イザベルと焚火
「おや、今日はここまでかな」
ラバードがぼそりと呟くと、馬車がゆっくりと減速をし始めた。王国のヘアからガシャラまでは、馬車でも二日かかる。そのため一度キャンプをすることになると、行商人から言われていた。
馬車が止まった後に、固まった体を少し伸ばしながら外に出る。
馬車の周りを囲むように、馬車に追従してきた数名の傭兵たちが立っている。彼らはもし魔物に襲われたときに、行商人と馬車を守るために雇われた護衛だ。行商人とは長い付き合いのようで、腕は確かだと聞いた。
そして馬車の真横では、行商人と橙色のフードを被った結界師が木を組んでいた。おそらくあそこで焚き火をするのだろう。
「お嬢、お嬢。あのフード被った、怪しい人は誰?」
「結界師ですわよ。魔物がこの付近に現れないように、あの薪に加護をかけているのですわ」
魔物とは、体が魔力のみで構成された生き物たちのことだ。大気中の魔力がある一点に集中した時に、彼らはこの世界に形を持って出現する。
魔物は千差万別。狼のような魔物もいれば、人型の魔物もいる。大きさも一メートルから五メートルのものまでいる。集団で現れるものや、何百年も生きる長寿のもの、道具や毒を使う頭の良いものなど様々だ。
そんな彼らだが、一点だけ共通した特徴を持っている。それはどんな魔物でも、人間への敵対心を持っているということだ。
理由はわかっていないが、彼らは本能に、人間に対する怒りがあるらしい。だから生まれて間もない魔物でも、目の前に人間が現れればすぐに攻撃に移る。
そんな危険な魔物から人々を守るのが、結界師の役目だ。
結界師になるには、炉の神で人の守護神でもあるベスディ神の血を持つ者だけが使える『退魔』の魔法が必要だ。この魔法は薪などに、周囲の魔力を散らす効果を付与することができる。効果は魔法をかけた物を燃やした時に発動し、効果が作用する範囲は、術者が使った魔力量の多さによって決まる。だから魔力を潤沢に持った高位の結界師ほど、広い結界が張れるのだ。
高位の結界師はその有用性から、王国の中央付近に配置されることが多い。だから行商人が雇ったあの結界師は、良くて中位、悪くて下位のものだろう。下位の結界師になると、半径三、四メートルほどにしか結界が張れないから、結界外に現れた魔物に視認され襲われる可能性がでてくる。一度出現した魔物に対しては、結界師は全くの無力だ。
だがそれでも、いるといないとでは大違いだ。結界師がいない場所では、枕元に魔物が出現する可能性だってある。彼らがいなければ、安心して眠ることなど不可能だろう。
「あ、あれがそうなんだ」
さすがにアンナでも、結界師のことは知っていたらしい。興味深そうに薪に魔法をかける結界師を見ながら、しきりにうんうんと頷いている。
薪に橙色の魔力が付与され、火がつけられる。火は静かに燃え広がり、やがて大きな炎となった。炎がぱちぱちと鳴るたびに、橙色の粒子が空へと高く舞い、拡散しながらゆっくりと地面に落ちてくる。あの粒子が、魔力を散らす役目を果たしているのだろう。
焚き火の周りにみんなで座る。温かい火の近くにいると、雨風をしのぐ屋根も壁もない荒野にいるというのに、とても心が落ち着く。安全な屋敷の中では感じたことがない類の心地よさだ。長く馬車に乗っていた疲れも合わさって、思わず綻んでしまう。
「いいですわね、これ……」
「……イザベル。一つ、聞きたいことがあるんだ」
隣に座っていたラバードから声をかけられる。
「……あら、いつのまに隣に?気づかなかったわ」
「イザベルと話したいことがあったから、アンナさんに場所を変わってもらったんだ。なあイザベル。今からきっと、君が答えづらい質問をする。だけど正直に答えてほしいんだ」
「随分と大仰ね。何が聞きたいかは知らないけど、答えるかどうかは質問次第よ」
突き放すように言うと、ラバードは一瞬考え込むように口をつぐんだ後、周囲に聞こえないくらいの小さな声で話しかけてきた。
「……君は、実は貴族なんじゃないのか」
「……なぜ、そう思ったの?」
「君とアンナさんが話しているのを聞いていたんだ。変だなって思った。君の口調もだけど、年上のアンナさんのほうが、何歳も下の君に対して丁寧に接していたのが気になったんだ。まるで貴族の子供に仕えている従者みたいだ、ってね。いや、実際そうなんだろ?」
「ふふふ。うーん、まあ、ちょっとは当たっているわね。あなたの言う通り、アンナはある貴族の次女に仕えていたみたいです。つい先月その次女が亡くなられて、彼女はお暇をしたばかりみたいなの。つまり元従者ってことね。私に丁寧に接してくれるのは、きっと亡くなった次女と私を重ねているからなのよ」
「貴族の従者をしていた人間が、なぜガシャラに?」
「さあ。アンナはあまり、過去を話したがらないから……私が知っているのは、ガシャラに行く仲間を募っていた私に、私もついていくと言ってくれたアンナのことだけなの」
「……その割には、随分と親しいようだけどね。つい先月出会ったばかりらしいけど、俺の目には、お互いを信頼しあっているように見えたよ」
「話せばわかりますけど、アンナは本当に表裏がない性格をしているの。仲良くなるのに、そんなに時間はかからなかったわ」
間髪いれずに答えを返す私に、ラバードは少し面食らったようだ。
