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隠し事




 その日の夜。家へと戻ってきた綾は、何も話すことはなかった。いつものように無言で、必要最低限のことしか話さない。

 だからと言ってどこに何をしに行っていたのかを強制的に報告させることはできないし、そもそも言えないことなのだろうと悠斗は分かっている。

 綾の言った通り、もう子供ではないのだ。


 でも、杏南の言うことが本当だとしたら、少し驚いた。

 まさか自分まで恨みの対象になっていたなんて――ちょっと嬉しかった。救われた。

 弟を殺したいと思うくらいに、兄である吾妻冬獅郎という男を恨んでいたなんてと考えると、余計に苦しくもなった。


「……なぁ?」


 いつもの定位置で夕食をとりながら、綾に話しかけてみる。


「何?」


 そっけない返事。

 何故だか一気に話そうという気力を奪われてしまった。


「……いいや。何でもない」


 返事と共に食べ終わり、食器を流しへ運ぶ。

 綾の視線が追いかけてくるのが分かった。

 手と足が一緒に出てくるようで歩き辛い。


「何よ? 言いたいこと、あるなら言えばいいじゃん」

「……別にそんなのないけど……ただ、悩み事あるなら、言ってくれよ。それくらい聞くよ。何でも」


 不意に言ってしまった言葉は、いわゆる嘘から出た実というものなのだろうか。


 聞くよ。何でも。

 それはどういう意味なのか。


 殺してもいいよと言っているのか。殺してくれと言っているのか。

 殺して下さいと頼んでいるのか。


「そう。……そう」


 二度、同じ言葉を綾は呟いた。背中を向けているので、綾が今どんな表情をしていたのかは分からない。

 それと同じように、何故自分が苛立って、狂ったように言葉を発してしまうのか分からない。


「最近、お前元気ないからさ。隠してるつもりなんだろうけど全部分かるんだよ。態度とか表情とか、その目とか……。何かあるって分かってるんだよ」


 食器の積み方が悪かったのか、流しの中に食器を置くと、ガチャガチャと耳障りな音を立てて食器の山が崩れ落ちる。


「……そう。でも、本当に何もないから」

「何もないわけないだろって言ってるんだ! お前は……分かるよ。それくらい、言えよ! 隠すなよ! お前は俺たちを恨んでるんだろ⁉ 殺したかったんだろ⁉ だったらありがとうなんて言うなよ! 優しいなんて言うなよ! 俺はそんなこと一つもした覚えなんてない! なのに……何でそんなにお前は……耐えてるんだ。殺そうとしないんだ。俺らを……俺を……」


 その時、手先を冷たい感覚が襲った。

 触れている食器が氷り始めている。

 悠斗は慌てて、平常心に戻ろうとした。

 また暴走してしまうかもしれない。


「だって優しいから。優しいから……優しいせいで、揺らぐんじゃない! 私にはその道しか残されてないのに。優しいから……」


 優しいからと言われると、疼く。体のどこがと言うわけでもなく、脳の管轄外の意識が命令している。氷が広がっていく。蛇口はすでに氷漬け、流しの横にあるガスコンロにまで到達しようとしている。止まれ。止まれ、止まれ!

 綾に見られているかもしれない。また暴走してしまうかもしれない。

 その前に、何とかしないと。

 何とかして止めないと。

 何で、こうやってばれないようにって……してしまうんだ。


「それにあなたのお兄さんだって。私の兄のこと親友だって、それでも選んだって、後悔してるって……思わなかった。英雄なんて呼ばれて、死んだ人のことなんかに目もくれないで飄々と生きてるのかと思ってた。そう聞いた」


 止まれ! 止まれ! 止まれ!


「……だから、もう私には分からない。何をしたらいいのか分からないの。教えてよ……お願いだから。私はあなたのお兄さんを殺してもいいの? あなたを……殺してもいいの? どうなの?」

「好きにしろよ」


 悠斗は大きく息を吐いた。何とか暴走を抑え込み、自身の乱れた呼吸を落ち着かせる意味も込めてそう言った。


「好きにしろって、隠すなって言ったのは」

「だからお前の好きにしろよ!」


 怒鳴ってしまったのは、寒さという余韻が拭えなかったからだ。言いながら綾を睨み付けて、呆然とした綾の目から流れる涙だけが印象的だった。良心が捻り潰されるような気分だった。

 きっと自分はこの力を隠すたびに、殺人を犯している。


「……多分、お前が殺したかったら殺せばいい。兄ちゃんも俺も、それを受け入れるはずだ」

「何よそれ。答えになってない。……相談しろって言ったのはそっちじゃない」

「ああ、ごめん」

「謝らないでよ。……私になんか」

「だったらお前も、俺なんかに優しいなんて言うな。イライラすんだよ」

「……ごめん」

「だから謝るなよ。俺なんかに」


 もう自分でも何を言っているのか分からなかった。だから、涙だけ、必死で我慢した。


「私、もう寝る」


 そう言って綾は部屋を後にする。ドアが閉まると同時に悠斗の体から力が抜け、倒れるように座り込んでしまう。

 足音で綾が家を飛び出していたことくらい分かっていたけど、それでも、ひっそりと泣いていないと気が済まなかった。


 隠すなら全部、綾にも、兄にも、杏南にも、隠し続けなければいけないのだ。

 自分のための、嘘つきだから。





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