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僕と彼女の猟奇的な日常  作者: nnnkkk
僕と彼女の猟奇的な日常

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第51話 単独許可

自動ドアが閉じると、外の空気が遮断された。


中は明るい。

明るいのに、音がない。店のBGMも、館内放送も止まっている。

代わりに残るのは、靴底の擦れと、無線の短い往復だけだった。


入口の床に、白いテープがもう一段引かれている。

その内側に、機動隊の盾が立っていた。盾の向こうにいる顔は、全員が同じ角度で中を見ている。視線だけが落ち着かない。


「才能さん、こっち」


呼ばれたのは、入口内側の指揮だ。

階級章が見える。たぶん警部補。年齢は読み取れないが、目が疲れている。疲れているのに、声が鈍っていない。


「才能さんですね。単独で中へ。同行者は外で待機、確認済みです」


確認というより、報告だった。

茂は頷き、槍のケースの取っ手を握り直す。ここから先は、歩き方ひとつでも目立つ。


警部補が短く言う。

「石井です。こちらの指揮に付いてください」


命令口調でもない。説得でもない。

ただ、事故を起こさないための言い方だった。


「状況を説明します。現在、内部は混雑し、動線が確保できていません」


入口脇の柱影に寄せた簡易モニタを指した。

画面は荒い。だが、十分だった。


広場と通路、売場の角が複雑に連なっている。

影が多い。視界が切れる場所が多い。

それと、動けない点が散っている。


「中型が2体。片方がもう片方の動きに合わせてます」


1体なら、刺して終わる。

2体だと、刺した瞬間に背中が空く。

茂はその事実だけを飲み込むのに、ほんの1拍かかった。


画面の端で、黒いものが一瞬だけ立ち上がった。二足。

腕が長い。膝より下まで垂れている。肩幅がある。胴が厚い。

サルに近い。だが、サルじゃない。ゴリラを連想する形なのに、動きが軽すぎる。


「頭がいい。速い。いちばん厄介なのは——人を挟む」


言葉を選ばない。選ぶ時間がない。


「逃げ遅れた客がまだ相当いる。あいつらは人の気配がある場所に寄って、壁にして使う」


茂は画面を見たまま、何も言わない。

言葉を挟むと、説明が遅れる。警部補も、それを望んでいない。


「銃器は使えません」


「危険生体対処班は来てます。ですが……」

続きを言わず、モニタの一角を指で叩いた。

影の中に、人が固まっている。

「当てられる確率が低いです、外したら終わる。ここは距離が取れないし射線が抜けない」

「……発砲許可は出ません。県警本部が止めてるんで」


石井は一度だけ視線を外し、モニタの別画面を出した。

広場の手前。倒れている影。盾の近くまで、すでに近づいた跡がある。


「機動隊が接近を試みて、2名が持っていかれました」


淡々とした口調が、一番重い。

画面の奥に、動かない塊がある。回収に行けない位置。線の内側。放置としか言いようがない。


「死体はそのままで取りに行けない。今は寄るだけで増える」


茂の指が、ケースの取っ手をわずかに締めた。

警部補はそれを見ないふりをして、必要な情報だけを足す。


「市民の死傷は10人以上。目視で確認できた遺体が5。…一部は、食われてる」


言い切りそこで止める。

細部を言うと、現場が崩れる。理解より先に吐き気が来る。警部補はそれを分かっている。


「だから、こっちから詰められない。

向こうも、こっちの詰め方を見て動く」


モニターから視線を外し、茂を見る。視線が刺す。試してはいない。確認している。


「才能さん。こちらから無理は言えません。

銃なし・距離なし。中はそれが前提です——」


「ここまでが状況です。それでもいけますか?」



 石井は、茂を入口脇の柱影に寄せた。盾列の正面から半歩外すだけで、言葉が「指揮」じゃなく「相談」に聞こえる距離になる。


茂は頷かなかった。

モニタの黒い抜けに、もう一度だけ目を置く。2体。動き。人の点。

喉の奥で何かを飲み込んでから、口を開いた。



「単独行動を認められますか」



石井の眉が、ほんの少しだけ動いた。

否定でも肯定でもない。判断が先に詰まる顔だ。


「……単独は——」


言いかけて止める。周りの耳が多い。

石井は声を落とした。


「原則は、付けます。連絡と位置管理は必要です」


茂は頷かない。首も振らない。視線だけをモニタの暗い方へ置いたまま言う。


