第49話 射線が取れない
ショッピングモールの中は、音が逃げなかった。
本来なら拡散するはずのざわめきが、天井と壁に押し戻され、行き場を失ったまま空気の中で滞留している。
足音も、物音も、悲鳴も、すべてが同じ場所へ積み重なり、濁った層のように沈んでいた。
天井は高い。
だが、吹き抜けの縁が丸く、壁が多い。
通路は直線じゃない。
視界が途中で折れ、曲がり、消える。
避難は、途切れていた。
人の流れは完全には崩れていない。
押し合い、躊躇い、判断を失った動きが通路の各所で詰まり、出口へ向かうはずの導線を自ら塞いでいる。
非常口はある。
ただ、そこまで辿り着けない。
ベビーカー。
車椅子。
子どもを抱いたまま、柱の影に固まる人間。
走れない者が、多い。
動けない者が、点在している。
――距離が、取れない。
中央の広場側で、すでに破綻が起きていた。
登録の駆除従事者が一人、前に出て近接を試みた。
その動きに合わせて、警官が一歩、寄った。
気づいた時には、二人とも倒れていた。
救助は、間に合わない距離だった。
呼吸が止まるまで、誰も触れなかった。
逃げ遅れた市民が、三人。
柱の内側。売店の影。通路の角。
倒れる順番に、意味はない。
警察が到着する前にも、記録が残っている。
登録の持ち込んだクロスボウ。
一射。
二射。
刺さったもの。
外れたもの。
跳ねたもの。
死傷者は五名。
それ以上、使われなかった。
制服は、すでに中にいる。
無線は切れずに鳴っている。
だが、誰も銃を構えていない。
構えられない。
射線が取れない。
背後が見えない。
貫通した先に、人がいる。
跳弾も同じだ。
壁が多すぎる。
床が硬すぎる。
一発で当たる保証はない。
クロスボウも同じ理由で、使えない。
外れれば誤射。
それに当たっても、倒れない可能性が高い。
その可能性が、この距離では致命になる。
誰かが言う。
「遠い……」
それは報告じゃない。
事実の再確認だった。
遠く、近い。
なにも出来ないまま、人は死んでいく。
それだけが、更新された確定だった。
警察は、もう判断を終えていた。
撃てない。
屋内で人が密集し、視界を遮る死角が多い。
どれを取っても、発砲条件に届かない。
『許可は下りません』
無線越しの声は短い。
理由を説明する必要がない現場だった。
銃を出せば、誰かが死ぬ。
当てても。外しても。
通しても。止めても。
壁と床に囲まれ、人と害獣の距離が極端に近い。
弾は意思を持たない。
一発で終わらせられる保証はない。
特殊班も多少の訓練を受けた警官に過ぎない。
だから、撃てない。
――その間に、音が変わった。
短く鈍い。
悲鳴に届かない声。
売り場の端、陳列台の影に沈んでいる、動けなかった市民が一人。
誰も走らない。
誰も近づかない。
救急は、不要になっていた。
クロスボウと同じだ。
さっきの記録が、まだ空気に残っている。
刺さった音。
外れた音。
崩れる音。
あれ以上は、出せない。
時間だけが減っていく。
誰も動かない。
動けない。
ここで退けば、次に倒れるのは市民。
それは予測じゃない。
更新だった。
「……近接しか、残ってない」
誰かが言った。声は低い。
命令でも提案でもない。
ただの事実確認。
ここで近接に出るというのは、勇気でも覚悟でもない。
計算だった。
誰か一人が、全部を背負う。
そうしなければ、残りは順番に消えていく。
その判断を、この場の誰もまだ引き受けていなかった。
アジャスターの村上は、最初から関与していたわけじゃない。
「モールで詰んでるらしい」
休憩室で、同僚がそう言った。
屋内で人が近く撃てない。
それを聞いて別の記録が浮かぶ。
駅前の特大型、市民が密集していて誤射被害が出ていた。
―――あの未登録―――
名前はすぐ出なかった。
だが、映像が先に来る。
一人で前に出た背中、引かなかった距離。
「……あれ、誰だった」
席へ戻る。
業務じゃない。指示もない。
それでも端末を開いた。
案件検索。
市街地、屋内成立で絞り込む。
数は減る。
駅前の記録に辿り着く。
映像。ログ――――貢献判定。
――こいつだ。
同種条件を広げる。
一件。
二件。
