37 闇より這い出るモノ
――空気が振るえ、空間が歪んでいた。歪みから滲み出す黒い霧は魔界の瘴気だろう。それだけ禍々しい雰囲気を放っていた。
その空間から姿を現したのは馬車だった。二頭引きの馬車とその屋根に立つ騎士。威風堂々とした立ち方ではあるが、一目で魔物だと解る。馬も騎士も首が無いのだ。馬は切り取られた傷口から黒い霧を滲ませ、騎士は己の首を片手で持っているのだ。脇に抱え込むようにフルフェイスの頭部を。面貌からは魔物の証とでも言わんばかりに血のように赤い瞳が爛々と輝いていた。
デュラハン。アンデット系で上級魔族に分類され、力量は尋常じゃない。倒せないわけではないのだが……。
二頭引きの馬車の上に立つ身の丈二メートルを超える魔物は大きな剣というよりも、鉄塊のような武器を携えている。普段は片手に手綱、片手に己の首を持っているが、いざ戦闘となると手綱を手放し、鉄塊を振り回す脅威の魔族だ。
従えるのは当然、闇の先兵たる死騎士達。規模としてはレダの騎士隊長の位置に居るが、力が騎士隊長というわけでは無い。
実力はかなり手強い。魔法耐性も高く、精神魔法はまったく効かない。鎧の魔物であるために物理防御力も高いのだ。さらにアンデットの特徴で痛みを感じて鈍るという事も無い。弱点という弱点は無く、兵器としてならばかなりのものだ。操る事が出来るならばだが。
ちなみに、馬車を引っ張る馬二頭も軍馬であるために近づくと前足で蹴られる。もし、人間の頭部を蹴ったならば、弾け飛ぶか陥没するだろう。
「私たちの勝ちだ」
抑揚の無い女性の声だった。
ウォロンが振り返ると黒装束に手甲を付けてセリアが立っていた。
ウォロンは首を傾げた。墓場で会った時もそうだったが、最初に出会った時のような美しさが無いのだ。
その違いがどこなのか、状況が切迫しているというのに思い出していた。そして、それはセリアをじっと見つめて気づいた。瞳が違うのだ。
出会った時の瞳は冷たい意思を宿しつつも、奥に隠そうとする何かを感じられたのだ。それを無理矢理隠そうとする意思の強さ、決意が美しいと思えたのかもしれない。その全てが紫紺を宝石のようにしていたと思えるのだ。
だが、今は違うと断じられる。どう見ても紫色に塗りなおした石ころのようにしか見えない。冷たい意思は出会った頃とは比べ物にならないほど強い。そして混ざり合う殺気は今まで経験してきた中でも上位に入るほど強いものだった。
だが、ウォロンからするとそれだけだ。それだけに疑問は強くなった。
「墓場で会った時に思ったんだが、なんでそこまで殺意を俺たちに向けるんだ?」
ウォロンの言葉にセリアが身体を揺らした。まるで物理的に攻撃されたように揺れて……そして爆発した。
「き、きさまたちが! 殺した同胞は私の大事な……それを忘れたとは言わせないわ!」
吹き付ける殺意。生暖かい突風がセリアを中心に吹き荒れた。背後でデュラハンを中心に陣形を組んでいた死騎士の一部がウォロンへ向けて歩き出した。
殺意に反応したのか、歩みながら剣を抜く。
死騎士が邪魔だと言わんばかりに――元々、言えないのだが――剣を横薙ぎに振るった。進行方向にウォロンが居たからだ。
角度、速度ともに卓越した動きで、鎧を身に付けていない胴体ならば真っ二つにしただろう。それだけの剣技にウォロンはセリアを見つめながら躱す。
ただ、一歩前に出ただけなのだが、見もせずに気配だけで躱したのだ。見る必要も無いというわけではない。セリアから視線が外せなかったのだ。隙を見せれば襲い掛かってくる。そう確信出来るだけの気配を持って対峙しているのだ。
死騎士は無言で剣を振るう。だが、それは全て躱していた。視線は変えず、ただ真っ直ぐにセリアを見ながら一合も打ち合わずに躱し続けた。
ウォロンの脇を抜け、二体の死騎士がセリアに迫っていた。
それを一瞬だけ疑問が過ぎったのか、セリアは身体を揺らした。だが、セリアもまた戦いに慣れた者。魔道具の影響から抜け出している事を知っていても、知らなくても向かってくるならば敵だと認識しているのだ。
そして、死騎士が剣を振り被り、袈裟に斬りかかってきた時に当然のように応戦した。
左から斬りかかる死騎士の一撃を左の手甲で弾き、右の手甲で骸骨を打ち抜く。拳を守る目的もある手甲の一撃は容赦無い。
最大の威力が込められた拳によって、兜はひしゃげ、中に納まっていた骸骨は衝撃で砕けた。右から追撃するように横薙ぎに迫る剣は戻した右の手甲で剣の腹を上から叩きつけて砕き、左の手甲で頭部を打ち抜く。一撃を手甲で逸らし、空いた方で渾身の一撃を返す。それがセリアの戦い方なのだろう。確実で堅実な戦い方だ。