一個の失言に十の罵倒が重ねられる貴族の世界で生きてきた私にとっては、このぐらいの追及は楽なものだ。かわし方としては、嘘は一切つかずに、真実をほとんど喋らないのがコツ。逆にこちらが何かを聞きたい時は、相手の感情を揺さぶって、反応を見ながら喋るのが一番効果的だ。
「ふー。さっきから、質問ばっかりね?それも尋問みたい。なんだか、私が悪いことをしたみたいで、少し嫌だわ」
こんな風に。貴族相手にこれをしても、知るかで返されるが、相手が普通の人間なら、何かしら思うところはあるだろう。
「あ……す、すまない」
悪かったと、ラバードは頭を下げて、また黙ってしまった。顔を俯かせて、口を噛みしめている。
思った通り、人の弱みを握って脅してくるような、悪い人ではないみたいだ。むしろ、罪悪感に呑まれやすい気弱で優しい人だと感じた。悪い言い方をすると、貴族社会だと獲物としてしか見られないタイプ。
それならそんなに気を張らずに接しても、大丈夫だろう。完全に信頼するのはまだ早いが、友達になる分には問題なさそうだ。
「……ねぇ。あなたはなんで、ガシャラに行くの?」
「え?」
顔をあげたラバードをまっすぐに見つめながら、私は喋り始めた。
「話したくないなら、構わないわ。あそこに行く以上は、私と同じで、かなりの訳ありなんでしょ?」
「……それは」
「私はね。家から逃げてきたの。私の父と母と、兄は私を愛してくれなくてね。私のことを道具みたいに見てたの。特に兄は酷くてね……本当に酷くてね?」
「え、あ、ああ」
びくりと、少し顔を青ざめさせながらラバードがあとずさる。しまった。怖がらせるつもりはなかったけど、言葉にちょっと呪詛が乗っていたらしい。
「あんまりにも嫌だったから、もうこんな家知るかーって感じで、自分で稼いだお金と荷物を持って逃げだしたの。でも、どんなに遠くに逃げても、国内にいたらすぐに連れ戻されてしまう……だからいっそ、誰も追ってこれないくらい遠くの場所に逃げてやろうって思ったの」
「……そう、だったんだな」
「幸いなことに、仲間もすぐに集まってくれたから、不安はすぐに消えたわ。あなたも一緒に来てくれたから、私はもう怖いものなしよ」
「お、俺が!?」
驚いたように言うラバード。仲間として見られていることを、まるで想定していなかったみたいだ。
あまりにも純真すぎる。私なんて会ってからずっと、どうやったらガシャラでの面倒ごとを押し付けられるかなとか、彼をこちらに引きずり込めるかなとか、邪な考えばかりしていたというのに。
これだけ純な人なら、私が回復してあげればさぞ喜んで、褒めてくれるに違いない。そうして回復し続けていれば、もしかしたら物語の騎士みたいにずっとついてきてくれたりするかもだし、私を守ってくれたり、何か問題が起こったらかばってくれたりするかもしれない。
顔も綺麗ですし……彼みたいな男が自分だけを守ってくれると考えると、ちょっとにやけそうになる。
いい。凄く、いいのですわ!彼を私の騎士枠として、絶対仲間にしましょう!さっきからそうしようとは思っていましたけど、思いがさらに強まりましたわ!
「ええ!あなた、冒険者なんでしょう。私もガシャラに着いたらライセンスを作って、冒険者になるつもりなの。そうしたら、一緒にパーティを組みましょう。同じ訳ありどうしのあなたとなら、仲良くなれる、そして一緒に戦えるかもって、さっきからずっと考えていたのよ」
手を差し出して、できる限り信頼してもらえるようにっこりと笑う。
「ガシャラについてからもよろしくね、ラバードさん。あなたは私を信頼していないかもしれないけど、私はもう仲間だって思っているから。一緒に冒険しましょう?」
内面の邪な思いが溢れないようにしながら、相手の回答を待つ。
「……イザベル」
手をぎゅっと握り締めながら、ラバードは真剣な顔で私を見つめてきた。彼からはさっきまでの少しふんわりとした雰囲気はまるでなくなっていて、まるで今から戦いに行くかのような険しい気配が感じられた。私を見つめる目も、睨んでいるのではないかと錯覚するほどの、ちょっと怖いくらいの鋭い目つきをしていた。
「必ず、君を守ると誓うよ」
「うっ!?え、ええ!あ、ありがとう……?」
一瞬、脳内の妄想が具現化したかと思った。バクバクと鳴る心臓を懸命に鎮めながら、赤くなった顔を左腕で隠す。勝手に脳内で自分だけの騎士認定してたとか、バレたら絶対にドン引きされてしまう。変に思われないようにしないと。
「え、えっと、い、今のは仲間になるということで良いのですわよね!そ、それは良かったのですわ……」
ってやばい。口調が素に戻っている。完全にバレたと思い、ちらりと顔を横目で見たが、ラバードの表情は先ほどと同じままだった。
「……俺はあの騎士たちと一緒に、この馬車を守るよ。イザベルは明日に備えて、もう寝ておいた方がいい」
「あ、あら?結界は張ってあるのだから、大丈夫じゃない?」
「念のためだ」
立ち上がり、振り返ることなく騎士たちのもとへと向かうラバードを見ながら、私は赤くなった顔を戻すために、何度も深呼吸をした。急に護衛に加わった理由はよくわからないけど、彼の言うことは最もだ。
明日の夕暮れにはガシャラに着く。さっきみたいに素を出したら、あそこでは取り返しがつかない。早めに寝て、英気を養っておくことにしよう。
ヘアで買った寝袋を敷いて、私はすぐに横になった。疲れていたからか、あっという間に私は深い眠りへと沈んでいくのだった。
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