだけ告げる。
「以上です」
端末が閉じられる。
「しばらくお待ちください」
男は立ち上がって部屋を出ていき、ドアが静かに閉まった。
室内に音はない。蛍光灯だけが白い。
茂は動かない。
別室。
机の中央に端末が置かれている。先ほどの室内映像が止まったまま。
医療所見の紙が一枚。
「鼓膜裂傷 回復見込みあり」
誰も声を荒げない。
「使用時刻は不承認後、10分」
淡々と報告が落ちる。
「無線確認は?」
「外周待機の提案あり。その後、現場判断で使用」
一人が言う。
「提案している」
別の声。
「だが使っている」
端末が巻き戻される。閃光。白飛び。搬出。
「屋内案件なら、M県どころか全国でもトップクラスだ」
「これまでの実績は?」
「類似案件だけでも9件。人的被害は軽微。貢献率は約90%です」
紙がめくられる。
「未登録です」
監察側の男が言う。
「不承認を超えて使用した」
「不承認は原則だ」
「原則で現場は止まらない」
静かに割れる。
「乳幼児がいた」
「回復見込みはあります」
「結果論です」
「結果は出ている」
視線が集まる。
「彼を止めますか」
誰もすぐに答えない。
数秒。
「止められますか」
空気が変わる。
「処分すれば、次の屋内で誰も踏み込まなくなる」
「処分しなければ、不承認は意味を失う」
最後に上座が言う。
「刑事には上げない、今日はここで止める」
誰も反論しない。
「基準は後で整理する」
短い沈黙。
「装備は退庁時に返却で」
端末が閉じられる。
「広報は私が対応する」
椅子が引かれる音。
会議は終わった。
茂はまだ別室で待たされている。




