32 三匹の獣、大地に立つ!
アシューの機嫌は時間の経過と共に悪くなっていた。トナの妄想とも取れる話だったが、目の前に予想以上の出来事が展開されている今、従うしか無かった。様々な憶測が飛び交う中、目の前の現実はしっかりと見据えなければならないために問い詰めるわけにもいかず、悶々としていたのだ。
先に命じた事により、アシューの第一分隊は住民の避難を終了させていた。まだ不満そうなアシューではあったが、目の前の状況を実際に見て驚くしかなかった。そして、疑惑の目をトナへ向けていたのだが、さすがに緊急事態だったために素直に従う。
普段ならば城壁から見える家々からは炊煙が上がる時間帯なのだが、今は別の煙が上がっていた。数本の黒い煙が風に流されて漂っていたのだ。
火災が発生している。
それも数戸の家屋から火が上がっている。事態をまるで予見していたように迅速に騎士を動かしたために住民の避難は完了している。だから、被害者は居ないはずだ。夕食時が近いので火の始末が不十分だったのだろう。
アシューはすぐに数人の騎士に消火にあたらせた。
そして、南門より先――レダ国へ通じる大きな平野に大集団が向かってきていた。
その集団は遅々とした歩みだ。
誰でもおかしいと感じるだろう。地平線が蠢く白い線で歪んでいるのだ。紅点が一対、集団になっているために白と赤のコントラストがある意味綺麗だ。不気味ではあるが。
その集団は大きく分けると二種類で構成されていた。
一種類はぼろぼろの衣服にあり合わせの武器。おぼつかない足取りで、土気色の表情には意識というものは無い。だらりと下げられた腕や足元、衣服に色々な汁が滲み出ているモノ。
もう一種類は真っ白で細い線、生前使っていたのか丸い木製の盾と錆びて折れた剣を持ったモノ。
ゾンビ兵――死して間もない死体が魔力によって動かされた、ゾンビと言われる下級魔物。白骨化した状態で操られると下級魔物の骸骨兵――スケルトンと呼ばれるようになる。
ゾンビは死後硬直した腐肉があるために動きが遅いが、生前の面影を残しているため、今回の場合だと最近亡くなった知り合いに襲われる可能性があり、慣れない騎士では攻撃を躊躇するかもしれない。
スケルトンの場合は動きを阻害する部分が無く、ゾンビと比べると早い。骸骨であるために誰が誰であるか解らないので、騎士でも十分対応できるだろう。その代わり頭蓋骨か、背骨を砕かないと動きが止まらない。
魔術によって呪われた闇の先兵となった二種類の魔物は、夕暮れ時の薄暗さが目立ってきた平野をゆっくりと進軍してきていた。城を目指して歩いてくるのだ。その様子を見た者は誰しも思うだろう。
この世の終わりだと。
骸骨兵とゾンビ兵の混合部隊はざっとみて三千は下らない。だが、それは城壁の上から見ただけでは、だ。実際は街の外側にはたくさんの供給源があるのだ。時間が経つたびにぞくぞくと増えていくだろう。魔物との戦闘経験が豊富な傭兵三人は特に焦らなかった。だが、戦いそのものに慣れていない騎士達には辛い相手なのだ。
数はともかく平野を埋め尽くす冥府の住人が、操られるように真っ直ぐ城を目指して進軍しており、視覚的に恐怖を植えつけ、漂う腐臭が嗅覚を攻め立て、精神を揺さぶる。
冥府の軍団が街を守る最後の砦となる城壁へ迫ってきているのだ。その外壁の上に立ち、敵をじっと見つめる三人が居た。
すでに薄暗くなり、余り遠くまで見渡す事が出来なくなっていたが、異変と呼ばれる現象はしっかりと視界に入っている。
状況としては三千以上の軍勢が押し寄せてきているのが見えるのだ。中身はまったくの別物だが。
「……んで、あの大量のご一行様は何だ?」
プロングスが杖で軍勢が居る方向を指す。南側だったらどこへ指しても軍勢に当たるだろう。
「そだなぁ、里帰り?」
「未練がましいのが多いなぁ……って三千以上が里帰りっておかしいだろっ! 一大イベント過ぎるわっ!」
余裕なのか、苦笑気味のノリ突っ込みである。
「なぁ~に言ってんだよ。爺ちゃんやら婆ちゃん。そのまた爺ちゃんに婆ちゃんと一族勢揃いしてるぞ。目に見えないだろうけど、あの暗がりの向こうにゃまだまだいっぱいいるんだぞっ!」
「お前がキレる理由がわかんねぇし! 何したらこうなるんだよっ!」
