第三十一話 進化の獣
俺とノワレは『タンポポ』を目指し、王都の北にあるモルヴァの森を目指すことになった。
そこでは神獣、ヨブコオオカミが定期的に目撃されているらしく、『タンポポ』の御使いが身を隠すならうってつけの場所らしい。
王都を出る少し手前で一度立ち止まり、息を整える。
どうやら途中から雪道になるらしく、馬車の類は使えないのだ。
マラソン確定。
「待てい、雄助よ! 余も協力するのである!」
急に後ろから健生にガシッと肩を掴まれ、心臓が激しく跳ねた。
健生もついて来たいようだが、これから行くのは神獣が出る森だ。
残念だが、民間人である健生は連れて行けない。
健生はかなり汗をかき、息も絶え絶えといった感じだ。
お前さっき風呂入ったのに。
「すまん、健生。これから先は危ないから、市民の手は借りられないんすよ」
「余は二年前にこの世界に来た! モルヴァの森にも行ったことがあるのである!」
「行ったことあるんだ。じゃあ着いてきてもらおうかなー。二人いたら守れるでしょ」
ノワレがあっけらかんとして言った。
このノワレの能天気さにもだいぶ慣れて来た気がする。
「話のわかる人であるな! それでは行くぞ雄助よ!」
「行くのかよ……」
こうして半ば強引に健生の同行が決まってしまった。
これから十km近く走るわけだが大丈夫だろうか。
俺は自分のペース配分と、それから健生の様子にも気を配ることになった。
⚫️
寒さで手足の感覚が薄くなってくる。
じんじんと痺れていた指先は、とうとうその痛みすらも感じられないくらいに温度を失っていた。
冷たく澄んだ空気が、成果を求めて逸る鼓動を落ち着かせてくれる。
モルヴァの森は、元の世界でいうところのタイガという針葉樹林の森に近い。
いかにもキツネとかオオカミとかが出てきそうだ。
「雪が降ってなくてラッキーであったな。降っていたらまともに動けなかったであろう」
十km弱の道のりを走破し、健生の足は生まれたての子鹿のように震えている。
膝に手をついて休憩を要求する健生。
しかしモルヴァの森に着いたは良いものの、ここから先はノープランだ。
うっそうとした深い森が、大口を開けて獲物を誘い込んでいるように見える。
正直、神獣と出会うより遭難する方がまずそうなので慎重に進む必要がある。
俺とノワレは健生を半ば引きずるようにして雪道を進み始めた。
足跡ひとつない綺麗な雪道は、油断するとすぐにこちらの足を掬いにくる。
「とにかく森に入ったけどさー、実際『タンポポ』あるかな?」
「可能性はあるっすけど、その辺に置いてあるなんてことはないっすよね……」
いくらなんでも森のど真ん中に置いておくことはないだろう。
健生も大きく頷いて俺に賛同する。
「まあ、開けたところに置いてあるのではないか? 神獣ほどの大きいモノを打ち出すなら木々は邪魔であろうからな」
「確かに。じゃあ木が少ない方を探してみよっか」
と、そんなわけで木々をかき分けて三人で森を捜索し始めた。
そのまま小一時間経っただろうか。
結局『タンポポ』もヨブコオオカミも見つけられず、ただそこら中に足跡を残すだけに時間を使ってしまっていた。
俺は何一つの痕跡も見逃すまいと目を凝らすが、特にそれらしいものは無い。
「見つからんのであるな……二人とも、静かに頭を下げるのである」
楽しそうにあたりを見回していた健生が突然声のトーンを下げ、森の奥を指差した。
そこにいたのは、先週見た真っ白な巨躯。
事前の情報通り、やはりここはヨブコオオカミの住処になっているようだった。
雪の中で保護色のようになっているが、そのギラついた黄金の瞳が逆に目立ってしょうがない。
三人でその場に伏せ、息を潜める。
「ヨブコオオカミ……戦わない方が良いっすよね」
「そうであるな……戦いの音を聞きつけて数が増えないとも限らんしな」
それに健生は戦えないのだ。
無駄に神獣を刺激するのは自殺行為だと言える。
眼前のヨブコオオカミが立ち去るまで、長く短い時間を過ごした。
少し経って、ヨブコオオカミの後ろ姿が小さくなった頃、唐突に作戦を閃いた。
「なあ、二人とも。あのヨブコオオカミの後を追ってみないっすか? もしかしたら『タンポポ』の御使いが接触するかも」
「そんな上手くいくかなー」
「いや、結構アリであるな。ヨブコオオカミは一定のルートを周回する個体が多いのである。」
