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令嬢、家出する⑤

 習慣というものは恐ろしいもので、どんな場所でも体はそれを忘れないらしい。まだ太陽の光ものぼらないころに、私は目を覚ました。時刻は午前3時、いつもなら誰も起きていないこの時間に庭に行き、朝の訓練を行うのが私の日課だ。とはいえ、ここはもう自分の家ではない。敷地内で血を流したら大迷惑だろうし、勉強用の本もないのだから今日の訓練はなし。ラースさんが起きるまでは何もしないで待っておくべきだろう。

「むぅ……とはいえ暇ですわね」

 ちょっと近くを散歩してこようと思い、マントをかぶりながら階段を降りる。すると、一階から水が流れるような音が聞こえてきた。

「ラースさん?もう起きていましたの?」

 水でも飲んでるのかと思い、音が聞こえる部屋をのぞき込む。すると、見知らぬ女性と目が合った。三十代くらいの女性で、バンドで一つにまとめた後ろ髪ときりりとした目が特徴的だった。どうやら水を飲んでいたのではなく、料理をしていたようで、手にはニンジンが握られていた。

「……」

「あ」

 しまった。のんきに観察している場合ではない。おそらくこの女性はラースさんの奥様なのだろう。私とは初対面だから、相手からしたら家に勝手に入ってきた不審者にしか見えないはずだ。早く誤解をとかないと守衛騎士を呼ばれてしまう。

「あ、あの、私ラースさんの知人の者で、決して怪しいものではないのですわ。昨日の夜、奥様が寝てる間にラースさんに頼んで、ちょっとお家にお邪魔させてもらったのですわ」

「…………」

「えっと……」

「…………」

「(なんで無言なんですの!?)」

 奥様は私のことを無言で見つめてくるだけで、体一つ動かさない。誤解を解きたいが、この状況で動くと相手に警戒させてしまうだろうから、私も動けない。しばらくの間、無言で私たちは見つめ合っていた。

「……ふっ」

 ゆるりと、奥様が笑った。よかった。怒っているわけではなさそうだと思い、安堵したのも束の間、奥様の手にあるニンジンが、べきっと、音を立てて割れた。

「そこを動かないでね。今から主人に話をしないといけないから、ね」

「も、もちろんですわー……」

 固まって動けなくなった私の横をすり抜けて、奥様が二階に上がっていく。しばらく待っていると、ばたんという音の後に、ラースさんが転がるようにかけ降りてきた。

「あ、ラースさ、」

「誤解なんだ!誤解なんだよレイナー!」

 私には目もくれずにキッチンに駆け込んだラースさんは、台所にあった鍋を頭にかぶり、部屋の隅に座り込んだ。それとほぼ同時に、肩に木刀を担いだ奥様がにこにこと笑いながら、一階に降りてきた。私は思わず、奥様から距離をとってしまった。表情は確かに笑ってはいるけれど、木刀を握る手の甲に青筋がたっているのを私は見てしまった。あれはかなり怒っている。

「何が、誤解なのかしら?あんな美人な子を夜中にこっそり連れ込んで、一体何をしていたのかしら?ふふふふふ。ねえ、あ・な・た?」

「ま、まま待ってくれ。前に話したことがあっただろ?あの、」

「浮気をしていたって?」

「違うから!?そうじゃなくて、前に昇格試験を受けたときに怪我をしただろ?」

「その時のお仲間さんの娘さんと浮気をしていたのね」

「待ってくれ!?違うんだって!?一回話を、」

「問答無用よ、この裏切り者ー!!!」

 木刀が勢いよく鍋へと振り下ろされ、べごっという音ともに鍋がへこんだ。当然、それで頭をガードしていたラースさんが無事で済むわけもない。

 ひーと悲鳴を上げながら、ラースさんは鍋を捨て二階へと逃げた。木刀を構えなおしながら、奥さんはそれを追う。それを目で追いながら、はっと気づく。私が誤解をとかないと、ラースさんが浮気者としてぼこぼこにされてしまいますわね!?ぼーっとしている場合ではありませんわ!?

「ま、待ってくださいですわ奥様!?本当に誤解なのですわー!」

 急いで二階に上がると、壁に追い詰められているラースさんの姿が見えた。木刀を振り上げる奥様を止めようと走り出そうとしたその時、がちゃりと音が聞こえた。

「うーん……お母さんうるさいよ……」

「ら、ラン?」

 ドアを開けて、部屋からランがでてきた。シャツ一枚で眠そうに瞼をこすりながら、きょろきょろとあたりを見回している。ちらりと奥様を見ると、罰が悪そうな顔をしながら木刀を下ろしていた。子供が出てきたことで、少し冷静になったのかもしれない。ナイスですわ、ラン!

 ほっと一息をついていると、ランと目が合った。ランはパチパチと瞬きをして、しばらくしてからゆくっりと私のもとに近づいてきた。なんだろうと思い、視線を合わせるため腰を落とした。

「リサさーん」

「あら」

「んー。なんだか、あったかい……ふしぎー……」

 ぎゅっと、ランが私に抱き着いてきた。気持ちよさそうに頬をおなかに擦り付けてくる。突然のことに戸惑っていると、奥様から声をかけられた。

「リサさん?って、え!?あのリサさん!?」

「え、ええ。知っていますの?」

「あ、当たり前です!夫から何度も話を聞いてて、ってええ!?な、ななななんでこんなところにおられのですか!?というか、私はなんて勘違いを!?」

 わなわなと顔を青くして震える奥様。ようやく、誤解が解けましたわね。


 



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