イザベルと魔眼③
姉なるもの。
「下から聞きなれない足音が三つもしたから、ベルベルを起こして警戒してたんだ。で、そしたら案の定こいつらが部屋に押し入ってきてね。ナイフ持ってたから加減する必要もなさそうだったし、思い切ってベルベルが二人をバキッと、残った一人はあたしがこう、ひゅっばっと」
その時の様子を再現するかのように、シュッシュッと、アンナは空中に拳を打ち出している。心なしか、顔が少し得意げだ。自分一人で暴漢を倒したことを自慢したいのかもしれない。
だけど私には、アンナが打ち出している拳は少し弱そうに見えた。一発打ち込んでから次に拳を打ち込むのに結構間が空いてしまっているし、なにより力を感じない。あれなら真正面からくらっても、大したダメージにはならない気がする。あのパンチで、大の男を打ち倒せるとはちょっと考えにくい。
「……股の間を蹴り上げたとかじゃなくて、拳で?あなたが?」
「ひゅばっと!」
「ひゅばっと」
今更だけど、ひゅばっとって何かしら。
「あ、お嬢もしかして信じてない?」
「そうね。私あなたが戦うところなんて、想像すらしたことなかったもの。いつものんびりとしているから、戦えるなんて思いもしなかったわ」
「そっかー。うーん、まあそうだよね。さっき実戦で見せられれば良かったんだけど、お嬢いなかったからなー。あ、そうだ。今更だけどお嬢、その後ろの子は誰?村では見なかった気がするけど、どこから連れてきたの?」
ひょいっと、私の後ろの方へとアンナは顔を向けた。ちらりと振り返ると、マナは私の後ろにべったりと張り付いて、アンナの視線から逃げるように体を縮めていた。
「この子はマナよ。さっき、えっと」
ちらりと、床の男たちを見る。村の人間がいるときに、詳細まで話してしまうのはまずいわよね。
「村の外にいたのを見つけたの。事情はまだよく知らないけれど、家から追い出された後、ここに置き去りにされてしまったみたいでね。放っておけないから、とりあえず部屋に休ませることにしたの」
「それは大変。こんな寒い日に知らない村の前に一人で放置されるとか、酷い話だね。家から追い出されたって、親からってこと?」
私が視線を向けると、マナはこくりと小さく頷いた。
「そうみたい。さっきも言ったけど、私も詳しい事情は知らないの。とりあえず今日は体を休ませたいから、ベッドを使わせてあげてもいいかしら」
「あたしはソファーで寝るつもりだったからいいよー。ってあれ、じゃあお嬢はどこで寝るの?、もう一個のベッドはベルベルが使っているけど」
「私は寝袋で寝るからいいわ。って、そういえばベルダはしっかり寝てるのね」
普段は強気だが、実際はかなり臆病なベルダのことだから、夜中に襲撃なんて受けたらもう不安で寝ることなんてできないのではと思っていた。けどベッドの方を見ると確かに、シーツで体をすっぽりと覆ってピクリとも動かないベルダがいた。
「意外。知らない人間が三人も部屋にいるのに、しっかり熟睡しているなんて」
本当に寝ているのか気になって、ベッドへと近づこうとした瞬間、待ってとアンナに声をかけられた。
「お嬢、それ以上は近づいちゃダメ」
「どうして?ちょっと心配だから、顔色を見てみたいだけなのだけど」
「ベルベルは確かに寝てる。ただ、さっき襲撃を受けたばっかりだから、また襲撃されてもいつでも迎撃できるよう、準備をして眠っているの」
「具体的には?」
「あのシーツの下で、剣を抜き身にして枕元に置いて寝てる。近づいたら問答無用で斬られちゃうかもしれない」
「…………」
そーっと、伸ばした足を戻す。危ない。本当に危ない。もしアンナが止めてくれなかったら、今頃は首と胴が離れていたかもしれない。
「あ、あの、わ、私この人たちと同じで床でいいです……。あそこに近づくの怖いです……」
話を聞いていたマナががくがくと震えながら床を指さしている。しまった。全く関係ないマナまで怖がらせてしまった。
「ま、マナ大丈夫よ。あくまで近づかなければいいの。ベッドまでは私がついていくから、マナはしっかり休んで」
「で、でも、も、もし寝返りを打って、あっちのベッドに近づいちゃったら、斬られちゃうかもしれないですよね。わ、私怖くて眠れません」
