第四十二話 宵闇の密偵
俺は木陰で隠れて何かを見ているネズの肩に手を置いた。
「……何してるんすか?」
飛び上がってこちらを見るネズ。
そんな化け物を見るみたいな目で見られるなんて心外だ。
「雄助! お前驚かせんなや!」
ネズが蚊の鳴くような声で叫んだ。
「いや驚かせるなって言われても……トイレに行こうと思ったらネズの靴がなかったから探してたんすよ」
「……まあええわ。それより雄助、あれなんやと思う?」
俺はネズが指差した暗闇に目を凝らす。
そこにはガサゴソと地面をいじる影があった。
やがてその人影は立ち上がり、裏門の方へ向かっていく。
そこで街灯の火に照らされ、横顔が顕になった。
「お、あいつユズキやないか! こんな時間に何しとるんやろ」
さっき大浴場で会ったユズキがそこにいたのだ。
彼は裏門をくぐり、外に出てしまった。
「……夜逃げか……?」
ネズが小さい声を漏らした。
警察隊の鍛錬は、正直言ってキツい。
さらに任務では命の危険があるので、実際年に数人は夜逃げするらしいのだ。
「とりあえず後ろつけてみるっすか?」
「行くか……」
俺たちはユズキにバレないように裏門の手前まで足を進めた。
裏門からちらっと顔を出し、ユズキがどの方向へ行ったのか探ろうとすると……
「おらんやんけ!」
ユズキはもういなかった。
……いや、おかしいのだ。
裏口の先はかなり広い大通りであり、どこかにはユズキの後ろ姿が見えるはずだった。
奥に行けば隠れられるところもあるかもしれないが、俺たちが裏門を出るユズキを見てからまだ数秒しか経っていない。
この時間で姿が見えなくなるなんてありえないことだった。
それこそ全力の猛ダッシュで駆け抜けていない限り。
「雄助……俺ら見てはならんもんを見たんやろか……?」
「……幽霊ってことっすか?」
「アホ、怖いこと言うなや!」
いや言い出したのはネズだろ。
「そもそもネズはこんなとこで何してたんすか?」
「靴洗ってたんや。それで人影が見えたから見とったんや……」
「でも確実にユズキだったっすよね、あの人影。どこに消えたんすかね?」
「……俺らが見てることに気づいてて、急いで走って隠れたんちゃうんか?」
「それにしても早すぎるっすよ……」
俺たちが今見たものについて話し合っていると……
「本当に早すぎる起床ですね、お二人さん?」
心臓が飛び出るかと思った。
裏門のところで話し込んでいた俺とネズの後ろに、いつのまにかネロセーヌ副隊長が立っていた。
「ふ、副隊長! あの、俺たちは……」
まずいぞ……!
俺たちは今、消灯時間を無視してここにいる。
このままでは雷が落ちるのも時間の問題だろう。
俺は一縷の望みにかけてユズキの話を出して話題を逸らすことにした。
「副隊長! さっき第三小隊のユズキが外に出ていったのを目撃したっす。何かに巻き込まれていたら心配っす!」
ユズキすまん。
俺はユズキを売る形になったことに罪悪感を抱きつつ、ネロセーヌ副隊長の反応を伺う。
「……明日、二人とも地獄を見せて差し上げます」
ダメだったー!
ネロセーヌ副隊長の笑顔が本当に恐ろしい。
恐ろしすぎて目が直視できない。
俺もネズも魂が抜けたような白い顔をして項垂れるしかない。
「ふーむ。それはそれとして、ユズキくんのことは調べましょうか。彼の部屋は一階でしたね」
そして俺とネズはユズキの部屋までネロセーヌ副隊長に引き摺られて歩き始めた。
一階の端っこ、六人分の部屋がカプセルホテルみたいに並んでいる大部屋。
その手前側に位置するドアをコンコンとノックする副隊長。
「副隊長……!? こ、こんな時間にどうなさったんですか?」
いるじゃん!?
ユズキはちゃんと部屋にいた。
え、なんで?
さっき外に出たよね?
