第五十一話 悠愛のシャーレ
明くる朝。
目が覚めてしまったことを少し恨む。
それでも元気にはしゃぐ子どもたちを見て、ウジウジ言ってられないなと思った。
俺は朝ごはんまでご一緒させてもらった後、シャーレたちに見送られて孤児院を去る。
「刀堂雄助さん、またね!」
「手紙送ってね!」
子どもたちの無邪気な笑顔に、心からの笑顔で返す。
「もちろんっすよ! たくさん手紙送るっす!」
振り向いて歩き出した俺の手を、最後にシャーレが掴んだ。
シャーレの小さな右手全部が、俺の指だけをギュッと握っている。
「……またね」
意を決したように言った彼女は、優しい太陽のような笑顔をしていた。
「……またねっす」
これ以上何かを言ったら泣いてしまう予感がしたから、シャーレの手が離れてすぐ歩き始めた。
茹だるほど暑いフリスの街並みを、本来の俺の宿に向けて歩いていく……
⚫️
「どこへ行っていたんだ雄助。私が貴様になんと言ったか忘れたか?」
「……すみません」
俺は宿の自室に戻って早々、無断外泊をグラン様に詰められていた。
「……自分を律しろ、って言われたっす」
「……律しろ」
グラン様の表情からは軽蔑が滲み出ていた。
今回の俺は、護衛とはいえ国賓待遇で来ているわけなので、勝手な行動は慎まないといけなかった。
グラン様が俺にも聞こえるように一つため息をついた後、表情を柔らかくする。
「で、どこへ行ってたんだ。……昨日あれだけ塞ぎ込んでいたくせに朝帰りとはな」
「……シャーレさんと会ってたっす」
「……そうか。巫女のことは少しでも理解できたのか?」
拳を強く握り込む。
噛み締めるように、昨日の会話と柔らかく過ぎていった時間を一つ一つ思い出していく。
「シャーレさんは、孤児院の子どもたちのためになら頑張れるって言ってたっす。……それを聞いて、ちょっとだけ気持ちが理解できたっす」
「それならもう、笑顔で式典に出られるか?」
「……無理に決まってるじゃないっすか」
俺は俯いて体を震わせる。
「理解できたっすけど、そしたら余計に悲しくなったっす。……シャーレさんの気持ちは分かったけど、シャーレさんには死んでほしくないっす……」
「……そうか。辛かったら出なくてもいい。式典は午後からだ」
グラン様は俺に背を向け、静かにドアを閉めて去っていった。
俺はしばらく顔を上げることができなかった。
「あの子も不器用ですわネ」
唐突に自分の左手側から聞こえて来た声に驚き、体が跳ねる。
「リンゴ……いつからいたんすか」
「あなたが泣き始めたくらいですワ」
リンゴが冗談めかして笑った。
でも俺はそれに笑い返せはしない。
「雄助、式典には行くんですノ? ワタクシは留守番ですから、あなたが居るなら退屈しなくて良いですワ」
リンゴが小さく笑って言った。
いつも通りのリンゴの姿に少し安心感を覚えてしまう。
でも……
昨日の寝る前にシャーレと話したことを思い出す。
シャーレと話したことの一つ一つが、未だに俺の心臓を締めあげている。
この痛みからは逃げてはいけない。
それはシャーレへの裏切りになってしまうから。
「……退屈させてごめんっすリンゴ。留守番頼むっすよ」
「……分かりましたワ。……あなたたちが戻ってくるまで、ワタクシはここに居ますからネ」
俺が腰を上げると、リンゴが手を振って見送ってくれる。
リンゴは、辛くなったら帰ってこいって言ってくれているんだな。
リンゴが手を振るのに合わせて、短い腕に敷き詰められたボルトの装飾がガチャガチャと音を立てる。
『意思を持つ』という能力を持った人形型アーククラフト。
リンゴはそんな冷たい肩書きに似合わないほどに暖かく、人間の心を理解しているのだ。
「ありがとうっす……」
涙でボロボロになった顔を冷たい水で流し、俺はリンゴを残して部屋を出た。
腰に『リンドウ』を携えて。
⚫️
宿を出て、グラン様に教えてもらった式典の会場までしばらく歩いた。
本当はもっと近い道があったみたいだけど、かなり遠回りをした。
とうとう辿り着いてしまった会場は、開けた広場のような場所。
