第39話 岐路
現場に入っても、茂は足を止めなかった。
中規模スーパーの駐車場。
害獣までの距離と現場の幅、そして逃げ場を確認する。
視界に収まる範囲で、全部を一度に測る。
でかい。
区分は分からない。だが中型ではない。胴の厚みと、動いたときの地面の鳴り方が違う。
破壊は点じゃない。面で来る。
四足。
頭が低く、胴が異様に分厚い。
首が見えない。頭と胴が、そのまま一つの塊みたいに繋がっている。
踏み込むたびに、地面が鳴る。
速さより重さ。
走っているというより、質量が移動している。
皮膚は鈍く光り、刃が通りにくそうだ。
筋肉というより、詰め込まれた密度。
正面から当たれば、人は簡単に潰れる。
進路にあるものを選ばない。
避けるという発想がない。
ただ、前にある「動く物」を消していく。
悲鳴が途切れず、動線が詰まっている。
立ち止まる人間が多い。走る方向が揃っていない。
茂は視線を切った。
速い者から見ていく。
状況を理解している目だった、声より先に身体が前へ出ている。
「走れるな」
短く言って、進路を指す。
二人、三人。
背中が離れていく。
返事がない声、足が揃わない影。
そこには近づかない。巻き添えを食らう。
立ち位置を半歩ずらす。
それだけで、流れが変わる。
重い影がそちらへ向く。
狙いが定まる前に、別の動きが目に入る。
茂は呼吸を整えない。
必要がない。
心拍は、上がっていなかった。
距離が縮まるたび、地面が鳴った。
踏み込みは遅い。だが一歩が重い。
当たれば、逃げ切れない。
前に出ない、横へ回る。
進路の端を、わざと空ける。
悲鳴が上がり、立ち止まる影、独断で動ける者はもう少なかった。
「そっち」
短く言って、手を振る。
理解できる視線だけが動く。
人の流れが崩れ、背中が角を越えていく。
走れない塊に影が寄る。
動けない集団、声をかける意味もなかった。
茂は近づかず立ち位置を、もう半歩だけ切る。
進路が曲がる。
重い頭が、そちらを向き瓦礫が跳ね看板が折れた。
悲鳴がまた一段、低くなる。
茂は距離を保ったまま、足を運ぶ。
詰めない。
止めない。
害獣の思考時間を削り、動ける面を狭める。
呼吸は一定。
視線は、逃走路から外さない。 誰が残っているかは、分からない。
犠牲が出たことで、場が静まった。
悲鳴の数が減り、音が整理された。
状況はずっと読みやすくなる。
赤ん坊を抱いた女は、もう動かない。
潰れた荷物の下で、声も形も失っていた。
中学生くらいの女の子が、少し離れた場所に転がっている。
脚が変な方向を向いている。
起き上がれない。
茂は獣との間合いを測り、
踏み込みと次の動きを即座に計算した。
――足りる。
茂は走り出す。
獣の視線を、その位置へ固定するように、あえて直線上を掠める。
獣が反応する。
重い頭部が、逃げられない獲物を捉えた。
茂は進路を切る。
助けるためではない。
その位置を、あれが必ず足を止める終着点として確定させる。
女の子が振り返った瞬間、絶望が顔に浮かぶ。
目だけが異様に見開かれていた。
声が出る前に、巨大な質量が落ちた。
濡れたものが押し潰され、内部ごと破壊された。
物理的な重圧が、それを地面に平らげる。
生命の形が失われるのに、一秒もかからない。
囮は、完全な沈黙となって役目を果たした。
音が消える。視線が固定される。
必要なのは、数秒。
その命と引き換えに買った――
獣が「餌《女の子》」に意識を割く数秒だ。
害獣は動きを止める。
重い頭を落としたまま、その場から離れない。
咀嚼に集中し、視線が上がらない。
進路は固定されている。
注意は一点に縫い留められたまま。
動きの幅が、消えていく。
――これでいい。
彼女は死んだ。
だが、囮は役目を果たした。仕留められる。
茂はそう判断した。
善悪は考えない。
生き残るために。
有利に立つために。
すでに押し潰される過程にあった命を、囮として使い切った。
――ただそれだけだった。
囮が機能している間、獣の重心は前に落ちたままだった。
頭が下がり、咀嚼に集中している。
脚の踏み替えが遅れ、横への注意が抜ける。
横から入る。走らない。音を立てずに寄る。
踏み込みの角度だけを合わせる。
距離、二歩。
刃先が届く。
槍を構え、ためは作らない。
刺突。
刃が内部に収まる。
想定深度。
――今だ。
トリガを引く。
作動。
一拍も置かず、圧が解放される。
MIL-SPECの作動圧が、内部で一気に立ち上がった。
押し広げるのではない。
内側から破断点を探して叩く。
筋膜が裂け、支えを失った組織が一斉に崩れる。
内部で空間が生まれ、次の瞬間、その空間ごと潰れた。
衝撃が逃げ場を失い、反射して返ってくる。
獣の身体が跳ねる。
脚が踏ん張れず、重心が一瞬で瓦解する。
遅れて、呼吸が引きつった。
空気を吸えない。
胸郭が動かない。
茂は槍を抜かない。
圧が尽きるまで、位置を維持する。
内部で、何かが決定的に折れた感触。
それ以上、形を保てない。
四肢がばらけ、巨体が横倒しになる。
地面が鳴る。
反動が、ようやく外へ漏れた。
痙攣は短い。
力は戻らない。
茂は槍を引き抜き、距離を取る。
倒れた影は、もう追えない。
頭部が動かず、脚が空を掻くだけだ。
――成立。
遅れて、重さが来る。
倒れた影から、熱とも圧ともつかないものが剥がれ、
一瞬、空気を無視してこちらへ流れ込む。
胸の奥が詰まる。
呼吸が一拍だけ遅れる。
筋肉が張る。
骨の内側で、何かが噛み合い直す感触。
強くなる、というより、使える範囲が一段拡がる感覚。
茂は深く息を吸い、吐いた。
違和感はない。
拒絶も、反動も残らない。
――受け取った。
茂は視線を切った。
確認は一瞬でいい。
囮で稼いだ数秒。
横から入った一撃。
判断に迷う余地はなかった。
作動は正常。
圧は、想定どおりだった。
茂は槍を下げ、次の動きを考え始めていた。
現場は、まだ終わっていない。
地面に伏した巨体は、もう動かない。
脚先が空を掻く癖だけが、遅れて止まった。
茂は呼吸を一度だけ整え、視線を下げた。
血の広がり方。
破断の位置。
内部で潰れた音の余韻。
――死んでいる。
槍をケースにしまい、だがその場を去らない。
茂は顎を引き、フレームの内側を指で一度だけ叩いた。
録画が止まる。
表示が消え、視界が現実に戻った。
映っているのは自分の顔じゃない。
距離と角度。
刃の侵入点と、倒れるまでの連続。
十分だ。
証明には足りない。
だが否定はされない。
遠くでサイレンが鳴り始める。
警察だ。
人が死んでいる。
それだけで、来る理由は足りていた。
茂はその場を動かない。
逃げない。
逃げる理由がない。
未登録の討伐は、ここからが本番だ。
動画は送らない。
アップもしない。
ただ端末に残す。
回収業者が来れば、見せる。
位置と時間が一致すれば、話は進む。
進まなければ――
金にならないだけだ。
それだけの話。
茂は死体から視線を外し、周囲を見渡した。
まだ、人の気配がある。
まだ、現場は静まっていない。
まだ、仕事は終わっていない。
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