「……雄助くん、ネズくん。これはどう言うことですか?」
ネロセーヌ副隊長は依然として笑顔は崩さない。
しかし、俺はもう恐ろし過ぎてその目を直視できないので、ユズキの方に視線を向けた。
……間違いなくユズキ本人である。
「ユズキ! あんたさっき裏口から外出てったやろ!? どうやって俺たちより早く部屋に戻ったんや!?」
ユズキの部屋まで俺たちは一直線に歩いてきた。
だからユズキの方が先に部屋に戻っているなんておかしいのだ。
ユズキは不思議そうに口を開く。
「何の話? 僕はずっと部屋にいたよ。寝ぼけてるの?」
「いや絶対ユズキやったって! あんた地面でなんかゴソゴソやっとったやんか!」
「……知らないよ。見間違いだって」
そこから少し俺たち二人とユズキとの押し問答があったが、これ以上は他の隊員を起こしてしまうということで、ネロセーヌ様が強制的に終わらせる。
「ではユズキくんには明日少し話を聞かせてもらいますね。……そっちの二人は明日に備えて寝てくださいね?」
俺たちはネロセーヌ様の突き刺すような視線を浴びながら、揃ってトボトボと部屋へ戻った。
⚫️
翌朝。
俺たちはまずグラウンドで服装点検を行う。
これで服が汚れていたり、手錠やメモ帳などの携帯品を忘れたりしていると罰走が待っているというわけだ。
「お前、携帯用の武器が少し汚れているぞ!? そんなことで市民の皆さんの前には出せん! 罰走!」
俺の隣に立っていた隊員が、クルビ小隊長によって罰走を言い渡された。
クルビ小隊長はやれやれと首を振り、俺の前にやってくる。
「……よし、刀堂雄助は問題なし!」
俺はそれを聞いてホッと胸を撫で下ろす。
「しかーし! 昨夜、消灯後に出歩いたとの報告をネロセーヌ副隊長より頂いている! 罰走!」
ですよね。
俺はそのままグラウンドを走り始めた。
しばらくするとネズも隣にやってきて、二人で情けなく走る。
まだ走り始めで余裕があるので、今のうちにとネズが話しかけてくる。
「雄助、さっきユズキにもう一回聞いたんや。それでもなんも知らんって言うとったわ」
「そうなんすか。……まあ、俺もネズも寝ぼけてたんすよきっと」
俺は笑ってネズの肩をバンバン叩いた。
……正直寝ぼけてたとは少しも思っていない。
むしろ、ユズキこそがギャングにアーククラフトを横流しした裏切り者ではないかと疑っている。
もし急に消えたのがアーククラフトの能力なら……
後で裏口をもう一回見に行ってみよう。
ユズキがいじっていた地面も気になるしな。
…………
なんてことを考えていたのが三時間前。
俺とネズは今もまだ走っている。
「長すぎる! 今日はなんでこんな長いんや……」
いつもは一時間もせずに罰走は終わるのだが、今日は異様に長い。
フラフラと走っていると、遠くの方からクルビ小隊長が走ってくるのが見えた。
なんか笑顔で手を振ってる。
「おーい! すまん、忘れてた! 罰走終わりだ! 二人とも午後は昨日の現場に向かってくれ!」
俺たちは抗議の目でクルビ小隊長を見た。
忘れてたとはなんだ忘れてたとは。
「まあ元はと言えば俺らが夜中出歩いたからやしな……」
……全くもってその通りだ。
そして時間もなかったので、昼飯も抜きで昨日の現場へ向かうことになった。
⚫️
昨日俺たちが泥人形と戦った場所では、今日もまだ現場検証が行われていた。
ウィルダーとユズキも先に到着しており、泥が出てきたあたりに座り込んで何やら話し込んでいる。
「ようお二人さん、なんか分かったかー?」
ネズが声をかけるが、さっきまで走り続けていたせいで覇気がない。
「……なにも分からない。泥を出す魔法なのか、泥を操る魔法なのか……」
「地面から急に湧いてきたっすけど、やっぱりあれは本体ではないんすかね」
俺は走り過ぎてぷるぷる震える足を押さえつけながら言った。
「そうだね。本体は別のところから見ていたんだと思うよ」
俺はユズキに目を向けながらウィルダーとの会話を続けることにした。
ユズキはしきりに地面を触って何かを確かめているようだ。
その時、健生が俺たちの元へ走ってきた。
「おお、揃っているのであるな。……ユズキではないか! ユズキも今日は現場検証であるか」
健生が笑顔でユズキに話しかけた。
てかそこ繋がってるのかよ!
