令嬢、家出する④
「……えっと、リサ、さんです、か?」
「ええ」
「あの、リサ・フォーベルトさん?」
「ですわ」
「同性同名の別人、じゃないですよね」
「もちろんですわよ」
「…………しょ、少々お待ちをー!?」
ばたんと扉が閉められ、建物の中からバタバタと物を片付けるときの音が聞こえてきた。何か見られて困るものでもあったのだろうかと思いながらしばらく待っていると、ぜぇぜぇと息を吐きながら、再びラースさんが出てきた。
「少し汚れているくらいなら気にしませんわよ?」
「私は気にするんです……まさか、本当に来られる日が来るなんて思いもしませんでしたよ」
ラースさんは信じられないという風に、私の顔をまじまじと見つめてくる。
三年前、ラースさんに治療代として私は、『私が望んだ時に一か月間ほど、家の一部屋を借り受ける権利』を要求していた。私はあの屋敷の外の知識については、本で読んだことぐらいしか知らない。本家の方から、外についての知識など知る必要がないと、圧をかけられていたためだ。理由をお母さまに聞いたところ、知識はあるが世間のことは何も知らない、俗に言う箱入り娘であるほうが男性には好かれやすいから、だそうだ。さすがクソ兄上のお母さま、恥もプライドもかなぐり捨てたこの強かさは、ダメ人間博覧会とも言える貴族社会であっても他の追随を決して許さないだろう。
本家を取り締まるお母さまがそんな風だから、本家から来たメイドたちや家庭教師に外について聞いても、私には答えられない、お嬢様は知る必要がないと、はぐらかされてばかりだった。こうなったら自力で調べようと、門を開け外に出ようとしているのがばれたらなんと守衛騎士まで呼ばれた。小娘1人の外出にそこまでやるかと言いたい。
アンナに聞けば答えてくれたかもしれないが、私に外の知識を教えたことがお母さまにばれたら、アンナが罰を受けてしまうかもしれない。そう思うと聞けなかった。
そのため、私は外について何も知らないまま、13歳になってしまった。こんな状態で街に出たらどんな惨状になるかは目に見えている。そのため、私には外の知識を身につけるまで隠れていられる居場所が必要だったのだ。
「事情はあとで話しますわ。誰が見ているかもわかりませんし、入ってもよろしいかしら?」
「ええ。念のためとはいえ、約束でしたからね。いつ来られてもいいように、一部屋開けておきましたから」
ラースさんと一緒に、私はおそるおそる家に入った。今まで人の家に入ったことなどなかったので、少しドキドキする。
建物の中は外と同じでコンクリートでできていて、ランプがついているにもかかわらず少し薄暗かった。屋敷と違って絵や花瓶はなかったが、厚手のコートがかけられた木製の家具と、大きな鏡が玄関の端に置かれていた。たぶん、外に出るときはここで身だしなみを整えるのだろう。
玄関を通り過ぎてまっすぐ進んだ突き当りに階段があり、そこをのぼると二階についた。二階には三つの部屋があり、階段のすぐ横の部屋はラースさんと奥様の寝室、階段の先にある二部屋の手前側はランとレンの部屋、その奥が私の部屋とのことだった。
「生活に必要なものはすべて準備したつもりですが、もし何か足りないものがあったらすぐにおっしゃってください。すぐに用意しますから」
「ベッドさえあれば大丈夫ですわ。私はここに住まわせていただく身なのですから、贅沢を言うつもりはありませんし、必要なものがあれば自分で手に入れてきますわ。お気になさらず」
「い、いえ!そういうわけにはいきません!助けてもらった恩がありますし、貴族であるあなたに、買い物に行かせるなんて!」
「し、静かにですわ、ラースさん。奥様と子供たちが起きてしまいますわよ。それと、もう私を貴族扱いする必要もないのですわ。私、世間的にはいない存在になっていますから」
「え、そ、それはどういう!?」
「詳しい事情は明日話しますわ。今日はひとまず寝させてほしいのですわ。何分外は初めてで……少し疲れていますの」
ふぅと、息をつく。疲れているのは本当だ。毎日鍛えていたので体力的には全然問題ないのだが、常に誰かに見られていないかを確認しながら、見慣れない景色の中を歩き続けるのは中々にきつかった。今日はもう寝たい、というのが本心だ。
「あ、も、申し訳ありません。ここまで、歩いてこられたのでしたね……。わかりました!必ず明日、また呼びにまいりますので、その時に話の続きをしましょう」
「ええ、そうしてくださると助かるのですわ。では、お部屋、お借りしますわね」
ラースさんが部屋に戻っていくのを見送ってから、私は部屋に入った。中はメイドたちの部屋をもう一回り小さくぐらいした大きさで、ベッドと化粧棚、タンスにランプなどが置かれていた。床にはちり一つなく、窓もきれいに磨かれていた。私と約束をした時からずっと、掃除を続けていたのだろう。
「なんだか悪いですわね……。明日、必ずお礼を言いませんとですわ」
上着を脱いで、布団に入る。慣れない布団では寝付けないかと思ったが、思った以上に私は疲れていたみたいで、意識はすぐに深い眠りに沈んでいった。
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