第五十七話 大戦の水蓋
三国同盟の軍事会議から、ほんの少し時間は遡る。
「……では、そういうことで」
アハトの一言で会議が終わった。
三国同盟からの宣戦布告を受け、緊急で開催された軍事会議。
王城にある会議室にいるのはアハトとグラン、そして軍部大将のガロンのみである。
基本的に今回の警察隊の配置はアハトが決めていた。
ネロセーヌは今回、第一王子として王直属の護衛達を束ねることになっており、警察隊からは独立した部隊として動く。
「では、ガロン殿が西側、北はアハト殿、南は私とノワレ、東は兄上が見るということで」
アルトケスは城壁に囲まれた城塞国家である。
門は東西南北の四方向しかなく、自動的にこの門を拠点として防衛する方向で決まっていた。
「すまないなガロン殿。エスピケスはアルトケスの西側にあるから、おそらく一番厳しいところを任せることになる」
ガロンはガララと大きな声で笑う。
「アハトよ、お前さんがワシに気を使うとはな」
「……よしてくださいよ」
アハトは困ったように肩をすくめた。
アハトは元々軍部の人間だった。
つまり昔はガロンの部下だったのである。
「……今回こそは守り切りましょうぞ」
ガロンが手を強く握り、小さくも力強く呟いた。
ガロンの言葉からは十年前の内乱の記憶が漏れ出ている。
「私も第二王子として、命を賭けて戦います」
「期待しておりますぞ」
ガロンはグランの肩をバンバン叩き、会議室から去っていった。
グランは作戦が書かれた地図を鞄にしまった後、ガロンからの期待を胸に会議室を後にした。
この会議で話された内容が、後にエスピケス側に筒抜けになることを、この時の彼らはまだ知らない……
会議室を後にしたグランは、今度こそ雄助を部屋から引き摺り出そうと画策し警察隊舎を目指す。
意気込んで王城を出た直後、見覚えのある人間に目を留めた。
「ネズではないか。何をしているのだ?」
「あ、お、王子さん。奇遇ですね、俺はネロセーヌ副隊長に用があって……」
「兄上なら東側の下見に行っているはずだ。王都には居ないぞ」
「あーそうですか。ほな後にしますわ」
ネズが残念そうに踵を返した。
しかしその直後、思い出したようにグランの方に向き直り、グランの両方の肩に手を置いた。
「王子さん。……戦争になるんですよね? 俺は最後までこの国のために戦いますさかい、一緒に頑張りましょ!」
「ああ、そうだな。期待しているぞ」
グランがネズの肩をパンと叩き、さっきガロンにしてもらったように激励の意を示した。
ネズは今度こそ振り返り走り去っていく。
"あかん。緊張するわー"などと独り言を言いながら去っていくネズの背中を見送り、グランは警察隊舎へと向かった。
しかし結局、この日も雄助の心を癒すことは叶わなかった。
⚫️
そして運命の日。
その朝。
「ということで、戦力配置が決まった! お前たちを極力死なせないためのものだ! 心して聞け!」
集められた警察隊員たちが、アハトから配置を聞かされる。
警察隊員たちのうち半分はガロン率いる西の戦場へ、もう半分は南の戦場へ。
小隊ごとに指示を受けた隊員たちは、いよいよ眼前に迫った戦争に武者震いをしている。
「あと、南側はグランセーヌ殿に警察隊の指揮の全権を委任するので、そのつもりでいろ!」
アハトの出した名前に少しざわついたが、すぐに気を取り直して各々が戦争の準備のため散らばっていく。
「クルビ小隊長!」
号令の後、ネズがクルビの元に駆け寄った。
ネズは生唾を飲み込んでから、意を決して進言する。
「ユズキを出してやりませんか? あいつも戦力やないですか。緊急時ですし必要やと思います!」
クルビは真剣な顔でネズの話を聞いていた。
少しネズの言葉を咀嚼したのち、クルビが爆音で叫ぶ。
「すまんなネズ! それは出来ない! ユズキが神獣を買った密売人がエスピケスの人間であるという噂があるんだ! ユズキがまた裏切らないとも限らん!」
これを聞いてネズは残念そうに下を向く。
「そうですか……でも俺は、ユズキのこと信じてやりたいんですよ」
「気持ちは分かる! だがダメだ! 信じることとは、裏切られるという選択肢を排除するということ、言わば諸刃の剣! 正しく行えば部隊の結束を高めるが、今回、ユズキに裏切られるという選択肢は捨てられないんだ!」
クルビが堂々と言い切った。
これは彼の中での決定事項であり、ユズキのことは信用しないと決めていた。
そんな二人の会話にアハトが混ざってくる。