健生がグルグルと指を回して言った。
「え、そうなのか?」
「ああ、他のオオカミとの接触を極端に嫌う傾向があるようでな。要するに自分の縄張りからあまり出たがらないのである。相手がそれを知っているなら、ルートのどこかに罠を仕掛けているやもしれないのである」
「じゃあまあ、遭難しないギリギリまで追ってみようか」
健生は過去にこの森に来たことがあると言っていたな。
まさかこんな知識を持っていたとは……
俺たちは先程のオオカミを見失わないギリギリの距離を保ちつつ後ろを追いはじめた。
オオカミは俺たちに気づいていないようで、悠々と枝をへし折りながら木々の間を押し通っている。
しばらく後をつけると、広々とした空間に辿り着いた。
平坦な広場のようになっており、かなりの広範囲にわたって木が生えておらず、青々とした空が剥き出しになっている。
オオカミはその広場のちょうど真ん中あたりに差し掛かったところで歩くのをやめてしまった。
「止まったっすね。何してるんすかね?」
「うーん。耳が立ってるねー。あれって周囲の音を注意深く聞いてる時になるんだよね?」
「ノワレの言うとおりであるな。なにか異変を感じたのであろう」
俺たちも注意して木の間からオオカミを観察を続ける。
突然、オオカミがこちらを振り返った。
途端に背筋を伝う悪寒。
「なんの音っすかこれ……!」
その震えは決して寒かったからでも、オオカミと目が合ったからでもない。
ただ俺たちの後ろから響く、ペキペキと枝を折りながら高速で近づいてくる何者かの足音が……
それは体長二メートルほどの人型だった。
それは恐ろしいほどのスピードでこちらへ突進してきた。
両腕には鋭いヒレのようなものが見える。
咄嗟に健生と共に横に倒れこんだ。
俺たちのすぐ上を、空を切り裂く音が通り過ぎていく。
俺の首を狙っていたであろうその斬撃は、襲撃者の腕のヒレから放たれていた。
広場に躍り出た人型。
「あれは……人間じゃないね」
「あのヒレ……まさか、シンカイワシ!?」
なにそれ。
進化鰯?
イワシという割にはめっちゃ人型だけど……
「イワシ!? でも人型っすよあれ!」
「ああ、シンカイワシも神獣の一種でな、『変わる』魔法を使うのである。環境に合わせて自分の体の構造を変えることができる生物である」
それはもうイワシではないだろ!
まあとにかくこちらの命を狙う狩人であることは間違いない。
「要するに、陸上で活動できるように人型に変わってるわけだね。元がイワシなら大丈夫そうかな?」
「イワシとはいえ神獣である。油断はしてくれるなよ」
俺もノワレもアーククラフトを抜き、イワシと正対する。
びっしりと生えた鱗、背中と腕のヒレ、首元に見えるエラの名残。
目の前にいるのはイワシだと頭では理解しているが、それが陸上でファイティングポーズをとっているのだから意味がわからない。
次の瞬間、イワシが鋭い初動を見せる。
ヒレを開き、高速の手刀を繰り出した。
二メートルの生物が、あり得ないほどの俊敏さで迫ってくるのだ。
間違いなく脅威である。
下手したらヨブコオオカミよりも強そうに見える。
俺は手刀を『リンドウ』で受け止め、蹴りを入れた。
それは硬質の鱗によって軽く受け止められたものの、その間に『リンドウ』で魔力を吸えている。
俺が攻撃を受け止めたのを見るや否や、ノワレが横から『シオン』でイワシに殴りかかる。
ノワレが攻めてくれている間に健生に向き直った。
「健生! 危ないからそこに隠れとくっす!」
「……承知したのである」
健生の顔が少し悔しそうに歪んだ気がした。
「なんかやばいよー! 光ってる!」
ノワレの声が聞こえてイワシの方へ向き直ると、それは青白い光に包まれていた。
ルミエール状態の光とも違う、眩しくて直視していられないような光だ。
その光が次第に落ち着き、中からシンカイワシが現れる。
しかしその姿は、先程までとは全くと言って良いほど変わっていた。
下半身は人型の二本足から馬のような四本足になり、右手には西洋の騎士みたいな長槍を携えている。
また、左手には大きな盾も構えており、体躯が全体的に一回り大きくなっていた。
まさに騎馬兵である。
その風格は、敵対する俺たちに絶望とはこういうことだぞと教えてくるようだ。
長槍の先端が俺たちの命を捉えた。
その瞬間、真の戦いの開始が一方的に宣告されたのだ。