困った。正論過ぎる。眠っている時に自分が何をするかなんて、誰にもわからないのだ。寝付けずにゴロゴロとベッドを転がって、気づいたらベルダの元へなんて可能性もゼロではない。
「……そういうことなら、大丈夫。私が壁になるわ」
「え、ど、どういうことですか?」
「かなり狭いけれど、二人でベッドに寝ましょう。これなら、マナはどれだけ寝返りをうっても大丈夫でしょう?私がいる場所で絶対に止まるからね」
「そ、そんな!い、イザベルさんを肉壁になんて!」
「いやそこまでは言ってないわよ?」
物騒なことを言わないでほしい。そもそもさっきはああ言ったけれど、私は斬られるなんて事態には絶対にならないと思っている。
この部屋に来た時も、私はベルダを怖がらせて首筋に剣を突き付けられたけど、そこまでだ。実際に斬られたわけじゃない。どれだけ怯えていたとしても、慎重な性格のベルダが相手を確認もせずに人を斬るなんてことは、まず間違いなくありえない。
けどマナはベルダのことを知らないから、とても怯えている。私が壁になるのは、その不安を取り除くため、ただそれだけだ。
「大丈夫、マナは知らないかもしれないけれど、ベルダは普段はかなりまともなの。外行きの顔になるとまあ、ちょっとあれだけど、少なくともこの部屋にいるうちは、人を問答無用で斬り伏せるなんてことは彼女は絶対にしないわ」
「……い、イザベルさんがそう言うなら、信じてみます、けど」
「うん、ありがとうマナ。今はそれでいいわ」
いつかはマナ自身がベルダを信じるようになってほしいけど、まあそれは明日からの話だ。今日やることはもう、二つだけだ。
私はアンナと一緒に、男たちを縛っている縄が緩んでいないか、なにか縄を斬る道具を隠し持っていないか念入りに確認した。男たちはずっと私に何かを伝えようとしていたみたいだったけど、私は意図的にそれから目を逸らした。
この男たちの事情はまるで知らない。部屋に入り込んだ理由も知らない。彼らにはなにか、どうしてもしないといけない理由があったのかもしれない。けれど、彼らが私たちの借りた部屋に不法侵入をしたという事実は間違いがない。
それなら私たちは、冷たい床で一晩過ごすという罰ぐらいは与えてもいいだろう。罪には罰を、それが人間社会の基本原則なのだから。
マナと一緒にベッドに向かい、二人で横になる。枕はマナに使ってもらうことにした。
「い、イザベルさん。ほ、本当に、今日はありがとうございました」
「気にしないで。マナはもう、私の仲間なんだから。大事にするのは当然でしょう」
「な、仲間……!わ、私、国から追い出された時、も、もう安心して寝られる日なんて、こないって思ってました。周りには知らない人ばっかりで、自分の居場所もない。毎日道具みたいに扱われるし、ちょっとでも気に食わないことをしたらひ、酷い目に合うし……」
「マナ?」
「け、けど、今は凄く落ち着いていて、ふわふわしていて、あったかいんです。で、でも、あれ、なんででしょう」
マナはポロポロと、涙をこぼしていた。止まらない涙を、マナは何度も何度も手で拭き取るのだけど、ポロポロと零れる雫は止まらない。手についた涙の跡を、彼女は不思議そうに見つめていた。
「な、なんででしょう。嬉しいのに、涙が止まらないんです……痛くも苦しくもないのに、こんなにあったかいのに、なんで……」
「……寒いところから暖かいところに行くと、体の力が抜けるでしょう。その涙はきっと、寒いところでずっとこらえていた涙よ。あなたは今までずっとずっと、涙を力で抑えていたの。それが急に力が抜けたものだから、抑えがなくなって流れ出してきたの」
「そ、そんなことありません。わ、私は凄く泣き虫で、どんなところにいてもずっと泣いてばっかりでした。か、悲しくて、痛くて、我慢なんてできたことありません」
「それなら、流した涙の量が足りなかったのよ。ずっと泣きっぱなしじゃ生きていけないから、きっと無理やり途中で泣くのをやめていただけなの」
「……そうかも、しれません。でも、でも。私、いいのかな。あんなにみっともなく泣いてたのに、やっと暖かい場所に来たのに、これから頑張らないといけないのに。まだ泣いてて、いいのかな」
