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寅之介最大のピンチにゃ

『眠いにゃ~。』


『毎日大変そうね。はい、コーヒー。』


深雪が眠気覚ましのコーヒーを淹れてくれた。


『シロの方はどうかにゃ?』


『だんだん落ち着きがなくなって来たわ。』


出産が近付いてきた証拠だ。


『無事に産まれると良いにゃ~。にゃ?』


寅之介が異変を察した。


『寅ちゃん、どうしたの?』


『また雄トラが来たのにゃ。』


このところ、寅之介は雄トラに対して非常に敏感になっていて、臭いで雄トラが店に近付くとすぐに分かる様になっていた。


『寅ちゃんも発情期が近いんじゃない?』


『そうなのきゃな?』


寝不足で疲れはあるが、発情期の兆候はまだない。


『早く注射した方が良いかもしれないよ。』


避妊手術が出来ない寅之介は注射で発情を抑えているが、本来日本国内で猫には承認されていない薬なので、慎重を期する。


『シロの出産が終わってからで良いにゃ。寅は後回しにゃ。』



シロの出産はカウントダウンを迎え、カフェの営業の傍ら、里沙と深雪が交互に準備をしているのでカフェ自体も落ち着かなくなってきた。


寅之介も連夜の運動会のせいで、昼間は眠くて堪らない。


『……だるいにゃ。……でもそんな事言ってられにゃいのにゃ。』


こういう時、深雪にすりすりして甘えたいと寅之介は思う。


しかし、深雪は忙しくカフェと2階を行き来しているので甘える事は出来ない。


そして、今日にもシロが出産という状態になった。


カフェは臨時休業となり、出産に備えて交配の時と同様に部屋にビデオカメラとカフェにモニターを設置した。


『寅ちゃん、大丈夫?』


『……大丈夫にゃ。』


寅之介は朝から調子が悪い。


(ここでみんなに迷惑は掛けられにゃい……。)


寅之介は発情が始まった事を自覚していたが、ここで鳴き声を出したらカフェにいる里沙や深雪、他の猫たちに迷惑が掛かると思い、ずっと我慢していた。


(声を出したいにゃ。)


発情した雌猫は大きな声を出す事でフェロモンを雄猫に撒き、それにより雄猫は発情する。


寅之介は理性と本能の狭間で闘っていた。


(もう無理!)


ちょうどカフェの扉が開き里沙が入ろうとした瞬間、寅之介は隙を突いて店の外に飛び出した。


『寅ちゃん!』


深雪が追いかけようとするが、四つ足でダッシュした寅之介に追い付く訳がない。


『ごめん、油断した。』


『どうしよう、寅ちゃん出て行っちゃった。』


里沙も深雪も後悔したが時すでに遅しだ。


『なーーーお!!』


暫くして、離れた場所から寅之介と思われる発情の鳴き声が聞こえた。


寅之介は、事故を起こしトラを埋めた空き地で雄猫を呼び寄せる。


「やっぱりあんたか。待っていた価値はあったぜ。」


のそのそと雄トラが背後から近付いてきた。


雄トラは周囲におしっこを撒き、不敵な笑みを見せる。


「来ないで!ここで妊娠する訳にいかないんだから!」


寅之介は僅かに残った理性を保ち、雄トラに爪を向けたりパンチを出して応酬を始めた。


「ふふ。身体だけは大きいが、そんな弱々しいパンチが俺に通用すると思っているのかい?」


百戦錬磨の雄トラは寅之介の攻撃には全く動じず、首を噛んで寅之介の動きを封じる。


「あ。動けない……。」


そのまま雄トラは寅之介に跨がった。


「痛い!」


寅之介は鋭い痛みを感じ、即座に雄トラを振り払ったが、行為は終わった後である。


(やっちゃった……。)


少しの油断だったが、取り返しの付かない結果となった。


(もう、人間には戻れないのかな。)


寅之介はとぼとぼカフェに歩き始める。


「おい、待てよ。まだ一回だぜ?」


雄トラが寅之介を追い掛けようとしたその時、雄トラの視界が遮られる。


「なんだ?ここは!」


雄トラは保健所の職員に捉えられてしまった。


それまでは巧妙に逃げ回っていたのだが、寅之介に注意を奪われて隙が生まれたのだ。


『やっと大物を捕まえたよ。悪いね、手術が終わったらすぐに帰すから。』


職員の原田がケージで暴れている雄トラに向かって言った。



寅之介の足取りは重く、カフェに着いたがそのまま店の脇で丸くなっている。


一度交尾を終えた事で発情は多少治まったが、声を発するとまたフェロモンを放出してしまいそうだ。


『寅ちゃん!』


深雪が、アパートの階段から降りてきた。


『何処に言ってたの?シロもう2匹目産んだのよ。』


猫は一度に4~5匹くらい出産するが、同時ではなく最低30分程度の間隔を開けて産まれてくる。


そのため、出産自体は数時間掛かるのだ。


『深雪ちゃん、ごめんにゃ。もう人間には戻れないにゃ……。』


『寅ちゃん……。』


寅之介につられて深雪も泣きそうになる。


『良いよ。言ったでしょ?どんな姿だって寅ちゃんは寅ちゃんだって。私は寅ちゃんが元に戻れなくなってもずっと愛してるって。』


『……ホントにごめん……。』


人としての感情が猫の本能を上回っているのか、寅之介は発情をしなくなった。


カフェに戻った寅之介を子どもたちが待ち受けていた。


「お母さん、元気出して。」


「シロちゃん、頑張っているんだよ。お母さんも負けないで。」


「みんな、ありがとうね。」


寅之介は、懐妊をしたらそのまま子どもを産んで、猫として生きる覚悟を決めた。

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