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それ以後、女の子が踏切の前にいることは無くなった。その後私はあの踏切の前を何度か通ったが、そこには女の子の姿は無かったのである。女の子が姿を現さなくなったことは、やはりあの、母親と思われる女がやってきて、有無を言わさず女の子を連れ去って行ったことと、なんらかの関係があるように思われた。しかしその理由を私は知るすべが無かった。
女の子が踏切の前に現れなくなってから、私が例の散歩コースを三~四度、歩いた後のある日ことだった。その日も私は例の散歩コースを歩き、あの踏切の前を通りかかった。すると、意外なことに、その夕方、そこには女の子の母親と思えるあの女が立っていたのである。
女は女の子がいつもそうしていたように、線路の方を向いて、一人で突っ立っていた。緑色のストライプのワイシャツに、ブルージーンズに、スニーカー。その全てがしまむらで売っていそうな、安っぽい服と靴だった。相変わらず化粧をしておらず、髪の毛は毛先がぼさぼさして、いかにも田舎のおばさんといった風である。
なぜここに、あの女が立っているのか。私はいぶかしんだ。女を見つめながら私が女のそばを通り過ぎようとすると、女はこちらに顔を向けて、私の方を見てきた。私は慌てて視線を逸らした。そうして足早に女のそばを通り過ぎた。すると、通り過ぎてちょっと行ったところで、
「あの、すみません」
女が声を掛けて来たのである。私は足を止め、後ろを振り返った。女がこっちを見ていた。
「アカリを――あの、こないだここに居た女の子を、ご存知なんでしょうか」
せっぱ詰まったような表情で、じっと私を見つめながら、そう言ったのである。
「はあ、知っているというかなんというか、よくここで話をしていただけですけど」
「そうですか」
「あの子のお母さんですか?」
女は口では答えず、コクリと小さくうなずいて応えた。
「そうですか。最近見かけなかったので、どうしてるんだろうと思ってたんですよ。元気にしてますか?」
「・・・」
数瞬の沈黙があった。その後、突如母親の顔のパーツががくしゃくしゃっと顔の中心に集まり、醜く歪んだ。あっという間に両眼に涙が溜まった。母親は震える声で、絞り出すように、
「あの子、このあいだ、手首を切って――」
そこまで言うと、わあああっと叫んで両手で顔を押さえ、その場にしゃがみこんだ。
(そんな、死んだのか)
私は呆然とした。ついこの間まで、一緒に電車を待ち、あんなに楽しそうに父親の話をしていたのに。信じがたいことだった。
母親は両手で顔を覆いながら、あ、あ、あ、とひとしきり泣くと、少し落ち着きを取り戻したのか、手を下ろして立ち上がった。そうして涙で濡れた眼で私の方を見て、
「アカリがずいぶんお世話になったようで、あの子、友達も少ないものですから。ありがとうございます」
と言った。
「いえいえ、僕はただ一緒にしゃべって電車を待っていただけで。・・・お父さんも、きっとお辛くされているでしょう?」
「え?」
「会うたびにあの子がお父さんの話をしていたものですから、よっぽど仲のいい父娘なんだなと、思っていたんですよ」
「はあ」
母親はなんだか気まずそうな、微妙な顔をした。そうしてちょっと思い直したように、私の顔を見つめて、
「あの、あの子の父親とは別れているんです。だから今回のことも伝えていなくって」
「え?」
「別れたのは半年ほど前です。と言っても、ある日突然アパートに帰って来なくなって、携帯も何も、つながらなくなってしまって。いわゆる、蒸発です。お恥ずかしい話ですが」
「そうなんですか?いや、ですが、しかし」
私は母親に、女の子は会うたび楽しげに父親の話を聞かせてくれたこと、そもそもこの踏切の前にいたのは、父親が電車に乗って帰って来るのを待つためだったことを話した。母親は涙で濡れた眼をこちらに向けて私の話を聞き、聞き終えると、冷静な口調で、
「それは、違います。あの子の父親はもう半年、うちには帰って来ていません。勤めていた会社からも居なくなっていますので、ここの電車に乗っていることは無いと思います」
と言った。
私は愕然とした。母親が嘘をついているようにはどう考えても思えなかった。すると、女の子の話が全て、嘘だったことになる。電車に手まで振っていたじゃないか。しかし――よくよく考えると、確かに私は女の子の父親らしき人を、一度も電車の中に確認できたことは無いのだった。父親が乗っていない電車に向かって、手を振る少女。そこまでして必死に私に嘘を突き通そうとしていたのか。私は女の子の執念を感じ、ぞっとした。
「父親が居たとき、何度か私とあの子でここで父親の帰りを待っていたことがあるんです。それが懐かしくて、ここに居るようになったんじゃないでしょうか」
「そうですか」
かんかんかんかんかんかんかんかん・・・
踏切が鳴った。いつものように電車がやって来る。電車が通り過ぎるまで、私と母親は話をいったん中断した。
電車が通る間、私は、女の子が死んだことと、彼女がついていた嘘について改めて考えてみた。優しい、いつも遊んでくれる父親を、本当は持っていなかった彼女。自分を叩いてくるような母親と寂しく暮らしていた彼女。きっと私などには分からない、辛さを抱えて生きていたのではないか。それで私にあんな嘘をつき続けることになったのではないか。・・・そう思うと、女の子の切なさが、なんとなく分かる気がした。
電車は行ってしまった。踏切の警報機が鳴り止み、遮断機が上がった。私は母親に話しかけた。
「それにしても、今回のことは、ご愁傷様です」
「え?」
「は?」
「いえいえ、とんでもない!あの子、死んでませんよ。ちょっとお風呂場で手首を切っちゃっただけで。精神的に不安定ってことで、今は病院に入院してますけど」
新たな衝撃だった。母親があんなに大げさに泣き崩れるものだから、私はてっきり勘違いをしてしまったわけである。
「そうですか!死んでない!」
自分でも驚くほどの大声が出た。なんだか、すっかりうれしくなったのだった。
「勘違いしてました。それはよかった、よかったです。あの、あの子に伝えてください、元気になったらまたお父さんの話を聞かせて、待ってるからって。よろしくお願いします」
生きてさえいれば、何とかなるさ。私は心からそう思った。母親は私の突然の興奮した態度に驚いたらしく、若干引き気味な声で、
「え、ええ」
とだけ答えた。




