「夫がモラハラ」と聞いて会いに行ったら、正しすぎて吐きそうになった
翌日、富江のスマホを借りてゲームをすると言いつつ、弟に電話をかけた。
弟の名はヒロシ。ワシが源三なんて仰々しい名前なのに対して、当たり障りのなさそうなヒロシが羨ましかった。
ワシは源三って名前なのに痩せ型なのだ。
病院で呼ばれる時もなぜか周りの目が気になる。
『えっ!? あの人が源三さん!? 特徴ないわー』
と、言われているような気になるし、そもそもワシは市役所職員だった。
よく名前負けしているとイジられていた。
その点ヒロシは太っていようが、痩せていようが、ヒロシという名で変なイメージを持たれない。昔から羨ましかった。
「おお、どうしたの姐さん。なんかあった?」
なんて答えたらワシだと信じてもらえるだろうか。
「いや僕、キラト」
「キラト君? どうしたの、バァバのスマホ使っていいの?」
「小学校の頃、食い意地がはっててザリガニを食べてお腹壊したことがあったよね」
「はあ? ジイジから聞いたの、それ。ハハハ、参ったなあ」
ダメか。もっとセンシティブなやつじゃなきゃ伝わらんか。
「ベッドの隙間にエロ本隠してたよね。しかもエグいSMのエロ本」
「はあ? キラト君?」
「ワシなんだ。信じてもらえないだろうが、源三。キラト君がSMのエロ本なんて知ってるわけないだろ。信じてくれ」
「ええ? ……兄貴? なに言ってる」
「一生のお願いだ。一度うちに来てくれ。この身体じゃできることが少なすぎる」
「一生って……兄貴の一生終わっちゃったじゃん」
「えっ、まあ。延長十七回、続きは翌日みたいな状態だ」
「古い例えだなぁ。高校野球だろ。まあ信じられないけどいいよ。明日行くよ」
我が弟ながらピュアな男だ。ワシなら新手の詐欺だと絶対に疑う。
「兄貴でいいんだよな」
「ああワシだ。昔のことならなんでも聞いてくれ。実家の住所でも引っ越しのことでも」
「いや、信じるよ」
ワシは娘の浮気のことと、旦那のマコトくんにも話を聞きたいことを伝えた。
ヒロシは最初、「若い子のことは若い子同士の問題だろ? 俺たちが関わらないほうがいいんじゃないかな」と言ったが、娘よりもキラト君のためだと話すと渋々引き受けてくれた。
「でも、どうやって会いに行くんだよ」
「ヒロシの家に泊まるってことにして、マコト君に会いに行こう」
「もめごとにならなきゃ良いけどなぁ」
ワシは娘に懇願し、ヒロシの家に二日ほど泊まることを了承させた。
ヒロシの妻にはワシのことを秘密にしてもらい、ワシもキラト君として接してその日は過ごした。
ヒロシにはマコト君へ連絡してもらい、秘密で会わせる約束を取り付けてもらった。
「キラト久しぶりだね。パパ会いたかったよ」
ワシは抱きかかえられ、ギュッと抱きしめられた。
正直気持ち悪い。だが思ったより塩対応。
久しぶりに会ったわりには、こちらが「もう無理ー」と言う手前で、意外とあっさりハグは終わった。
「じゃあ、十七時に迎えにくるんで」
「はい。ありがとうございます」
ヒロシはそう約束して出ていった。
「キラト、行きたい場所や食べたいものある?」
いや、ワシは遊びに来たわけじゃないのだ。
ワシは首を横に振った。
「家でいいのかな?」
「うん。久しぶりだから」
「ええ!? ずいぶんちゃんとした答えができるようになったねー」
うっ。そうだ。『うん』だけ答えて、久しぶりなんて言うべきではなかった。
そう考えると、当然こちらから事情を確認する方法も限られてくる。
昨日は「パパなにしてるの」とか「ママとなんかあったの」など言い方を考えていたが、マコト君は今日という日を楽しい日にしようとしている。
どうしたものか。
ワシは遊びたくもない積み木を適当に積み上げては、ガチャガチャと倒していた。
