第48話 不純物
休憩中だった。
駅前雑居ビルの2階、買取店のバックヤード。
客からは見えない位置に置かれた椅子に、茂は座っている。
テレビはついている。
画面だけが明るい。
音は、気にならない程度。
室内は静かだった。
エアコンの風が、紙の端をわずかに揺らす。
壁際に積まれた段ボール箱は、先週と同じ並びのまま動いていない。
茂は缶コーヒーを片手に画面を見る。
見ているだけで、追わない。
視線は外れない。
だが、何も取らない。
――新銃規制法の施行から三日が経過しました。
街には「自分の身を守るための許可証」を手にした市民が溢れ、銃砲店にはこれまでにない異様な光景が広がっています――
【番組 昼下がりの論点】
出演 加藤 山本
加藤:
新銃規制法の施行から今日で三日目となります。全国各地の指定銃砲店では、朝から「一般市民向け販売枠」を巡る長い列が途切れることなく続いています。小泉さん、この光景はまさに異常事態とも言えますね。
山本:
はい。都内の店舗では、開店前から百人以上の行列ができ、整理券が配布される事態となっています。並んでいる方々の多くは、一日の講習で「仮免」を取得したばかりの一般市民です。
加藤:
皆さん、手元には発行されたばかりの許可証と、スマートフォンの認証アプリが見えますね。一発しか撃てず、警察の許可がなければロックも解除されない「一発銃」ですが、これほどまでの需要があるというのは……。
山本:
並んでいる男性にお話を伺ったところ、「ゲート現象以来、夜道が怖くて仕方がなかった。性能がどうこうよりも、家に銃があるという事実だけで安心が買える」と仰っていました。いわば「お守り」としての需要が、実用性を上回っているようです。
加藤:
一方で、現場の事務処理はパンク寸前のようですね。
山本:
ええ。銃を購入しても、その個体IDと使用者IDを本部のサーバーに紐付ける「アクティベーション」に数時間を要するケースが相次いでいます。せっかく手に入れても、サーバーが混雑して「まだ撃てない鉄の棒」を抱えたまま帰宅する人も少なくありません。
加藤:
「安心」を買うための行列が、皮肉にもシステムの脆弱性を露呈させている形です。小泉さん、購入者の層に変化はありますか?
山本:
これまでの猟友会のような年配層だけでなく、二十代から三十代の若い世代、中には主婦層の姿も目立ちます。護身という名目で広がるこの「武装の日常化」が、今後どのような摩擦を生むのか……。
加藤:
サーバー承認を待つ行列。その隙を突くような事態が起きないことを祈るばかりです。続いてのニュースです……。
ドアが開いた。
「茂くん」
中野だった。
足音を殺す気はないのに、気配だけが近い。
茂の正面ではなく、横に回る。
テレビと椅子の間。
距離が、妙に近い。
「ご飯、食べた?」
答えを待たずに覗き込む、心配してる風な口調。
理由は添えない。
「さっきから顔、ずっと一緒だよ」
笑いながら柔らかさを残した、どこか世話焼きじみた顔。
「休憩、短かったでしょ。大丈夫?」
袖が、肘に触れる。
わざとじゃないふりをした距離。
茂を見る。
反応を見る目。
「無理してない?」
問いかけは優しい。
だが踏み込む深さだけが、少し過剰だ。
「なんかさ、最近ちゃんと食べてなさそう」
そう言って軽く触れ、拒まれないことを確かめると、距離が一段詰まった。
視線は、自然に腰のあたりへ滑っていく。
無口で影のある若さと、目を引くほど整った顔立ち。
女の視線には、分かりやすい熱が混じっていた。
欲情か、退屈か、その区別に意味はない。
中野は周囲を確認すると、茂の座るパイプ椅子の間に踏み込んだ。
「……ねえ、ここ、カメラの死角なの知ってる?」
茂は缶コーヒーを口元で止めたが、顔を下げなかった。
その手が、慣れた手つきで茂のジッパーに掛かる。
28歳の女としての経験値、あるいは退屈な結婚生活が生んだ手際。
女は躊躇なく膝をつき、距離を詰めた。
湿った音が、段ボールが積み上がったバックヤードに響き出す。
中野の動きは確かだった。
本能を刺激する速度と、正確さ。
茂の身体に、本能的な熱がじわりと広がる。
視界の端で、整えられた髪が揺れ、喉が小さく鳴るのが見えた。
拒まれない。
それだけで十分だった。
女は確信していた——この子は、寂しいタイプだ。
茂は無表情でそれを眺めた。
身体は反応している。
だが、それは別問題だった。
この安っぽいバックヤードで、バイト仲間の女に慰められることが、今の自分にはひどく「不純物」に感じられた。
その手つきは、確かに彼女に近い。
だが、茂の中で重なる場所が、最後まで見つからなかった。
「……中野さん」
呼ばれた瞬間、
女の中で確信が生まれる。
——ああ、やっぱり。
茂は、女の頭を片手で掴んだ。
髪を掴む指先に、無意識に力がこもる。
「……なに? もっと強いのがいい?」
期待に満ちた瞳が、下から向けられる。
だが、茂はその手を緩めず、距離を作って引き離した。
「……いいです。もう」
「えっ……? でも、茂君の、こんなに……」
茂は立ち上がり、乱れた衣服を冷淡に整えた。
床に膝をついたまま、呆然と見上げてくる視線が残る。
「……仕事に戻ります」
背中越しに、小さく屈辱に震える気配が伝わってきたが、今の茂にはどうでもいいことだった。
身体は反応している。
それでも、求めている場所がここではないことだけは、はっきりしていた。
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