それが出来るという事は怒りに身を委ねてしまっているわけではないのか、もしくは修練の末に本能が正確な反撃を繰り出しているのか、どちらともとれるし、どちらとも言えない。見た目と雰囲気からはまったく感じ取れなかった。
頭部を破壊された死騎士はまだ動けるようだったが、それも少し時間が経てば止まるだろう。だが、セリアはそれを黙って見ていなかった。身体がよろけている隙に追撃で放った横蹴りが死騎士の胴体を襲った。
どうみても女性の細い足だ。だが、金属がひしゃげる音と共に数メートル離れたウォロンの所まで吹き飛んでくる死騎士を見ていると、肋骨が折れる程度では無く、内臓すら破裂されかねないほどの威力が込められていると容易に想像出来た。
当然、ウォロンはその飛んでくる物体を難なく躱すと、背後から斬りつけようとしていた死騎士に追突し、一緒に吹き飛んでいった。
さすがに驚きを隠せないウォロンは、後ろを振り向いて絡まっている死騎士達を眺めた。当たり所が悪かったのか、二体共動く気配が無かった。
「まさか、魔族が裏切るとは……フフフ……」
「裏切った、じゃなくて、十字架の力じゃ操れなかったんだろ」
「バカなっ! 我々一族が今まで秘蔵してきた伝説の魔道具なのよ。お前らが何かしなければ失敗なんてしないわっ!」
一足飛びに間合いを詰め、右の手甲が襲い掛かる。右へ首を傾げて躱しつつ、サイドステップで横へ移動すると、今居た場所を下から振り上げられた蹴り足が目に入った。思わず腰が引ける。
「あの魔道具はデュラハンも操れますって書いてるのか? 絶対無理だ。あの上位個体が操れるなら、そもそもゼルシムなんて国が生まれるわけねぇんだよ」
トナから得た知識だ。それだけに自信を持って言える。
十字架が全てのアンデットを支配出来るならば、この大陸は死者とそれを操る者が君臨していたはずだ。そうならなかったならば、その程度の力しか無いという事だ。
「なら……」
「だから、滅んだんだよ。目の前に居る奴等が増えてな……」
斧と盾を構えなおしたウォロン。薄々気づいていたのかもしれない。セリアは悔しげに俯いた。それを見てもウォロンの気が緩まなかったのは新たに死騎士が動き出していたのと、セリアの張り詰めた黒い雰囲気がさらに強くなっていたからだ。
「おまえの話が……事実だとしても……。私の同胞を殺した理由にはならないわ」
ゆっくりと静かに呟く。怒りに身を任せて叫ぶよりもずっと力と気持ちが込められていた。それでも怯まない。戦場においては同じような事が何度もあった。それだけにセリアの気持ちが伝わってくるのだが、その気持ちには己の腕によって応えてきた。
そうやって今まで生きてきたのだ。
一触即発。その言葉が一番合うだろう。向かい合い、互いに牽制し合うセリアとウォロン。
互いにタイミングを合わせたように一撃を打ち込んだ。斧は左の手甲で防がれ、右の手甲は盾で阻まれる。
睨み合い、二撃目を放とうとして――。
――互いに横へ視線を飛ばした。
視線の先には背後に死騎士を従えたデュラハンが居た。綱を握り、二人へと馬車を駆って迫ってきたのだ。
何がきっかけなのか解らない。彼等の思考能力を理解出来る者がいないからだ。
剣を持たずに馬に手綱を叩きつけている様子を見ると馬車による体当たりが目的のようだ。この攻撃で死ぬようならば相手にするだけの力量が無いと判断するのかもしれない。
デュラハンの思考は解明されていない。近くに居る生者を全て敵とみなし、各個撃破しようとしているだけのようだ。
「くそっ!」
一瞬呆気に取られたウォロンがセリアに前蹴りを食らわし、その反動を利用するように己はバックステップで距離を取った。
腹を押さえたセリアが怒りを顕にウォロンを見据えた。蹴られた事に怒りを感じたわけではない。故意かどうか解らないが、結果的にデュラハンの攻撃から遠ざけるような行動に思えたからだろう。
猛然と走る馬車が通り過ぎた。
セリアは馬車が通り過ぎた行方には興味を示さずに目の前にだけ視線を向けている。
そこにはしゃがみ込んだウォロンが居た。馬車の突撃には気づいていた。だが、セリアを蹴った行為が脱出する時間をわずかに削ったのだ。走り去る馬車の車輪が足首に当たり、衝撃とともに捻ってしまったようだ。
その様子を見ていたセリアは唇を噛んで睨みつけていた。
旋回したデュラハンが方向転換している。正面にウォロンを見据えて。同時に仕留めようという考えは無い。確実な死を与える者なのだ。
首なしの馬がどこで鳴いているのか解らないが、前足を高らかに上げ、嘶いた。
ウォロンが捻った足を確かめるように爪先で地面をノックし、不敵な笑みを浮かべ、舌で唇を舐める。
今の状況下を面白いと感じているのだ。