もちろん、ウォロンはそれに乗る。一通りプロングスとの掛け合いを済ませた所で一旦真面目に戻る。状況が状況だけに遊んでばかりはいられない。
「いやぁ、出来るだけ減らしてきたんだけどね。後から後から湧いてきちゃってさ。手に負えなくて逃げてきたわけだが。いつの間にか、なんかこうなっちゃったんだよ」
「……本気で逃げ回ってきただけじゃないんだろうけどな」
「まぁな、走ってたら横からわらわらと近寄ってくるし、地面からは腕が生えてくるしな。昔彷徨った洞窟の罠を思い出したよ……」
「そいつは楽しそうな思い出話だな。今度聞かせろや……んで、横からってどういうことだ?」
「最初の墓場で魔道具に後一歩ってとこだったんだけどね。邪魔されちゃってさ。失敗した」
肩を竦めておどけるような仕草をする。そこで片付けられれば良かったとは思っているのだ。
「てことは一回抜いて、他の場所でまた刺したわけか」
「だろうな。抜いたらすぐに連中は土に還ったから、今は刺さった状態ってこった」
「どこか予想出来るか?」
「無理だな。大雑把に言うと、ここから南東側だろうとは思うけど、それだけだ」
「本当に大雑把だな……」
苦笑を浮かべたプロングスが意見を求めるように視線を隣へと向けた。トナが居るのだ。だが、目の前に広がる死者の絨毯を見つめ、顎へ手を置いて思案に暮れていた。
色々な可能性を考慮して深く潜っているトナは二人の会話にまったく反応できていない。
しばらく時間を置き、トナが深くため息を吐き出した所でウォロンが話しかけた。
「一気に片付けたいとは思うんだけど、どうする?」
身体を少しでも休めようと城壁に寄りかかりながら二人に問う。
「一気にやれるけど……先を考えると……」
「だな。俺達が片付ければ被害が少なくて済むんだが、それじゃ騎士を鍛える事は出来ないからな。正攻法でいこうや」
魔術師二人――トナとプロングスは同じ意見のようだ。
確かに三人が前に出て闘えば二千や三千体程度のゾンビやスケルトンは何とか排除出来るだろう。レダ国では彼等は万夫不当の実力を持つ傭兵である。力を限界まで出し切れば一万くらいならば何とかなるかもしれない。綿密に作戦を練る必要があるが。
しかし、それではこの国の騎士達が無用となってしまうのだ。三人が居ればこの国は安泰だと思わせるのも一つの手ではあるが、それは一時的なものに過ぎない。
屈強な騎士によって国が安定していると、この国に住まう民衆に思わせなければならないし、諸外国にも知らしめなければこの先三人が居ない場合、もしくは一人でも欠けている事を好機と見た国々がすぐにでも攻めてくるかもしれない。
そこまで考えた二人はウォロンへ視線を向ける。ウォロンはそれをまったく否定せず、頷くだけで済ませた。考えるのが苦手なだけに二人の意見に賛同する形を取っているのだ。今までそれで大きな失敗はしていないし、これからも少ないだろうと信じているからだった。
ふと、ウォロンが思い出したように口を開く。
「傭兵ギルドの連中は黙って見てるんかな?」
ウォロンの思い付きなぞ、全て知っているとばかりに正面を眺めながらプロングスが答えた。
「国からの命令って事で黙らせたみたいだな。実践訓練のため、助力は無用って通達したようだぞ。それでも動きそうな奴も居たようで、特別報酬って事で今日は飲み食いが全て国持ちらしい」
「ちょっと、お腹が痛いんで、宿で休んで──」
「酒飲みてぇのはおめぇだけじゃねぇぞ。今日は黙って働け」
宿へ帰ろうとしたウォロンの襟首をプロングスが掴み留める。
見慣れた二人のやり取りにはまったく意を解さずにトナが呟いた。
「今魔力探査してみたんだけど、方向と距離は大体掴めたよ。方向があっちだから……あの森を抜けた先にある小さな村付近かなぁ?」
何気ない仕草で方向を指差したトナ。それにウォロンが噛み付いた。
「ほぉほぉ……。そんな便利な魔法を知っていて、俺だけ探索に向けたわけか?」
「真偽が定かじゃねぇのに忙しい俺が行くわけにいかねぇだろ。暇だったがぶろんが適任だっただけさ」
正論とばかりに言う。いや、正論であり合理的ではあるのだが、ウォロンが納得出来る理由にはならなかった。
「……くっ。人の苦労を一言で片付けやがって……落ち着いたらゆっくりと語り合う必要があるな……」
まだ根に持っていたようだ。
「そんな時間あればな」