三件。
近接ばかり。
判断が速く無効がない。
共通しているのは、「撃てない」「逃がせない」現場だ。
偶然ではない。
村上は、椅子にもたれ深呼吸をした。
「……候補、いるかも」
同僚が顔を上げる。
「誰です?」
村上は、画面を指で叩く。
未登録。
近接駆除実績あり。
名前だけを、伝える。
「才能 茂」
それは、命令でも、要請でもない。現場を成立させたことのある人間がいる。
——その事実を、共有しただけだった。
村上は、内線番号を一つ飛ばした。
受付には、かけない。回せる相手でもない。
呼び出し音は短い。
『K市害獣警報センター、管制です』
電話番の声じゃない。名乗りもしない。
村上は、名乗る必要も感じなかった。
「モールの屋内案件ですが」
『……想定外が重なっています』
即答はない。
向こうで、画面を切り替える気配がする。
村上は、そこで踏み込む。
『同条件で成立させた未登録がいます』
沈黙。
『未登録……ですか』
「少し前の駅前案件です」
向こうで、キーを叩く音が混じる。
沈黙が、少し続く。
『……登録外の応援要請は、制度上想定していません』
村上は、そこを跨ぐ。
「想定外が、もう起きています」
間が、少し空く。
沈黙。
『……当該運用は、現行制度では想定外です』
「だから、候補指定でいい」
『ここで正式決定はできません』
「それで構いません」
『……候補として、上に送ります』
村上は、礼も言わずに切る。
現場は、止まっていない。
それだけが、先に進んでいる。
アパートの床は、冷たくなりきっていなかった。
昼と夜の境目。
カーテンは閉め切られている。
テレビは点いていない。
ユイは床に寝転がっていた。
ソファじゃない。
理由もない。
片腕を伸ばし、指先だけが茂の服に触れている。
掴んでいない。
離してもいない。
ただ、そこにある。
茂は仰向けだった。
天井を見ているわけでもない。
目は開いているが、何も追っていない。
時間が、用途を失っている。
呼吸は浅くも深くもない。
外の音も、気にしていない。
——鳴るまでは。
着信。
茂は二回目で出た。
「……はい」
『K市害獣警報センターです』
『才能さんのお電話で、間違いないですか』
「……はい」
『突然のご連絡、すみません』
『ショッピングモール屋内で、発砲できない現場です』
『近接で駆除を成立させた実績が複数あるため、お願いのご連絡をしました』
茂はすぐに返さない。
言葉ではなく状況を処理していた。
「警察いるんですよね?」
『はい。現場統制は警察です』
「現場指揮は誰です?」
「俺はどこに行って、誰に名乗ればいいんですか?」
『現場指揮系統は県警側です』
『外周の規制線の担当に「センターからの要請で来た」と伝えてください』
『こちらから現場管制へ、候補が向かう情報は入れます』
『通行の判断は現場指揮になります』
茂は短く息を吐く。
「つまり、俺は外で待機して、呼ばれたら入る感じ?」
『その形が一番安全です』
『無断侵入扱いにはしないよう、管制記録に残します』
「番号お願いします」
『案件番号は、28-KSC-0533』
「……30分くらいで着きます」
「入れないなら、その場で帰る感じで」
『ありがとうございます』
『まず外周の規制線で止まってください』
『「センターからの要請で来た」と伝えて、現場指揮の指示を待ってください』
『勝手に中へ入らないでください』
「わかりました」
それ以上は言わない。
言えない。
通話が切れる。
茂は、しばらく動かなかった。
ユイが、先に体を起こす。
何も聞かない。
「どっか行くの?」
確認でも、制止でもない。ただ、予定の空白を埋める声だった。
「……まだ」
即答じゃない。
行かないでもない。
茂は画面を見たまま言う。
「外に出る」
「ちょっと、見てくるだけ」
ユイはそれ以上、聞かない。
茂が何をしているかは知らない。
ただ、電話の声の硬さだけで、面倒の種類が違うのは分かる。
「私も行くけど、いい?」
許可を取っているようで、ほぼ決めている声だった。
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