「付けるなら、できません」


相手が言葉を探す前に、茂が続ける。


「同行は要らないです。邪魔だ」


石井の口が、いったん閉じた。

怒鳴らない。否定しない。できない理由だけが顔に浮く。


「……分かりました。確認します」


無線を押す。言い方が変わる。現場口から、組織口へ戻る。


「入口指揮。才能さんの動き方について確認取りたい。単独行動の可否。県本部判断、お願いします」


返事はすぐ来ない。

無線の雑音だけが短く続いて、切れる。

待つ時間が、いちばん危ない時間になる。


モニタの端で、影がひとつ動いた。

点じゃない。人だ。固まっていた影の塊から、ひとりが外へ抜けようとしている。


「——出るな!」


どこかで叫び声が上がった。

館内に響かない。壁が吸う。距離がある。間に柱がある。


次の瞬間、黒いものが走った。

二足。腕が長い。跳ねるというより、床を掴んで引き寄せるみたいに進む。


人影が転んだ。

立ち上がる前に、背中が浮いた。持ち上げられたんじゃない。引っ張られて、持っていかれた。


音は、遅れて来た。

短い悲鳴。骨じゃない、息が潰れる音。

それで終わった。


盾列の奥の誰かが、歯を食いしばる気配がした。

動けない怒りだけが、空気を硬くする。


無線を押したまま、目だけでモニタを見た。

顔色は変えない。変える余裕がない。


「……今の、見ましたね」


返事を求める言い方じゃない。確認だ。


無線が鳴った。県本部からの返答じゃない。現場の別系統の報告が割り込む。


『入口、広場側。1名、持っていかれた。救出不可。位置——』


返事を返さない。返しても増えるだけだと分かっている。

そのまま県本部へ繋がる回線をもう一度押した。


「県本部、聞こえますか。いま増えました。待つほど増えます」


間が空く。

無線越しの沈黙は、現場の沈黙より重い。


石井が、盾列の向こうを見ないまま、ぽつりと言った。


「……事件は、会議室で起きてるんじゃない」


言ってから、一瞬だけ自分で呆れたみたいに息を吐く。

「……一回、言ってみたかっただけです」


冗談じゃない。逃げでもない。

ただ、現場が崩れるのを止めるための、変な手順だった。


無線が返ってくる。


『……単独は例外。条件付きで承諾する。動線は入口指揮が管理。位置報告を——』


石井が遮る。


「位置報告は無理です。声出したら終わります」


さらに押し問答が続く気配。

だが、さっきの「増え方」が、それを折る。


『……了解。現場指揮の裁量で運用。記録は残せ。以上』


切れた。


石井は無線を下ろした。

顔に、勝った感じはない。負けた感じもない。責任だけが増えた顔だ。


茂が聞く。声が平たい。


「俺が原因で死んだ人数、何人までなら問題ないですか」


石井は答えない。

答えられない。

数字にした瞬間、それが許可になる。否定した瞬間、それが嘘になる。


視線だけを逸らして言った。


「……聞かなかったことにします」


それが唯一の返事だった。


石井が横を向く。


「対処班。入口へ。覆面、予備を持って来い」


無線が短く返る。

数十秒して、特殊装備の隊員が入口脇まで寄ってきた。


隊員が、黒い布をひとつ差し出した。

新品。折り目が残っている。


石井がそれを受け取り、茂へ渡す。


「顔は出さないほうがいい。……中は、映る」


誰のカメラかは言わない。

言わなくても、分かる。


茂は受け取って、指先で伸ばした。

軽く薄い布だが、境界になりそうな感触があった。


茂はそれを「配慮」だとは受け取らなかった。

これは「少しの犠牲は構わない」という、言えない許可だと認識した。


石井は、その認識を否定しない。

否定する言葉が、もう残っていない。


茂はバラクラバを握ったまま、槍のケースの取っ手に指を掛け直す。


石井が言う。


「……単独で。ただ戻れなくなっても、こちらは拾いに行けません」



本日もお読みいただきありがとうございます。


少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

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明日も21時に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします。

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