素っ気無い返答と共に三人は振り返った。方針が決まり、城壁から降りる三人をこの一大事に緊急招集された第一騎士団から第三騎士団までが並んで待っていた。
一様に顔色が優れない。大きな戦闘に慣れていない事もあるだろうし、付け加えるならば敵が死体の集団という事も原因となっているだろう。
隊長であるアシューや第二、第三の隊長が鼓舞するように叫んでいるが、まったく収まる気配は無かった。叫んでいる内容を聞いて三人はそれぞれの反応を示した。
ウォロンは大きなため息を吐き、トナは苦笑いを浮かべ、プロングスはアシューの勇ましい声に微笑んでいる。
不安を打ち消す画期的な戦略も無く、ただ民衆を守るために命を捨てる覚悟で戦えと言っているのだ。
経験が少なく、事務的な仕事が多いレダの騎士達には無理な話だろう。騎士とは、敵を民衆から守るために命をかけるのだ。
他国でもそうだろう。
だが、レダにおいては建前でしかない。安定した給料が支払われ、失業も無い。命を掛ける仕事はここ数十年では何度か数える程度。これがレダの騎士達の意識なのだ。当然、戦闘訓練は行われている。だが、意識が低い者達には退屈で汗を流すだけの運動としか捉えていない。むしろ身体を動かして健康に良いとさえ思っている者も少なからず居るだろう。そのために弱い。
逆に礼節や儀礼などはしっかりと叩き込まれているため、他国の使者が訪れた際には不快な思いをさせずに済むという利点があると言えばある。
三人が軽い敵情視察を終え、降りてきたのを確認したアシューが近寄ってきた。
「どうです?」
心配そうな表情を浮かべ、口調も固い。緊張しているのだろう。サファイアの瞳が動揺を隠せていない。鼓舞するつもりで叫んでいても動揺が言葉や動きに現れているために、アシューの意図がまったく伝わらないのだ。焦りも出るだろう。
それを見たプロングスは肩に手を置き、優しげにぽんぽん叩いた。慰めるように、落ち着かせるように。
だが、ウォロンがこれ見よがしにため息を付くと、隊長達が叫んでいる簡易建設された高台に上った。第二、第三隊長は慌てて押さえつけようとするが、振り払って壇上に上がり騎士達にゆっくりと声を掛けた。
「お前たちがこれからするべき事は何だ?」
突然の問いにざわめく。互いの顔を見てぼそぼそと意見を言っているようだが、確信が取れないために答える事が出来ないようだ。
「デルガ。答えろ」
名指しで叫ぶ。明らかに嫌がらせを前面に出しているのだが、それ以外に知っている名前が無いのだ。騎士達からすると個々を統率する小隊長が上司であり、その上司を統率するのが隊長なのだ。訓練教官という名目とは言え、今現在は戦争である。教官如きが高台に上り叫んで良い状況では無い。統率無くして勝てる戦争は無いのだ。
普段ならば無視するなり、大声を上げてウォロンの行為、行動を叱責するデルガだったが、やはり例の――表向き試合という名目の――一件以来ウォロンに一目置いているのだろう。
「我々は民衆を守るため、命を賭して敵を排除する。騎士道とは弱き者を守るためにある!」
皆に聞こえるように。自負を持って叫び返した。それに同調するように周りに居る騎士が叫んだ。
その威勢が徐々に伝播する。
数分後には召集された全ての騎士が声を上げた。
それを驚きの表情を浮かべて眺める隊長三人。そして苦笑いをするトナとプロングス。
ひとしきり全員の気持ちが高まったところを見計らってウォロンが腕を上げた。
それを合図に声を出すのを止めた騎士達。明らかに空気に呑まれ、ウォロンを総大将のように見ていた。
流れとしてはこのまま突撃の合図を送れば全員が逡巡する事なく動くだろう。それだけ気勢が上がっていたのだが、それをしないのがウォロンだった。
「デルガ……。おまえをバカだと思っていたが、今ほど救えないバカだと思った事ねぇよ」
寝耳に水だろう。炊き付けた男が否定するのだ。予想を遥かに超えた言葉に呆気に取られるデルガ。
「突撃するのはいいが、死んでどうなる? 相手は死を恐れない……てか、すでに死んでるんだ。そんな奴等相手に命を賭して? 笑わせるなっての。いいか、騎士の本分は民衆を守る。これは当然だろ。だが、問題はあんな死体相手に死ぬ必要も無いって事だ。何であいつらと一緒に土に還らなきゃなんねぇんだ?
