第三十話 十色の正義
隊長室を後にした俺は、震える足を抑えてなんとか大浴場に到着した。
心が芯まで冷え切ってしまったから、早く風呂に入りたい。
脱衣所を抜け、静かに大浴場へ足を踏み入れる。
「泣いているのであるか! 雄助よ!」
健生にはデリカシーというものが無いのだろうか。
一足先に風呂に来ていたネズ、ウィルダー、健生はすでに湯船に浸かって俺を待ってくれていた。
「……泣いてねぇすよ。ちょっと反省してただけっす。ところでさっきのバッジ、やっぱりアーククラフトだったっすよ」
体を流しながら話題を変える。
「やっぱりそうだったんだ……なんて名前?」
「『タンポポ』っていうらしいっす。目印に向けて物を飛ばす能力だって。あのバッジはその目印だったっす」
シャワーの音でかき消されないように、少し大きめの声で会話を続ける。
幸い他の隊員はいないので問題ないだろう。
「ほーん。ほんで雄助はなんで泣いてんねん」
「だから泣いてないっすよ! ……あの目印、置いた場所から五十メートル以上動かすともう一度打てる状態になってしまうらしいっす」
「つまり、余たちが動かしたから、『タンポポ』が発射できる状態になってしまったわけであるな」
本当はもう体を洗い終わっているが、シャワーを浴び続ける。
……こうしていればバレないからだ。
それにしても改めて口に出されると、なんて迂闊だったのだろう。
「まあそんなこと、知らんかったら避けようがないわ! 気にすんなや雄助!」
やっとのことでシャワーを浴び終わり、三人が待つ湯船にお邪魔する。
ちょっと熱すぎる湯加減が今は無性に心地良い。
ふと隣に座る健生と話してみたくなった。
「なあ、健生。異邦人として、この世界のことどう思ってるっすか? 俺はこっちに来てから、自分の正義がわからなくなったんすよ。この世界と致命的に相性が悪いんすよね……」
「ふむ。雄助の正義とは一体なんであるか?」
健生はどっしりと湯船に浸かり、目を瞑って俺との会話に集中している。
一応ここは警察隊の隊舎なのだが、肝の座っているやつだ。
今はそんな態度さえ羨ましく、ありがたく思う。
「……俺は、命には等しく価値があって、大切にされるべきものだと思ってるっす。でもこの世界に来て、アーククラフトを持って、目の前で命が消える瞬間を見て……自分の価値観なんて、生きるためになんの役にも立たないって突きつけられたっす」
ケミアでの騒動から始まって、今日まで戦いの中に身を置いてきた。
その中で、自分の価値観が正しかったか。
自分の価値観で救えた命があったか。
自分の力で、誰かを守れたか。
自信を持ってイエスと言えないのが本音である。
「自分が生きるために、誰かを食わなあかん世界なんや。でもお前は結構やれてると思うで? 価値観とかは後から付いてくるもんやし、今の雄助は誰かの役に立っとるやないか!」
「……でも今回も結局は『タンポポ』の対応を誤って、また色んな人を危険に晒したっす……俺やっていく自信無いっすよ……」
湯水のように弱音が溢れてくる。
みんながそれを笑って流してくれるのだけが救いだ。
「……雄助って完璧主義すぎて損してるタイプだね」
「ウィルダーの言う通りであるな。大切なのは結果より過程であるよ。例え黒焦げでも、愛する人が作ってくれた料理に勝る美食など無いのと一緒である」
「せやな。これから取り戻せばええやろ!」
「……ありがとう」
命は等しく大切だという価値観。
それが許されるほど甘い世界では無い。
そんな中でも俺は、やはりどんな命だって救いたいと、そんな馬鹿みたいな理想を捨てられない。
「雄助よ。そなたの正義と余の正義は似ているのである」
健生が自信ありげに微笑んだ。
「お、そんな健生ちゃんの正義ってなんや?」
「余が英雄となり、人々を正しい道へ引っ張っていくことである!」
似てるかなそれ?
俺はそういう英雄願望とかは生憎持ち合わせていないぞ。
自信たっぷりに宣誓した健生の隣で、ネズが爆笑している。
つられて俺も口元が緩む。
「英雄か! ええなそれ。どんなことする予定や?」
「余は、カメンカイザーになるのである!」
「カメ……? なんやそれは」
カメンカイザー。
俺たちが元いた世界で放送していた、子ども向けの特撮番組だ。
「正義の皇帝である」
壊滅的に説明が下手だ。
ネズとウィルダーはもちろん飲み込めてないようで、きょとんとして次の言葉を待っている。
見かねて横から口を挟んでみる。
「あー、俺たちが元いた世界で子どもに人気だった演劇みたいなもんで、正義の皇帝が領内で悪さをする貴族たちを成敗していくっていう……」
「……要するに、子どもに勧善懲悪を叩き込むための御伽話ってこと?」
ウィルダーは話が早くて助かる。
というか今思うと健生の口調、カメンカイザーの主人公と一緒だ。
なるほど、カメンカイザーになると豪語するほどのファンなら変な口調にも納得いく。
「その、カメンカイザーとやらになって何をするんや?」
「余はカメンカイザーとなり、悪事を働く者を成敗する。そして正しきこととは何かを教え、導くのである!」
健生が立ち上がって演説する。
水の飛沫と風呂の熱が、その演説に妙な迫力と説得力を持たせている……気がするだけかな。
「俺の正義と……似てるっすか……?」
「似ているのである!」
そこまで言い切られるとそうなのかもしれない。
ちょっと抜けてるやつだが、その時ばかりは唯一の同郷である彼のことが、とてつもなく頼もしく見えた。
⚫️
数時間後、緊急で警察隊のほぼ全員が運動場に集められた。
アハト隊長の咆哮が俺たちの間に響く。
「これより、アーククラフト『タンポポ』の捜索を開始する! 捜索対象はこの花が刻印されたバッジだ。見つけても決してその場から動かさず、俺に報告を入れろ!」
アハト隊長が『タンポポ』のバッジを見せた。
ネロセーヌ副隊長との会議の結果、アハト隊長が持ち歩くことになったらしい。
もし神獣が飛んできても、アハト隊長がすぐに処理をすることで民間人に被害を出さないためだ。
そして警察隊の四つの小隊は、それぞれの方角へと散っていくことになった。
俺は無意識に力が入っていた拳に気づき、大きく肩を回す。
絶対に失敗を取り返してみせる……!