「ネズ、特に戦時下ではそういう甘いのは捨てろ。身を滅ぼすぞ。……ところでクルビ、今回相手側にも御使いが複数人いる。もしもやつらからアーククラフトを奪い取れたら……お前に渡そうと思ってる」
アハトがクルビの目をまっすぐ見て言い放った。
クルビも目線をアハトの目から逸らさない。
「光栄なことです! しかし、そういったもしも話は勝ってからにしましょう! 俺はアーククラフトがあろうがなかろうが、死力を尽くし戦い抜くだけです!」
クルビは終始笑顔で言い切った。
彼の中の、死ぬことに対する恐怖は日に日に薄れていた。
それ以上に、自分を慕う部下や民間人を守りたいという思いが強くなっているのである。
アハトはそれを聞いて深く頷く。
「そうだったな。お前はそういうやつだよ。……くれぐれも死ぬなよ。お前はソルカあたりに突っ込みそうな気がしてならん」
「必要であれば! やります!」
そこで二人の会話を聞いていたネズがおずおずと手を挙げる。
「あの……やっぱ強いんですか、ソルカっちゅうのは」
「ああ、バケモンだ。俺でも勝てるか分からん」
このアハトの一言は、ネズにかなりのショックを与えた。
生まれてからずっとアルトケスにいて、十年前の内乱を経験したネズにとって、アハトが負けるというのは想像できなかった。
それだけその大太刀一本で積み上げてきた戦果は大きかったのだ。
「アハト隊長でも勝てるか分からへんのですか……」
「ああ、これまでも数々の国を攻め滅ぼし、征服してきている傑物だよ。エスピケスじゃ、"コンキスタ・マタドール"とか呼ばれてるらしい」
初めて聞く単語だったので、ネズは目をパチパチさせて聞き返す。
「こ、こんき? なんですかそれ?」
「ああ、なんでもエスピケスにいる異邦人がつけた名前らしくてな。コンキスタドールとマタドールっていう言葉を繋ぎ合わせてるらしい」
「……つまりはどういう意味ですかね?」
「"征服の闘牛士"、らしい。……イマイチぴんと来ないけどな」
こちらの世界にも、大昔から一応闘牛は存在する。
しかし、神獣との争いの方がエンタメとして人気があったために、現代の人間で闘牛をよく知るものはほぼいない。
「……なんやよく分からんけどめっちゃ強いんですね?」
「出会ったら死ぬと思え。……というかソルカに限らず、御使い相手に不用意に飛び込むなよ?」
ネズはよく分からないながらも、分かった部分だけを反芻しこくこくと頷いた。
結局ネズの頭に残ったのは、御使い相手に不用意に飛び込むなという忠告だけだった。
⚫️
エスピケス王国の中心街は、貴族の棲家である。
王城、大聖堂、そして軍本部や重要な機関のほとんどが中心街に集中している。
基本的に庶民が立ち入ることは無く、煌びやかな服装をした人々が不自由なく暮らす、特権の町であった。
その一角に店を構えるのが"グラツィエ"。
異邦人のオーナーシェフがその腕を魅せる、今エスピケスの貴族の中で最も人気が高いレストランの一つである。
「お、なんか疲れてんな、ソルカさん」
「ああ……。パスタだけ貰えるか?」
オーナーシェフ、アスマ・カグラギ。
そして王選神兵長、ソルカ・ロレル。
開戦の日、"グラツィエ"は休みのはずであったが、ソルカの希望で彼にのみ食事が許された。
そのため、広い店内にはこの二人を除いて一人の人間もいない。
アスマが手際良く海鮮パスタを仕上げ、それをテーブルに置くついでに無許可でソルカの対面に座った。
「俺は嬉しいぜ。出陣前の大将さんの最後の飯に選んでもらえたんだからな」
「……あまり縁起の悪いことを言わないでくれ。帰ってきたら別のを食わせろ」
「ああ、すまねぇな。なんか浮かない顔してっからさ、ジョークでもサービスしてやろうと思ってよ」
ソルカは不満そうにアスマを睨んだが、一口パスタを頬張った瞬間アスマの全てを許した。
アスマという男は軽薄だが、料理の腕に関しては文句のつけようがないのである。
「……王選神兵長という立場にいるがな、他の奴らは協調性が無さすぎるのだ。まとめ上げる私の身にもなってもらいたいものだな」
「ははっ。そりゃあ大変だなあ。……じゃあ人に言うこと聞かす良い方法、教えてやろうか」
「……聞かせてくれ」
「一発殴ってから優しくすんだよ。緩急ってやつ?」
ソルカは驚いて目を見開いた。
アスマはただニマニマとソルカの顔面を見つめる。
「よせよ。私は王選神兵長筆頭として、部下に手を挙げるような真似はしない」
「おいおい! 何もほんとに殴るんじゃなくていいんだ。厳しいこと言ってから優しくするだけ。飴と鞭だって!」
