第六話 悲鳴の向こう側
規制線の手前で、警官が腕を上げた。
「止まってください」
声は強くない。
だが、この場では十分だった。
茂は歩みを止め、視線だけを向ける。
警官の目はまずケースへ落ち、次に茂の顔へ戻った。
茂は短く告げた。
「才能です。センターの要請で来ました」
警官が無線に口を寄せる。
「才能さん、到着」
短い応答。すぐに腕が下ろされた。
「通ってください」
規制線がわずかに持ち上がり、
茂は僅かに上体を沈め、そのまま内側へ入った。
空気が変わる。
外の街とは別の温度。
音の質が違う。
無線、足音、抑えた声。
そして、抑えきれない緊張。
現場指揮所は、簡易テントだった。
白い布のテントの中に、簡易机と展開モニターが置かれていた。
その中央に立つ男へ、視線が集約されている。
警部補。階級章を見るまでもない。この場の中心にいる。
男は茂を一瞥し、静かに頷いた。
「……君がそうか」
短い沈黙。
「現場指揮の田村です」
男の声は低い。
疲労が滲んでいるが、鈍ってはいない。
茂は軽く顎を引く。
「才能です、状況は?」
無駄な前置きなし、田村は一瞬だけ茂を見る。
値踏みではなく、確認だった。
「逃げられたのは約半数」
淡々と告げられる。
「50名程度」
その数字が静かに示される。
「……残りは?」
「園内に残っているのは、保育士5名と園児が約40名」
「隠れていると思われます」
その表現だけが、わずかに曖昧だった。
テントの外から音が入る。
悲鳴が響いている。距離は近く、隠す余裕もない。
茂の視線は動かない。
「登録は?」
田村の視線が一瞬だけ外へ流れる。
「……2名が近接装備で入りました」
「連絡は最初は取れていましたが、現在は途絶しています」
モニターへ視線を落とす。
「死亡したか、あるいは音を出せない状態かと」
言葉の選び方だけが正確だった。
「見えないから動きは取れない」
「火器の運用許可は下りない」
警部補の視線が茂へ戻る。
「だから――」
言葉が一瞬止まる。説明ではない。
テントの外で、また悲鳴が弾けた。
今度は明確だった。
子供。
空気が、わずかに歪んだ。誰も言葉を発しない。
茂は悲鳴の方へ視線を向けた。
長くは見ない。
音だけで十分だった。
そして、警部補へ戻す。
「……で」
声は低い。温度はない。
「どうすればいいんです?」
質問というより、手順確認だった。
誰もが同じ言葉を待っていたのが分かる。
田村は即答せず、数秒モニターへ視線を落とした。
「上の判断が降りない」
わずかな間。
「現時点の指示は待機、外周維持」
「対象が外へ出れば、撃てる可能性が出る」
ただ、次を待つ。
田村は小さく息を吐いた。
「……だが」
田村の視線がわずかに落ちる。
「まだ中に生存者がいる。時間が経てば状況は悪化する」
「近接対応が可能なら――」
言葉が止まり、田村の視線が茂へ固定される。
「お願いしたい」
誰も息を立てない。茂の瞳は揺れない。
テント内の誰かが視線を逸らした。
茂だけが動かない。
「単独で入ります。……あと、中で何が起きても責任は持てません」
事務的だった。田村の眉が僅かに動く。
すぐには答えなかった。
数秒、保育園の建物を見ると小さく息を吐いた。
「……分かりました」
短く頷く。
「……スタングレネード、使わせてください」
淡々としていた。
「今この現場にある分だけで構いません」
テント内の空気がわずかに固まる。
田村は短く頷いた。
「……確認を取る」
無線へ手を伸ばす。
「指揮所より本部」
「装備使用許可照会」
「閃光発音筒」
「運用可否確認」
間を置かず。
「未登録協力者への一時貸与」
「運用許可および責任区分判断要請」
無線はすぐには返らなかった。
テント内に残るのは、悲鳴と無線の待機ノイズだけだった。
誰も喋らない。誰も視線を上げない。
時間だけが伸びる。
田村の無線機から、短い機械音が鳴った。
『……県警本部』
全員の意識が一瞬で収束する。
『申請内容確認中』
事務的な声。
『装備区分照会』『責任区分協議』
再びノイズ、今度の沈黙はさっきより重い。
そして――
『県警本部』
『申請装備、運用不承認』
『理由:――――――』
『聴覚損傷――――』
『代替案なし』
『未登録者への危険装備貸与は――』
『現行運用基準に該当せず』
無線のノイズが切れた。
――運用不承認
誰も息を吸わない。
理由、
乳幼児環境、
聴覚損傷リスク。
事務的な声、揺れはない。感情もない。
テントの空気だけが沈んだ。
続けて、現実が来る。
田村は何も言わなかった。言えなかった。
茂は無線機を見もしない。
「……そうですか」
落胆ではない。理解でもない。
ただの事実受領。
視線が建物へ向く。
「じゃあ――」
声は異様なほど静かだった。
「手順通りで」
誰も反応しない、茂は続ける。
「外周で待機して――」
「出現時、発砲できない場合は僕が対応します」
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