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僕と彼女の猟奇的な日常  作者: nnnkkk
僕と彼女の猟奇的な日常

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第40話 悲鳴の消えた後で

害獣は、もう動かなかった。


重い影が地面に伏したまま、呼吸の兆しもない。

さっきまで押し返していた空気が、嘘みたいに軽くなる。


最初に近づいたのは、遠巻きに残っていた数人だった。

足を止め、距離を測り、誰かが声を出す。

それが合図みたいに、散っていた人間が戻り始める。


走って逃げていた足が、歩きに変わる。

一人で戻る者。

固まって戻る者。

振り返りながら、何度も立ち止まる者。


誰かが名前を呼ぶ。

短く、繰り返す。


呼び続けるが返事はない。


嘆きが、遅れて追いついてくる。

泣き声が重なり、声の高さが揃わなくなる。

抱き合う者もいれば、地面に座り込む者もいる。


被害者の家族らしい人間が、規制も何もないまま現場へ入ろうとする。

止める腕が伸び、振り払われる。

触れようとする手が、宙で止まる。


誰かがスマホを構える。

シャッター音が鳴る。

別の誰かが、それを咎める。


現場は、音を取り戻していた。

悲鳴と嗚咽と怒鳴り声。

散っていた感情が、一気に同じ場所へ流れ込む。


茂は動かなかった。

前にも出ず、背を向けもしない。

人の流れの端に立ったまま、距離だけを保つ。


サイレンが聞こえ始める。

一台じゃない。

重なって、近づいてくる音。


到着直前で、音が切れた。

代わりに、ドアの開く音が続く。


パトカーが並ぶ。

数を数える意味はない。

被害の大きさだけが、台数に出ていた。


警官が降りてくる。無線を持つ者。周囲を見る者。

すでに指示を出している声。


視線は、まず人に向く。

次に群衆。

最後に、地面に伏した巨体。


誰かが手を上げ、誰かが下がるように指示する。

即席の規制線が張られ始める。


泣いていた人間が外へ押し出される。

抗議の声が上がり、かき消される。

現場の空気が、少しずつ変わる。


ここからは、警察の空間だった。


茂は、その中に残った。







即席の規制線が、太くなっていく。

テープが足され、人が下げられ、声が整理されていく。


その途中で、叫び声が割り込んだ。


「——あいつだ!」


「うちの子が……結菜が死んだのは!」

「あいつが、そこにいたからだろ!」

「あいつが——!」


言葉が崩れる。

名前も、理屈も、順序もない。


中学生くらいに見えた。

制服の灰色が目に少し残っている。


周囲がざわつく。

制止の声。

引き戻す腕。

それでも保護者は前に出ようとする。


茂は動かない。


視線だけを、ゆっくり周囲に走らせる。

群衆との距離を測り、警官の配置を確認した。


……少し、露骨だったか――


一瞬、そう思う。

囮の置き方。

逃げ道の切り方。


結果を急ぎすぎたか?


ポケットの中の重さを意識する。

スポーツグラス。

記録は残っている。


面倒になるなら―――

――――——消すか。


ほんの一拍。

指を動かすかどうか、

そのとき、肩越しに声が落ちた。


「ちょっと」


警官だった。

近づきすぎない距離で立っている。


「個人で、これを?」


確認というより、感嘆に近い声だった。

現場を一通り見た後の、率直な評価。


「……はい」


茂は短く答える。


「正直、すごいですよ」

口元は笑っていた。だが目は笑っていない。

「今の状況で、ミサイルなしでやれる人は聞いた事がない」


褒め言葉は続かず、警官はすぐに本題へ切り替えた。


「身元、確認させてください」


手続きの声だ。


茂は頷き、財布を取り出した。


背後では、まだ声が上がっている。

泣き叫ぶ保護者。

それを抑える警官。


茂は、そちらを指した。


「………何か、問題がありましたか」


警官は一瞬、視線をそちらに流す。


「平時なら、問題になることもあります」

短く考えてから、そう言った。


「今は、そこまで踏み込めません」

「こちらから何かする話ではない、というだけです」


そこで一拍、間を置く。


「ただし」

「同じことが続くと、扱いが変わることはあります」

「その時は、こちらも対応せざるを得ません」


釘だった。

忠告でも、脅しでもない。

現実の話。


「覚えておいてください」


茂は頷いた。


理解したからではない。

必要な情報だったからだ。


群衆の声が、また一段、遠くなる。


ここは、完全に警察の空間になっていた。







規制線の外に出ると、空気が変わった。

背中側では、まだ声が続いている。泣き声。怒鳴り声。指示。

それらは混ざり合って、距離と一緒に形を失っていく。


茂は振り返らない。

見ても、もう増える情報はない。


歩き出す。

舗装の割れ目を踏み、影の薄いところを選ぶ。

足音は一定だ。速くも、遅くもない。


通りに出ると、車が流れている。

止まらない。

減速もしない。

窓の内側に、人の気配だけが沈んでいる。


街は動いている。

事故のあとに戻る速度で、何事もなかったように。


信号が変わる。

横断歩道を渡る人間の列に、茂も混ざる。

誰も、こちらを見ない。


ポケットの中で、硬い感触がある。

グラス。

意識すれば触れる距離。

触れなければ、そのまま通り過ぎる距離。


今は、決めない。

そういう判断だけが、短く浮かぶ。


駅前を外れ、一本裏へ入る。

明るさが落ち、音が減る。

さっきまでの現場が、別の場所の出来事みたいに薄れる。


足を止める理由はない。

立ち止まる必要もない。


茂は、そのまま進む。

どこへ行くかは、まだ決めていない。


街灯の下を抜け、

次の影に入る。


背後で何が起きているかは、もう関係なかった。

本日もお読みいただきありがとうございます。


少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、

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明日も21時に更新予定です。引き続きよろしくお願いいたします。

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