広場の中央に、『ヒヤシンス』が鎮座している。
どうやら昨日のうちに地上に上げていたようだ。
ここにはアルトケスで行ったマーケットのような、騒がしい雰囲気は無い。
ここにいる人が、みんなでシャーレに感謝し、悼むための場所だった。
「雄助。……国賓席はこっちだ」
合流したグラン様に導かれ、奥まったところにある席まで歩く。
グラン様は最初、飄々と振る舞っているように見えた。
でもいつもより口数は少ない。
グラン様と出会ってから半年が経っているから、流石にもう沈黙が気まずいなんて思ってない。
俺たちはただ静かに、豪華な装飾が施された椅子に腰かけた。
嫌になる程『ヒヤシンス』が良く見える。
これからシャーレの命を飲み込む鏡は、フリスの未来を示すかのように煌々と輝きを放っている。
しばらく沈黙は続いた。
もう長かったのか短かったのかさえも分からない。
シャーレとの会話を全部思い出せるだけの時間が経ってから、とうとう式典が始まった。
領主レンズさんの挨拶だの、今後のフリスの繁栄だの、式典らしいあれやこれやが続いた。
正直なところ、内容は何も覚えてない。
グラン様にポンポンと肩を叩かれた振動で正気を取り戻した。
横を見ると、グラン様が小さな笑みを浮かべている。
「雄助、シャーレが来たぞ……」
広場の中心から、『ヒヤシンス』が鎮座する鏡台へと。
シャーレは堂々と、それでいて儚く歩みを進める。
神聖な祝詞が、彼女を『ヒヤシンス』の元へ誘う。
「シャーレさん……」
シャーレとの距離は三十メートル。
俺の掠れた声がシャーレに届くことはない。
それでも……
シャーレがこちらを振り向いた。
弾けるような笑顔は昨日と変わらない。
変わったのは俺の顔だけ。
もう無理してでも笑えない、隠せない。
「あ、ああああ……」
人前で声をあげて泣くなんていつぶりだろう。
だっておかしいじゃないか。
あんな優しい子を犠牲にしないと成り立たない社会なんて。
そんな虚しい世界なんて。
「なんで、こんな……」
言葉が心の膜を突き破り、口から溢れ出した。
そんな俺の声にならないほど小さな絶叫を聞いて、グラン様が俺の肩に手を置いた。
「お前なら分かるはずだろう。誰も犠牲にならずに成り立つ世界など無い。今はシャーレだけが犠牲になっているから分かりにくいだけだ。……私たちは、何千の戦争と、何万の命と、何億の涙の上に立っている」
……それでも……!
「シャーレは、この世に一人なんすよ!」
他の国賓の方々の視線を感じる。
こんな所で大きな声を出して……後でグラン様に謝らなきゃな。
俺の肩に乗るグラン様の手が熱を帯びてきた。
俺たちは、二人して国賓席で泣くやつらになった。
「……分かっているさ。だからこそ俺たちが真剣に生きて、たった一人の、彼女の死を忘れないでいたいじゃないか! ……それが、遺される者の義務じゃないか……」
シャーレと目線を交わす。
神聖な祝詞が響く会場で、俺とシャーレの、二人だけにしか分からない会話があった。
「……刀堂雄助さん。また思い出してくれますよね。……またね!」
「……俺は、命ある限り、何度でも思い出すっすよ……」
声に出したわけじゃない。
紙に書いたわけじゃない。
そんな形あるだけのものより、もっと価値のある空間。
「……また会いましょう、シャーレさん……」
祝詞が終わる。
シャーレが首にかけた小瓶の中の液体を飲み干した。
さっきちらっと聞いた話によると、あれは睡眠薬と毒を混ぜたようなものらしい。
シャーレに死の苦しみはない。
ただ、優しい記憶と安寧の眠りがあるだけ。
シャーレがゆっくりと『ヒヤシンス』に手をかけた。
薄紫の光がシャーレの小さな体を包む。
自己犠牲とは、こんなにも美しいものなのか。
親父もそうだったし、シャーレもそう。
……俺の最期も、こんなに綺麗なのかな……
ゆっくりと目を閉じたシャーレは、もう二度と目をさまさない。
ルミエールの残光が鈍くなる頃、街の人々の目に涙が溢れ出す頃。
彼女は色とりどりのヒヤシンスの花畑の中で、その暖かな生涯を終えた。