マコト君は見かねたのかワシのところに寄ってきた。
「積み木はね、下に大きいのを置いて、最後に小さいのを置くと倒れないんだよ」
マコト君はテキパキと積み木を積み上げていった。
「ほら、パパが言ったとおりでしょ。大きいのを下にすれば倒れなくなるんだよ」
「うん。わかった」
「失敗するのはいいんだよ。ただ、どうして失敗したのか考えることが大切なんだ」
おお、的確な指示だ。まさしく絵に描いたような正しい一言。
まずはやって見せ、体験させる。
山本五十六のようなお手本だ。
「パパ、オヤツが食べたい」
「いいけど、まず途中で投げ出すのはよくないって分かるかな? オヤツは用意しておくから最後まで完成させてみな」
おお、面倒くせー。
そもそも三歳は完成させるのが正解なのか? 作れないのが正解なのか? どっちだ。
ワシは適当に重ね合わせて、とりあえずある程度の物を歪に作ってみた。
「おお、最後までちゃんと諦めずできたねー。ご褒美にオヤツあるからおいで」
なるほど。最後までやることに意味があると言うことか。子に考えさせ、適当なレベルで完成させ、褒めるタイミングで的確に褒める。
AIといるかのような完璧人間だ。
娘と比較してしまうと、娘の粗ばかりが目立ってしまい、残念な気持ちになるから不思議だ。
ダイニングテーブルへ案内されると高級そうなケーキが出された。
「パパはママを叩いたの?」
思いきってワシは疑問を選んで聞いてみた。
「ええ? ママはそう言ってるの? 蹴飛ばされたのはパパなんだけどなぁ」
「えー」
「ほら、パパは弱いからね。ママに負けちゃうよ」
「そうなんだー」
ワシはケーキをできる限り下手くそに食べるよう心がけ、口にした。
「キラトには分かんないかもしれないけど、本当のことを捻じ曲げてしまう大人になってはダメだよ」
言わんとしていることは分かる。
だが質問が死ぬほど難しいネタだ。
「本当のこと?」
「うん。なかったことをあるって言ったりするような人にはなってはダメだ」
嗚呼……ケーキが不憫でならない。イチゴさんが泣いている。
フォークで刺して口に入れると、スッぱさの少ない高級感のあるイチゴ、フワッフワのホイップクリーム、高級カステラのように口の中で溶けていくスポンジ。
「このケーキはすごいんだぞー」でもよい。
こんな分かりやすいネタをそもそも自分で用意しているのに、イジらないんか。
ワシはマコト君が挨拶に来たときのことを思い出していた。全く嫌味などなく、気づけば「感じのよい男ではないか」と思った記憶がある。
娘もマコト君が料理を作れるし、家事もできると喜んでいた。
キラトくんが産まれてからも育児に協力的で、かなりの時間を子どもの世話に費やしてくれていると感謝していた。
今見ていてもマコト君は恐らく暴力なんて振るっていないのだろう。
「パパ、トイレに行ってくる」
そう言ってワシはトイレに向かった。
綺麗なトイレでよく清掃されており、ワシが汚してしまったらどうしようと心配になるくらいだ。
戻る時に少し他の部屋も見たくなり、寝室へ入るとA4サイズの封筒が一通置かれていた。
差出人には《新宿探偵事務所》とあった。
恐る恐る封筒を手に取り、中の書類をめくってみた。
「ぐはーっ!!」
そこには、この前会ったユウと娘のヒカリがバッチリ映りまくっている。
しかも書類をめくっていくと、一年前からの調査記録があった。
「うわぁ、初見からバレバレではないか」
ワシは目も当てられず、そのまま書類を元の位置に戻した。
「キラト。なにしてるのかな」
うわー! 声が出そうになるのを必死に殺して振り向くと、マコト君が立っていた。
音もさせずに近寄るとはナルトの世界線か?