ソルカは赤面し、それから黙ってパスタを完食した。
自分が軍人であることを理解しており、また冗談が通じないタイプであることも理解している。
そんな自分は今、目の前にいる軽薄そうな料理人に少々揶揄われたのだと、遅れながらに理解したのだ。
「……美味かったよ。流石の腕だな、アスマ・カグラギ」
「…………うぃ、お粗末さん」
ソルカは早足で"グラツィエ"を後にし、戦の準備のため王城へと歩き去った。
残されたアスマは、綺麗に平らげられたパスタの皿を片付けながら鼻歌など歌っている。
「……まあ、実際に殴るのが一番手っ取り早いんだけどね。さあ、そろそろ健生引っ張り戻すとするかな」
彼の独り言は、狭いキッチンの中にだけ反響する。
キッチンの隅に置かれた紫の釣り竿が、糸を垂らして獲物がかかるのを待っている。
⚫️
決戦の日は信じられないほどの快晴だった。
アルトケスの西門の外、エスピケスと最も近い激戦予定地にて。
ここに陣取るアルトケスの戦力は、軍部大将ガロン・ベルグレイ。
国境の門は開け放ち、逆に奇襲を防ぐというかなり脳筋な戦い方を選んでいた。
軍部のほぼ全戦力九千に、警察隊員の半分を加えた約一万人。
激戦地と呼ぶに相応しい、最大戦力が首尾よく配置されている。
「……来たか」
遠くの荒れ野から、土埃が津波のように押し寄せる。
三国同盟側の軍勢、こちらも約一万人。
「思ったより『いる』な」
しかし、ガロンが警戒しているのは王選神兵長たちのみ。
アルトケス側にも王選神兵長たちの情報は流れていたが、ガロンが実際に知っているのは名前と顔と一部のアーククラフトのみだった。
ガロンは敵側のとある男に目を止める。
「ソルカ・ロレル……大将は予想通りここか。よし、南側の人員をこちらに回させろ! ソルカがいるならこっちの方がきつい!」
ガロンがそばにいた伝令兵に声をかけた。
敵の軍勢の中央、馬に乗り現れたのはまさに王選神兵長筆頭、ソルカだった。
「ガロン様、敵側の御使いは目視できる限りで三人。ソルカ、スイ、モクビです」
ガロンの側近が声をかける。
彼の名はビッカー・ブランダル。
ここ一年で急激に力をつけ、ガロンの右腕にまで上り詰めた神童である。
そのビッカーが、尊敬するガロンに状況を報告した。
「モクビ……弓矢もいやがるのか。お前たちは周りの兵卒たちを押さえ込んでくれ。御使いは全員ワシがやる」
老兵ガロンは笑顔を崩さない。
ガロンにとって、ここまで自分の負けが濃い盤面は人生で初めてだった。
御使いを三人同時に相手するなど、普通の人間なら自殺行為である。
しかし、二メートルを超える隻眼の巨人には違う。
ガロンの右腕に装着された、水色の宝石が煌めくガントレット。
そのガントレットから、直径五十メートルの巨大な水の球が出現した。
水球はふよふよと空中を漂い、敵軍の真上まで移動した。
スイが何かを叫んでいるが、ガロンは止まらない。
ガロンがおもむろに、その腕を振り下ろした。
その動きに合わせて水球が敵の軍勢の中心に落ち……
「先制攻撃だ。若造には目にもの見せてやらんとな」
大地を震わす強烈な破裂音と共に、まるで爆弾のように水球が爆ぜた。
これがガントレット型アーククラフト『アジサイ』の能力。
魔力を水球に変え自在に爆発させる、極めて殺傷力の高いアーククラフトである。
爆心地に近い敵兵卒は、ガロンの声を聞くより早く息絶えることになったのだ。
爆心地から遠いところには、雨のように水が降る。
これ自体に殺傷能力は無いが、火器の類は湿気って使えなくなった。
スイは爆心地から距離を取ったために、仁王立ちで雨を受けるにとどまった。
忌々しそうに口元を歪め、濡れたオールバックを軽く整えるスイ。
「……随分なご挨拶だな、ガロンよ! 事前の告知通り、アルトケスの命運は今日! 私がこの手で終わらせる!」
スイの大音声が戦場にこだまする。
「やってみせなぁ……若造があ!」
ガロンの返答は二発目の水球と同時だった。
二発目の水球はスイに向かって真っ直ぐ飛んでいく。
スイは冷静な無表情を崩さない。
ハンマー型アーククラフト『チューリップ』で、軽々と水球を弾き飛ばした。
「狙うは王城だ! 進めぇ!」
「死んでも噛みつけ! 守れぇ!」
それぞれの将による苛烈なる咆哮。
一拍遅れて響く兵士たちの怒号と、戦場の至る所で始まる攻防。
今、三国同盟とアルトケスの、歴史に残る大戦の火蓋が切って落とされた。




