イザベルと森
私がその発言を撤回することになったのは、ほんの数分後のことだった。
「なんとかなるわけ、なかったのですわー!?」
私はほんの少しの月明りしか通さない、真っ暗な森の中をかけていた。浮き出た木の根っこや、柔らかい泥のような土のせいで、私の体は汚れて傷だらけになっている。しかもこの森に入ってからずっと走りっぱなしだから、息も切れ切れだった。
だけど私は、それでも足を止めることができない。
「グオオオオォ!」
強烈な雄叫びとともに、ズシンと何かが倒れるような音が聞こえてきた。愛用のナイフとライムちゃんを握りながら、後ろをちらりと振り返る。
私の数メートル後方から、地面を蹴りながら何かがかけてくる。それは私の背丈の二倍以上もある熊だった。私の細腕では、戦いにすらならない屈強な肉体を持った生物が、木々をなぎ倒しながら私を追いかけてきているのだ。
しかも、そいつはただの熊じゃない。夜闇でもはっきりとわかるほどの眩い黄色の毛と、血のように赤い瞳、そして剣のように長く鋭い爪を持った化け物熊だ。間違いなく通常の方法で生まれた生物ではない。私を食い殺そうと迫ってくる後ろの大熊は、強力な魔の力を持って生まれた魔物だった。
「いやー!食べないでー!」
「イザベル落ち着いて!いざとなったらわりこむから、安心して!あともう少しだよ!頑張って!」
「それさっきも聞きましたわよ!それより、殲滅地帯っていうのはまだなの!?私もう限界なんだけど!」
「あともうちょっとだと思うよ!たぶん間違いなく!」
「自信があるのかないのかはっきりしやがれですわー!」
暗闇から聞こえてくる声に悪態をつきながら、転ばないように走り続ける。すると、先の木々の間から光が漏れているのが見えた。
「ラビラビ!?」
「ついた!抜けたら思いっきり飛んで!イザベル!」
「わかったわ!あとは任せましたわよー!」
ラビラビの言う通り、木々の隙間を抜けた私は思いっきりジャンプをした。そして、空中で少し固まった。目の前の光景に目を奪われ、意識がそちらへと引っ張られてしまったのだ。
そこはまるで、流星が何度も落ちてきたかのような有様になっていた。私の視界の端から端まで埋めるように、お椀のような形にえぐられた地面がいくつも広がっている。そしてその円の中には、何かにちぎり飛ばされたかのような、折れた木や何かの肉片がゴロゴロと転がっていた。
クレーターの中で特に目を引いたのは、月明りに反射してキラキラと輝く、茶色の鉱石だ。拳くらいの大きさの鉱石が各クレーターに何十個も、地面に突き刺さっている。
「ライムちゃん、私を受け止めて!」
ライムちゃんを円の中心へと先に放り、倒れこむように体をそちらへと動かす。地面に到着したライムちゃんはすぐに薄く広がり、私を柔らかい体で受け止めてくれた。
「オオオオォ!」
真上から再び雄叫びが聞こえ、振り向くと、大熊が円の縁からこちらを睨んでいるのが見えた。今にも飛びかかってきそうな雰囲気だ。
「イザベル大丈夫ー!怪我してないー?」
そんな熊の様子に気をとめることもなく、ラビラビはクレーターの中へと駆け下りてきた。
……わざわざ不利なポジションである、下に降りてきたのはなぜだろう。簡単に倒せる自信があるから、とかよね。何にも考えていないだけとか、ありませんわよね。ねぇ。
「い、イザベルどうしたの!?なんか目が怖いよ!」
「いきなり安全地帯から放り出されて、森の中であんな化け物熊と追いかけっこさせられて、不機嫌にならない方が、おかしいと思わない?ラビラビー?」
「う、返す言葉もあったりなかったり……だって森の中は走りづらいんだよー。私一人だけならともかく、誰かをからって移動なんて難しすぎるよー」
ブレイクフットとラビラビが呼んでいたあの鉱石は、今森の入り口に置かれている。あれは拓けた台地でこそ活躍できる物らしく、木々が鬱蒼と生えている森の中では使いづらいようだ。そのため邪魔にならないよう、置いてきたのだ。
「……でも、せっかく来てくれたのに、いきなり危険な目にあわせてごめんなさい」
「はあ。別に怒ってるわけじゃないわ。そんなにしょんぼりしないで。それよりも、ほら。あそこでこっちをずーっと睨んでいる熊さんを、何とかしてくれないかしら」
「うん!それなら任せて!一瞬で終わらせてくるよ!」
ラビラビが不敵に笑うのと同時に、大熊がクレーターへと飛び込んできた。あの巨体に潰されたら、私もラビラビも無事じゃすまない。
「やばっ、」
「宝玉起動!蜂のように舞って蜂のように刺せ!」
ラビラビが軽く飛び跳ねながら、呪文のような言葉を叫んだと同時に、彼女の脚が光り始めた。私の視界へと薄い紫色の光が飛び込み、一瞬だけ視界を覆う。それと同時に、ボンと、何かが爆発するかのような音が耳に飛び込んできた。
視界が元に戻ると、ラビラビと大熊の姿が消えていた。安心してほっと一息をついていると、近くでボンと、さっき聞いた音と同じものがまた聞こえてきた。ライムちゃんと一緒にクレーターを駆け上がると、空の月に重なるよう打ち上げられた、黄色の大熊の姿が見えた。