いいか。あいつらを元の冥府に返して、俺達は全員生き残る。これが一番に決まってるだろ」
にやりと笑うウォロン。頼もしいとも取れるが、邪悪な笑みにも見えた。だが、それに反論するのは当然晒し者にされたデルガだった。
「どうやってそんな芸当ができるんだ! 夢を見るなら寝てからにしろ!」
当然の言い分ではある。迫り来る異形の軍隊を相手に実力不足なのが目に見えて解るからこそ、己の命を賭して闘わなければならない。そう思って決断したのだ。が、ウォロンは鼻で笑うと哀れんだ表情でデルガを一瞥した。
「状況を良く見ろ。攻めて来ているのは南門側だけだ。さらに統率されてるように見えるが、馬鹿正直に真っ直ぐ来ているだけだ。と、言う事は回りこまれる心配は無いってこった。だったら答えは簡単だろ?」
一度区切るように止め。周りを見渡してからまた口を開く。
「正面の敵一匹に対してこっちは三人で相手しろ。もし二人で相手するならもう一人加わるまで防戦のみだ。三人になったら攻撃しろ。これは必ず守れ。突撃するわけじゃねぇから前に出るな。立ち止まって相手しろ。出来るだろ?
戦闘に加われない後方は前方の仲間が疲れた時に交代要員として待機。目の前の敵だけに集中するなよ。周りに居る仲間と全体の流れに気をつけろ。それとあいつ等は不死じゃない。頭を斬り飛ばすか、身動き出来なくなるまで切り刻め。
何か意見は?」
きょとんとする騎士達だったが、説明をやっと理解出来た頃には行けるんじゃないかと思いはじめ、またざわめいた。一対一ならば自信が無い者達も三人で一匹を相手にしろというなら殺れる気がするのは当然だろう。
ウォロンがそれぞれの主だった騎士の表情を眺め、頷いた。それに頷き返す小隊長と不承不承ではあるが、晒し者にされたデルガも頷いた。
少し照れたように頭を掻きながらトナ達の元へ戻ってきたウォロンが、自分の作戦に異論が無いか表情を盗み見ている。トナとプロングスは異論が無いと言う意味を込めて頷いた。
そして、プロングスが隣に居るアシューに顔を寄せ小さく呟いた。
「アシューの分隊を三つに別けて北、東、西の城壁に待機させて。さらに密偵を十人以上配置してくれ。んで、そのうちの一人、二人を伝令役にして、何かあったら俺に連絡くれるようにしてくれ。俺はこの南側の城壁に居るから」
プロングスの言葉にアシューは最初理解出来なかった。しかし、数秒の時間を置いて気づいた。目の前の状況も脅威ではあるが、もしかしたら大掛かりな陽動である可能性もあるからだ。
気づくとすぐに行動する。プロングスに頭を下げると早々に振り返り、大声で自分の分隊を収集、力強く付いて来いと叫んで走っていった。
走り去るアシューの背中を眺める三人。
「師匠。俺は中核で回復に専念するよ」
「あぁ、頼む。まずは死人をこれ以上増やさないようにしてくれ。がぶろんはどうする?」
プロングスの問いにウォロンは肩を竦めた。
「ちょっと動き過ぎたからな。もう少しだけ寝てから、突撃しようかと」
「だな。がぶろんは好きにやってくれや。ただ、そのまま永眠しないようにな」
「そこは師匠と角刈りのがんばりに期待してるよ」
笑いながら片手を振って、また城壁を上がっていくプロングス。
肩を竦めてトナは回復役として第二分隊の背後に回るために歩いていった。
ウォロンはプロングスの後ろを付いていき、城壁に寄りかかって目を閉じた。やはり疲れていたのか、すぐに寝息が聞こえてきた。
長年、傭兵として生きている者は眠れる時に眠れるよう習慣が付いている。ただ、普段から寝る事が好きなだけに、疲労が蓄積しているから寝ている、とは思い難いのだが。
歴史の表でも裏でも有名になる戦いが、彷徨い出た死者を相手にする戦いが、始まろうとしていた。




