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僕と彼女の猟奇的な日常  作者: nnnkkk
僕と彼女の猟奇的な日常

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第54話 静寂の終端

ショッピングモールの中で、最初に戻ったのは音だった。


無線の短い雑音と重なる声。押し殺されていた通信が、一気に流れ込んでくる。


「……動くな!」

「まだ寄るな!」

「視界確保!」


盾が擦れ、靴底が床を踏む。硬い音が途切れず続き、さっきまで存在していなかった人間の動きが、遅れて空間を埋め直していく。


誰かが長く息を吐いた。


崩れるみたいな呼吸。


次に聞こえたのは声だった。泣き声ではない。悲鳴でもない。喉の奥で引っかかった、壊れた空気。


「あ……」


意味にならない音。


別の場所で何かが倒れる。

膝をついた拍子に、手から離れた買い物袋が床を滑った


止まっていた時間が、噛み合い直していく。


誰もまだ近寄らない。


白い床の上。動かなくなった二つの塊を、全員が同じ距離で見ていた。


「……止まった」


確認ではない。報告でもない。ただの現実の再認識。


「確保!」


最初に動いたのは盾だった。


床を擦り、間合いを詰める。

半円。囲むというより、距離を固定する動き。


「まだ触るな!」


警部補の声が飛ぶ。誰も反論しない。足だけが止まる。


白い床の中央で無力化された塊。距離だけが維持される。


フォームに覆われた顔面。

掻きむしった跡が残り、床には白い線が擦り付けられていた。


呼吸は、聞こえない。


「……反応なし」


小さな声が落ちる、そこには感情も安堵もなく、ただの工程として処理された。


「周囲警戒維持!」


盾列がわずかに広がる。

生き物ではなく、現場の空間を管理する動き。


「救急、入って!」


数秒遅れて白い制服が動く。


駆け寄らず、一定の歩幅のまま床を滑るように距離を詰めた


倒れている人間。腕のない身体。

床に広がった赤い血、誰も目を逸らさない。


「……反応なし」


短い報告が飛び交い、止血具が取り出され、処置の手順だけが途切れず進んでいく。


遅れて周囲が動いた。

固まっていた市民の一部が力を失ったようにその場へ座り込んだ。


泣き声はまだ出ない。


音になる前の呼吸だけが、あちこちで崩れていた。


石井は振り返らず、茂へ一瞬だけ視線を向けた。


評価や理解ではない、ただの確認。


無線が返る。


処理の時間が、完全に始まっていた。


盾列の隙間を抜けて、石井が歩いてくる。

迷いのない歩幅だった。


一直線に茂の前で止まり、視線だけが短く交差する。


「……助かった」


過剰な感情はない。


「こっちに」


振り返らずに歩き出す。茂は何も言わず、その背を追った。


張り詰めていた視線の束縛が、移動とともに途切れていく。


無線の声、盾の擦れる音、救急の足音。

崩れきらないざわめき。


すべてが背後へ流れていった。


混乱を抜けると、照明の質が変わり、空気の温度が落ちた。


そこは現場の空気だけが切り取られた空間だった。


簡易照明。無線卓。広げられた図面。


茂はしばらく動かなかった。


視界はある。だが世界はまだ遠い。


音も、温度も、匂いも、膜一枚越しのままだった。


やがて、ゆっくりと手が上がり首元へ。


指先が布を掴み、バラクラバを引き上げる。


こもっていた空気が剥がれた。


その瞬間、遮断されていた現実がまとめて流れ込んでくる。


無線の声、靴底の硬い音、遠くで崩れ始めたざわめき、空間の温度、空気の重さ。


すべてが、遅れて戻った。


額から落ちた汗が頬を伝い、顎先で途切れた。


茂は袖で拭う。いつもの動作だった。


感情ではない。


身体だけが戦闘の終わりを処理している。


そこの空気は、現場より少しだけ冷えていた。


無線の声と紙をめくる音が重なり、押し殺された緊張が低い密度で漂っている。


茂はまだ立ったままだった。穂先の重さだけが腕に残っている。


石井の視線が茂へ向く。


「……危険な役目をお願いしましたね」


評価ではない。責任側の言葉だった。


茂は視線を外した。


「うまく噛み合っただけです。後の事、そっちでお願いします。」


声の温度は変わらない。


現場ではなく、制度の響き。


「怪我は」


「ありません」


短いやり取りのあと、小さく頷いた。


「……そうですか」


わずかな間。


「……ありがとう」


声の温度は変わらない。


だがそれは制度ではなく、

現場を共有した人間の響きだった。


茂は視線を切ると、そのまま手を動かした。


穂先に残った付着だけを確認し、何もなかったみたいに収納ケースへ戻す。


石井はそれを見ていたが、評価ではない。

ただ工程を確認する視線だった。


彼の視線は変わらない。


「……ご協力、ありがとうございました」


茂は短く頷いた。


言葉は返さない。ここで必要なやり取りはすでに終わっている。


そのまま規制線の外へ歩き出すと、また空気の質がわずかに変わった。







ショッピングモールの玄関。


「しげる!!」


場の温度を無視した声だった。


ユイ。


一直線に駆け寄り、減速もせず勢いのまま抱きつく。


「ちょっと待って待って待って……何あれ……」


興奮を隠さない呼吸。


顔を上げたまま茂を見る。


「やばいんだけど」


間を置かない。


「普通に死ぬかと思ったんだけど私」


腕に力が入る。


離れない。


「いやもうマジで……」


言葉が追いつかない。


「めちゃくちゃカッコよかったんだけど!」


周囲の警官が一瞬だけ視線を向ける。


すぐに逸らす。


ユイは止まらない。


「ねえ見た!?あの最後のやつ!」


茂の腕を掴んだまま揺する。


「何あの動き!」


「ちょっと意味分かんないんだけど!」


半分笑っている。


半分本気で興奮している。


「いやほんと……」


小さく息を吸う。


「ちょっと惚れ直したんだけど」


少し離れた位置。


石井はその光景を静かに眺めていた。


表情は変わらない。


やがて巡査へ短く指示を出す。

数分後、移動交番車が静かに滑り込んだ。


「ご自宅までお送りします」


事務的な声だった。


拒否理由はない、茂は無言で乗り込む。

ユイも当然の顔で続いた。


ドアが閉まり、サイレンを鳴らさないまま車は静かに走り出した。


ユイの声だけが、途切れず続いていた。



本日もお読みいただきありがとうございます。


少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

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明日も21時に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします。

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