そんなことを思い、どこまで見ていたのか途端に怖くなっていた。
「この部屋で遊びたいの?」
マコト君はニコリと笑ってワシの視線に合わせるように腰を落とした。
「ううん」
首をブンブン振ってワシは否定したが、全く怒っている様子はなかった。
まあ、普通の三歳児なら書類を見ても理解できない。
大人だってそう考えるだろう。ならば逆に聞いてやろう。三歳児のワシを甘くみるなよ。
「これ見たらね、ママがたっくさん写ってたー」
「写ってた……?」
マコト君は一瞬疑念を感じたのか首を傾げたが、すぐに笑顔に戻った。
「そうそう。家族だからね。ママのお写真もたくさんあるんだよ」
おお。模範回答すぎるぞ。マコト君。
決して子どもを傷つけない。怖いくらいに完璧ではないか。
「さっきのケーキ食べてくるー」
ワシは逃げるようにダイニングテーブルへ向かった。
残ったケーキをゆっくりと食べているとマコト君は読書をしながらワシを監視……じゃなかった。見守ってくれている。本のタイトルを見ると《無意味の意味》と書いてあった。なんてつまらなさそうで内容のわからなさそうな本なのだ。
タイトルを見て一ミリも内容が分からん。
そんなことを考えケーキを食べ終わっていた。
「パパ、ママともう一緒にならないの?」
我ながら最高の質問だ。これなら三歳でも不思議ではない。
「うん。一緒には暮らさないと思うよ。でもキラトとは暮らしたいと思うよ」
オェェェ
ワシはそのままもう一度エンジェルのお迎えが来るかと思った。
なんと娘の言っていた『復縁求めてしつこい』も嘘だった。
そしてマコト君は既に娘のことは諦めている。
アッサリと言われ、このあとどんな手段を取るのか想像がつかない。
ワシは罪悪感と恐怖でいっぱいになっていた。
「えっと……でもね、できれば一緒に暮らせればなあ……なんてね」
ワシが精一杯答えると、マコト君は本から目を離してワシをじっと見た。
「そんな思いをさせてゴメンな。パパが上手くできなかったんだよ」
まさかの謝罪であった。ぐうの音も出ないと言うことはこういうことだと死後気づいた。
これをモラハラと言えるのだろうか。
ワシは確かに恐怖を感じている。
しかし対応が完璧であるからモラハラと言われたら、間違ったことが正しいとしなければならない。
違和感はあるのだが、ゴシップネタにすれば娘は最悪のエロ女というだけの人間になってしまう。
だが娘の言うとおり『怖い人』は正しい。ワシも怖いし戦闘力を測れたらきっと地球人ではない数字が出るはずだ。
キラトくんの幸せ。父親のワシが言うのもなんだが、親ガチャは失敗しているのかもしれない。
この身体だと堪えられないのか。
それともワシが老いているからなのか。
ワシは多分久しぶりに涙を流していた。
「マコト君はきっと正しい。だが、キラト君は可哀想だ」
「ええ!?」
ワシが思わず漏らしてしまった声にマコト君は音を立て驚いている。
そしてワシも驚いているが、どうにも引っ込みがつかない。
「勝手になんでも決めるな! 君は正しいがなにか間違っている」
完全にスピった世界線にマコト君も言葉を失っている様子だ。これは娘のためでもマコト君の正当性を確認するためでもない。
キラト君のため。それだけをワシは信じて二回目は自分の意思で言った。と思う。
しばらく沈黙が続くとインターホンが鳴った。
ワシはそれがなによりもホッとした瞬間であり、公務員経験しかないワシの手は震えていた。
冒険はアニメやゲームで体験するものであって実際は冒険などしたことがない。
数々の勇者や魔王たちはつくづく偉いものだと関心しながらワシの家へ帰っていった。