「最後に、刀堂雄助は一旦残れ! 以上、健闘を祈る!」
居残り!?
俺は今すぐ捜索に行きたいのに!
俺は散っていく仲間たちを泣く泣く見送り、アハト隊長のところへ急ぐ。
「おー……雄助ー……」
アハト隊長のところへ着くと、そこにはノワレが座っていた。
ノワレはこの数日、アハト隊長かネロセーヌ副隊長とそれはそれはキツい特訓をしていたらしい。
隣で見る彼女は一週間前と比べて明らかにやつれている。
「ノワレ、大丈夫っすか?」
「大丈夫じゃないよねー。でもロコモでは散々だったからさ。リックくんに負けてシュウジに手も足も出なくて……これは鍛え直さないと、次シュウジと会った時死ぬことになりそうだからね」
「……そうっすか。俺も頑張るっすよ」
すごいなノワレは。
ちゃんと自分に芯がある。
俺はふうっと大きく息を吐き、背筋を伸ばしてまっすぐアハト隊長を見据える。
「お前たち二人には特別司令を出す。……二人でひたすら北に向かえ!」
左遷……!?
俺は今にも泣き出しそうな顔をしてアハト隊長を見つめる。
「……ひたすら北? それって『タンポポ』の本体を探せってことですかー?」
あ、そういうことか。
「そうだ。ヨブコオオカミは北から飛んできたからな。北に行けばどこかにはあるはずだ」
なかなかの強行手段である。
「でも確か『タンポポ』って射程が五十kmくらいあるんすよね? 見つけられる保証がないっすよ」
別に行きたくないとかではない。
ただ、俺とノワレは御使いだから、国内に残る方が役に立つのではないだろうか。
「その点については確かにそうだが、王都から北に十kmくらい行ったところにモルヴァの森がある。そこでは定期的にヨブコオオカミが目撃されてるんだよ」
「うーん。ヨブコオオカミを長距離運ぶのは大変だから、その森のどこかに『タンポポ』がある可能性が高いってことですか?」
「そうだな。まあ、正直なところバッジを探すのは"待ち"の作戦なんだよ。こちらからも『タンポポ』の御使いに圧をかけたいだろ? そうなるとお前たち御使い二人が探しに来るってのは結構プレッシャーになるはずだ」
合点がいった。
あえて御使いが近づいていくことで、より大きな圧力を掛けようというわけだ。
それで『タンポポ』の御使いが逃げ出してくれたら、それはそれで被害の軽減にもなるしな。
「なるほど、こちらからも攻めるってことっすね。よし、行くっすよノワレ!」
「張り切ってるなー」
俺たちはアハト隊長とネロセーヌ副隊長に敬礼をし、一目散に走り出した。
やることはシンプル、北上あるのみ!
⚫️
「なあ、ネロセーヌよ。どう思う、刀堂雄助のこと」
ネロセーヌの顔は見ずに、アハトが言った。
ネロセーヌもまたアハトの顔を見ることはなく、お互いに真っ直ぐ前を向いて話が始まる。
「違う世界に来たのですから当然ですが、精神的に非常に不安定ですね。子どものようです」
「子どもねえ……確かにそうだな」
「ご子息に重ねてしまいますか?」
アハトが抗議するようにネロセーヌを睨んだ。
その視線には気づかないふりをするネロセーヌ。
「まあ、生きてたら雄助と同い年くらいだからな。……死なせられないな」
「そうですね。彼はまだこの世界に染まっていない。しっかりと見守っていかなくてはなりませんね」
ネロセーヌが力強く答えた。
彼もまた第一王子として、この国の戦力としての雄助には期待しているのだ。
「……ノワレと二人で攻めに行かせたの、失敗だったかな」
「不安定だからこそ、時に大胆に、大きな結果を持ってくるタイプだと思いますよ。肉体的には最低限動けますしね」
ネロセーヌの言葉を少し咀嚼したアハト。
太い首の筋肉を無理やり動かし頷いて見せる。
「そうだな……そうだよな。……いざとなったら動けるようにしといてくれるか?」
「随分と刀堂雄助に肩入れなさるのですね。……かしこまりました。では私は現場へ向かいますので」
ネロセーヌの背中がアハトから見えなくなる頃、誰にも聞かれていない確信を持ってアハトが呟く。
「…………十年か。早ぇな。二度とあんなのはごめんだ……」
腰を上げ、大太刀『ヒマワリ』を強く握りしめた。
その右手には、あの日の誓いと不屈の正義が力強く脈打っている。