「ええ、抑えなくていいわ。拭わなくていいわ。力を抜いて、楽にして、今まで貯めていた分、全て流してあげて。ここには誰も、泣いていることを責める人なんていないからね」
失礼かもと思いながら、マナの頭を軽く撫でる。マナは私をぱちくりと見つめた後、小さくはにかむように笑った。
「……イザベルさん。一つ、お願いがあって、聞いてもらってもいいですか」
「うん?なにかしら、私にできることなら何でもするわ」
「……二人だけの時、に、その。お、お姉ちゃんって呼んでも、いいですか……?」
「お姉ちゃん?」
「は、はい。そ、その、変なことを言ってるのはわかってます。で、でも……どうしてもそう呼びたくて……」
マナは顔を真っ赤にしながらも、私から目を離さなかった。けれどその目はマナの内面を映すかのように、不安げに揺れている。私はマナを安心させるようににっこりと笑って、こくりと頷いた。
「ええ。マナがそう呼びたいなら、私は構わないわ」
「っ!ほ、本当ですか!やった!」
小さいながらもはっきりと、マナは喜色の声をあげた。さっきまでいつまでも流れて止まりそうにもなかった涙は、その跡だけを残して、いつの間にか姿を消していた。
「お姉ちゃん!イザベルお姉ちゃん!」
「わわっ。きゅ、急にどうしたのマナ」
「あ、ご、ごめんなさい。わ、私、こうやって頭を撫でてくれるお姉ちゃんがずっと欲しかったんです。め、迷惑でしたか……?」
「あ、いや、そんなことはないわ。ちょっと驚いただけよ」
ぎゅーっと、私の左腕を抱きしめてくるマナは本当に嬉しそうで、可愛くて、なんだか引き離すのは躊躇われた。想像もしたことなかったけど、私に妹がいたら、こんな風に甘えて、抱き着いてくれたりしたのかもしれない。
……いや、どうだろう。あの家で生まれた妹が、まともな性格に育つだろうか。せっかく幸せな妄想をしていたのに、兄弟という単語からあの愚兄をつい思い出してしまい、私はそれを振り払うようにぶんぶんと首を振った。
「……?イザベルお姉ちゃん?」
「何でもないわ。マナが本当に私の妹だったら良かったのに、って思っただけよ」
マナは可愛くて純粋で、あの愚兄とは比較することすら憚られる。マナが私の本当の兄弟だったら、あの家での暮らしももっと楽しいものになっていただろう。そう思ってつい、変な言葉が漏れてしまった。
「あ、ごめんなさい。変な意味はないの。ただ、そうだったら楽しそうだなって思っただけでね」
「…………あ」
「あれ、マナ?」
「わ、わた、私!きょ、今日はもう寝ますね!あ、あのその、お、おやすみなさい!」
抱きしめていた私の左腕をぱっと放して、ごろんと、マナは窓の方へと顔を向けてしまった。
マナは心の拠り所が欲しいから、私に親しみを込めてお姉ちゃんと呼んだだけで、それ以外の他意はなかったのだろう。それなのに、私が妹だったら良かったのになんて変なことを言うから、マナを驚かせてしまったみたいだ。
「えっと、ごめんなさい。マナが可愛かったから、私ちょっと舞い上がってたみたい」
「あ、ち、違います!嫌だったわけじゃないんです!むしろ、その、う、嬉しすぎて……」
「そうなの?」
良かった。嫌がられているわけじゃなかったみたいだ。よく見ると、マナの右耳は照れているからなのか、真っ赤になっている。ということは、今のこれは、ただの照れ隠しということだろうか。
「マナは本当に可愛いわね」
「あ……そ、そんなこと、ないと……思います」
思わず頭を撫でてしまったが、マナに抵抗する素ぶりは見られない。嫌がられていないなら、マナが寝るまでこうして、頭を撫でてあげるのもいいかもしれない。
そう思っていたのだけど、先に限界が訪れたのは私の方だった。マナの暖かい髪を撫でている内に、うつらうつらと、眠気が込み上げてきて、視界がかすみ始める。もう数分もしない内に、私の意識は闇の中へと落ちるだろう。
「おやすみなさい、マナ……明日は頑張りましょうね……」
ガシャラ滞在一日目、長い長い夜がようやく、終わりを迎える。自分にも向けた、励ましの言葉を最後に呟いて、私の意識は途切れた。
一日目の終わり。自分でも驚いてます。一日目!?