俺の中でユズキへの疑念が確信に変わっていく。
「健生、ユズキとは知り合いなんすか?」
「ん? ああ、色々あって知り合ってな、お互いの採集物や生物知識を共有し合う仲である」
色々ってなんだ。
俺は思わず疑うような目で二人を見てしまったことに気付き、慌てて表情を笑顔に切り替えた。
「そうなんすね! ところで健生は昨日のことで何か気づいたことはないっすか? 正直もう手詰まりなんすよね」
とりあえず話題を昨日のことにすり替えた。
すると健生が自身ありげに腰に手を当てて話を始める。
「警察隊がどこまで掴んでいるのかは分からんが、あの泥は本体ではないのである」
そこまではウィルダーたちの見解と一緒だ。
「今は魔法の種類から絞れないかなと思って考えてるんだ。泥人形を『作る』魔法とかの可能性があると思ってる。……魔法の種類が分かれば神獣を同定できるんだけどね……」
ウィルダーが泥を手でいじりながら健生に疑問を投げた。
「ふむ……魔法に関しては余の専門外であるな。しかし、『作る』だと素体となる泥が必要になるはずである。魔法は厳密であるからな。しかし、この辺りには泥はなく土ばかりであるし、雨が降ったのもかなり前である」
ここで、さっきまでうんうんと頷きながら聞いていたユズキが突然腰を上げた。
「ごめん。この後クルビ小隊長に呼ばれてるんだ。僕は一旦隊舎に戻るよ」
そう言うとユズキは隊舎の方へ走っていった。
そのユズキの背中を目で追っていたネズが、俺の方へ向き直る。
「雄助、すまん。俺、ユズキを追うわ」
「……クルビ小隊長には現場検証しろって言われてるっすよ?」
「俺の勘が追えって言っとるんや!」
ネズが自信ありげに笑っている。
俺はちらっとウィルダーの方を見ると、困ったように微笑んでいた。
こういう"勘"は初めてではないのだろう。
「……クルビ小隊長はどうにか誤魔化しておくっす……」
命令違反になってしまうが、実際ユズキの様子がおかしいのも事実なのでネズを止めたくない。
俺は渋々といった顔をしながらネズにゴーサインを出した。
ネズは"ありがとうな!"とはにかんでから全力疾走でユズキを追い始めた。
「ユズキに何かあったのであるか?」
走り去るユズキとネズを見送った後、心配そうな顔で健生が尋ねてきた。
「まあ、ネズに任せとけば大丈夫っすよ……」
俺は一抹の不安を覚えながらもネズの言葉を信じることにする。
ネズだって職業軍人である。
無理はしないだろうし、いざとなった時の動きの軽やかさに関しては俺なんかより数倍は上なのだ。
「そうであるか。……では話の続きをしよう。昨日あれから調べたら、ちょうど当てはまりそうな神獣がいたのである」
え!?
てっきりまだ分かってないものだと思い込んでいたが、健生は既に答えに辿り着いているようだった。
「なんの神獣なの?」
「泥人形を『作る』魔法では泥が必要だからおかしいと思っていたのである。しかし、それが『生やす』魔法であったらどうであるか?」
『生やす』?
自分の魔力を肥料にして泥人形を『生やす』……
確かにそれなら泥が無いところから泥人形を出せるか?
俺はいまいちピンと来なかったのだが、ウィルダーは目を輝かせて健生を称賛している。
「確かにそれならいけそうだよ! すごいじゃないか健生!」
「朝飯前である! そして、『生やす』魔法を使う神獣についても調べてあるのだ。その神獣とは……」
「その神獣とは……?」
健生が溜める。
……結構溜める。
こういう時は勿体ぶらず早く言ってほしい。
健生がまさに口を開いたその時。
「……! また来たっすね……」
昨日と同じ、ゴゴゴという異音が聞こえてきたのだった。