その大熊の頭上には、脚を紫色に光らせたラビラビがいる。さっきまで私の傍にいたのに、もうあんなところにまで移動しているなんて、凄まじい速度と跳躍力だ。これだけの力がだせる脚で蹴り飛ばされれば、あの屈強な大熊でも耐えられないだろう。
「念のためー、もう一回!ごめんねー!」
メギョと、何かを蹴った結果出たとは思えない、強烈な音ともに大熊が地面のクレーターへと叩き込まれる。大量の砂ぼこりを手で払いながら覗き込むと、ピクリとも動かなくなった大熊の姿が見えた。口からの大量の出血と、蹴りを直接くらい破裂した腹を見る限り、死んだと見て間違いない。
「ふー!いやー久しぶりに思いっきり蹴ったよー!腕がなまってなくて良かったー」
「正解だけど、少し違うわね。あなたに限って言うなら、腕じゃなくて脚でしょう」
「あはは!確かにそうだ!私のとりえは脚だけだー!」
楽しそうに笑うラビラビと、地面に埋め込まれた大熊を交互に見る。ごくりと、小さく喉が鳴った。私は大熊に、無意識に人の姿を重ねていた。
ラビラビが所属している八魔剣は、魔王国の防衛もしているとよく噂で聞いていた。その噂が本当なら、彼女は王国の兵士と戦ったこともあるはずだ。
もし彼女が熊にしたように、人にこの力を振るったとしたら、その人間はたぶん、形すら保てずに爆散するだろう。
「ねぇラビラビ。人を殺したことって、ある?」
「ん-?急にどうしたの?」
「あなたって本当に強いんだなぁって思ったら、急に気になってね」
「急に気になった、って。イザベル私のこと信じてなかったの!?」
「さっきまでは正直、ちょっと脚が早いだけのアホの子って思ってましたわ」
「アホ!?イザベル酷いー!私ちょっと怒ったよ!」
心外だーと言わんばかりに、ラビラビはポカポカと私の頭を叩いてきた。
「あいたた。痛い痛い、痛っ!?ぐ、グーはやめてくれないかしら?」
「イザベルが酷いこと言うからでしょ!これはお仕置き!」
「私が悪かったわよ。それより、どうなの?殺したこと、あるの?」
「ないよ!魔王国では殺人厳禁!人殺しなんて損しかないことやったら、独房行きだー!」
当然と言わんばかりに猛否定された。そのことに、少しほっとする。
住んでる国は別だけど、ラビラビとはこれからも仲良くしたい。もし人を殺していたと聞いたら、私はたぶん今まで通りに話すことが、できなかったと思う。殺してなくて、本当に良かった。
「あ、でもそれ、敵国の兵士にも当てはまるの?」
「ん……昔は違ったみたいだけど、今はそうだね。少なくとも、私たち八魔剣は今のところ、人殺しをしたことはないかなー。倒した敵は捕虜として捕らえるのが基本方針だよ。あ、でも最前線はそのあたり、少し緩かったかな?正当防衛なら、軽い罰ですむから」
「…………なによそれ。戦争って、先に殺さないと、殺されるかもしれない状況なのよね。それなのに、相手から殴られないと、こっちは殴っちゃいけないって、魔王国ではなっているの?それ、おかしくないかしら」
「うーん。イザベルが言っていることもわかるんだけど……塔から離れていても、監視の『目』は最前線にもたくさんあるから。どう思っていても、守るしかないんだよー。逆らったら、アレが始まるし……」
後半から急に、声のトーンが沈みだした。さっきまで元気そうだったのに、今は恐怖を抑えるように、肩を震わせている。アレとは何かはわからないが、ラビラビがこんなに怯えているのだから、きっと相当嫌なことなのだろう。
「って、あー!?イザベルごめん、話はここまで!私たち、ツチちゃんのところに急がないとだよ!すぐ近くの洞窟に隠れてるから、早く行こう!ツチちゃん、怒らせると怖いんだよー!」
あわわと口をわななかせ、見るからに慌てた様子でラビラビは走り始めた。その速さはまるで鳥のようで、私があっけにとられた数秒の間に、どんどん距離が離れていく。
「ちょっ、待ちなさいな!?あなたがいないと私、間違いなく死ぬのですけど!?」
もしあの大熊のような魔物が一頭でも森から出てきたら、戦闘能力がほとんどない私は間違いなく食い殺される。私は荒い息を吐きながら、ラビラビが視界から消えないように走り始めた。
魔物紹介
イエローデビル。危険度はB。体長4メートルほどの大熊。発生箇所は森林地帯。
存在を周囲に示すかのように輝く黄色の毛皮と、長い剣のような爪が特徴。その強靭な肉体から繰り出される体当たりは強力で、波の冒険者なら一発でダウンする。また爪で裂かれた場合、頑丈な鎧を身に着けていない限り、胴体を両断されほとんどの者が絶命する。また、ピンチになると爪の先から、体内にため込んでいる毒液を放出するようになる。
倒し方としては、早い段階で即死させるのが最も効率的かつ安全。
面白いと思ったら評価していただけると幸いです!




