表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕と彼女の猟奇的な日常  作者: nnnkkk
僕と彼女の猟奇的な日常

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/76

第52話 距離二十メートル

茂は石井の目を見た。


「無理そうなら、戻ってきます」


逃げるための言い訳じゃない。帰還の許可を取りに来た言い方でもない。

中で判断して、戻る――それだけの確認だった。


石井は頷くのが遅れた。

止めたいのに止められない顔だった。


「……分かりました。戻ったら、必ず声を掛けてください」


命令でも誓約でもない。

ただ、戻ってきた時にこちらが回収できる形を残したかっただけだ。


茂は返事を短くして、ケースを足元に置いた。

留め具を外す。指が迷わない。急がない。


ケースが開く。


黒いシャフトを引き出し、二分割の継ぎ目を合わせる。

噛み合う位置が勝手に決まる。手応えが軽いのに、遊びがない。


カチ、と固定の音だけが鳴る。


一度だけ捻って確かめる。

回らない。抜けない。

締めたという感覚じゃなく、最初からそうだったみたいな固定。



チャンバー。


蓋を少しだけずらして、中を確かめる。

雑にやると、あとで刺さるのは自分だ。



異常なし。


上着のポケットから、渡された布を取り出した。

2ホールの黒いバラクラバ、目の位置だけがきっちり抜かれている。


ニット帽を外すと、空調の風が額へ当たる。


代わりにそれを被る。


布が頬と顎に張り付く。

外の空気が少し遠くなる。


呼吸が自分に返ってくる。

口元の布がわずかに膨らんで戻る、その反復が変に落ち着くことに気づく。


――静かだ。


恐怖は消えない。ただ余計な情報が削れる。


邪魔が減る。

目と手が、同じ速度で動ける。

――使える。


自分を内側に押し込むための物だ。


次に、眼。


スマートグラスを掛ける。

フレームが軽い。ズレない。

視界の端に、記録の表示が出る。


茂は指で一度だけ操作した。


録画開始。

視界の端に、赤い●が出た。

「REC」消えない。



槍を持ち上げ、取っ手の位置を握り直した。

重さが腕に戻る。

体の中心が、少し前へ寄る。


そのまま、規制線の内側へ足を向けた。


ここから先は、近い距離だけの仕事だ。



規制線の内側に入って、明るさの質が変わった。

天井灯は生きているのに、店の「営業」の空気だけが抜けている。


穂先だけを棚から逃がして、茂は進む。

後ろは身体に沿わせた。


進むのは、ゆっくり。

速く動けば拾われる。ゆっくりなら、拾われにくい。

茂は、自分の速度を店内の静けさに合わせて落とした。


曲がり角の手前で止まる。

棚の高さ。影の切れ方。通路の抜け。

「見える範囲」じゃなく、「見えない範囲」を確認してから進む。


槍は前に出さない。

体の横。先端を壁にも棚にも触れさせない。

触れた瞬間、音じゃなく接触の痕が残る。


距離を詰める。

目標は20m以内。そこから先は、気づかれる確率が跳ね上がる。


生活用品の棚に、小さい箱が並んでいる。

目覚まし時計。安物。軽い。

立ち止まらず、指先だけでそれを掴む。ひとつ。もうひとつ。

同じサイズ。選ばない。迷わない。


ジャケットのポケットに滑り込ませる。右。左。

外から膨らみが目立たない位置に押し込む。


顔を上げる。

棚の隙間越しに、通路の先を読む。

黒い塊の気配が、まだ遠い位置で止まっている。


――――――入った。20m。

ここから先は、息の速度で動く。


床は白くて、明るい。

明るいのに、視界の端が使えない。柱と什器の影が、距離を切ってくる。


茂は立たない。

腰を落としたまま、身体を薄くして進む。膝を出さない。肘も出さない。

槍は長い。長いからこそ、先端を先に出さない。

前へ伸ばす動きが、いちばん見つかる。


這うように、少しずつ。

止まって、見る。

動いて、止まる。


――いる。


通路の先、広場に近いあたり。

二足の影が二つ。腕が長い。床を掴むみたいに移動して、視界から消えて、また出る。

距離はだいたい15m。

近い。近いのに、届かない。届かないのに、気づかれたら終わる。


茂の位置から、隠れている人間も見える。

棚の下。カウンターの陰。柱の背。

動かない点が、十や二十じゃきかない。

息を殺して、目だけでこちらを見ている。


その中に、ひとり崩れているのがいた。


20代半ばくらい。

男。頬が引きつって、口が閉じられない。歯が見えているのに声は出ていない。


棚と棚の隙間――商品を抜いた跡の細い空洞に身体を押し込んでいる。

腕が震えている。膝も震えている。

今にも発狂しそうな顔だ。

目が潤んで、焦点が合っていない。呼吸だけが速い。


あれは、動く。

自分で止まれない。

我慢が切れた瞬間に、勝手に飛び出す。


茂は棚の角に身体を寄せ、槍の穂先を床と水平に保ったまま、先端だけを数センチ引いた。


長さで場所がバレる前に、角度で逃がす。肩が当たる距離を避け、腹で呼吸を殺す。


男の位置をもう一度だけ確認する。棚板の隙間、膝、手、目。目はこっちを探している。

助けの目じゃない。


次に何が起きるかを誰かに決めてほしい目だ。


茂は受け取らない。受け取った瞬間に、手順が増える。代わりに、ポケットの重さを確かめた。目覚まし時計が2つ。軽い。


視線を外さないまま、呼吸を一度だけ落とした。

迷いは、ここで終わる。


――《《あれ》》を使う。


本日もお読みいただきありがとうございます。


少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

ページ下部の【ブックマークに追加】と、【☆☆☆☆☆】をタップしての評価をお願いいたします!


明日も21時に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