41.鎮火
勝手口から出てきた緑は俺を見るなり「うぉ」と驚いていた。
「どうした? 今日は中にいなかっただろ?」
本当に、緑は何も知らないんだ。緑の顔を見ると安堵と切なさとで気持ちがぐちゃぐちゃになって下唇を噛んだ。
「……飯食った?」
そう聞かれて俺が首を横に振ると、緑はコンビニに行こうと言ってくれた。
コンビニで弁当を買って、促されるまま緑の家にお邪魔した。
隣で寝ているばーちゃんのためにエアコンを付けっぱなしにしているらしく、部屋は涼しくて汗がすっと引いていった。
「何かあったのか?」
テーブルに着くと緑に心配そうに顔を覗き込まれた。
勇也の言葉が頭をよぎる。
――何も言わなければ何も知らないままだろうけど、わざわざ伝えんのかなって興味があって。
この気持ち悪い事件を伝えるべきなんだろうか。聞いても気分が悪いだけじゃないだろうか。
そのとき緑が口を開いた。
「言いたくないなら無理には聞かないけど……。頼ってくれたら嬉しい……」
後半は自信がなさそうに声が小さくなっていった。
緑には弱いところを見せてもいいんだ……。
今まで頭を埋め尽くしていたモヤが晴れていくようだった。目線を逸らした緑を見ていると胸がぎゅっと締め付けられる。
俺は今日起きた出来事を説明した。勇也とのやり取りは一部割愛したが。
話し終えると、緑はテーブルの上で両手の拳を握りしめていた。
「怖いな……。でも雪原は何も悪くないし、俺はちゃんと分かってるから」
緑の一言一言が俺の心に染み渡った。
そうだ、俺が一番信じてほしい人が信じてくれてるじゃないか。何をうだうだ悩んでいたんだろう。目の前の人を大切にして、目の前の人が大切にしてくれる。これ以上重要なことがあるだろうか。
俺は鳴り続けていた携帯の電源を切った。
「あ、ミニトマト食べる?」
俺が弁当を食べ終わる頃に緑がそう言った。
「トマト?」
緑はベランダの戸を開いた。そこにはプランターに植えられたミニトマトが実をつけていた。
「毎年育ててるんだ」
俺もベランダに出て、二人並んで一粒ずつ収穫した。
「懐かしい。小学校の時育てた」
「これ、小学校のとき育てたプランター。苗は毎年買うけど」
「マジ!?」
よく見ると汚い字で“やひろ みどり”と書いてある。俺は背中を丸めて笑いを堪えた。
虫の鳴き声が聞こえてくる。室外機がときどきブーンと音を立てる。そこはひっそりとした二人だけの空間だった。
緑なりに気を遣ってくれたのかな。
数時間前まで大荒れだった自分の心が、緑といるだけで急激に凪いでいく。
部屋に戻り、洗って食べたトマトは結構甘かった。
「……帰りたくない」
「泊まっていけよ」
俺は緑がそう言ってくれることを期待していた。期待通りの言葉にお礼を言う。
お風呂に順番に入り、居間で二人横になる。
俺はすっかり元気になったのだが、緑のパンツを借りてしまって、興奮を収めるのが大変だった。
翌日、例のアカウントは消えていた。
勇也と俺のアカウントで『悪質な虚偽の投稿であり、法的措置を検討する』とかうんたらかんたら並べた文章を投稿して事態は収束した。
地雷系女子はその後ファミレスに訪れることは無かった。勇也がどんな手を使ったのかは知らない。
一部疑う人間は残っているようだが、俺にはどうでもいい。
緑がいれば、それでいいんだ。
***
夏休みが明けると、今年も文化祭の季節がやって来た。
三年は受験生なので、クラス写真の展示のみと決まっている。準備も何もない俺たちはただ当日を待つだけだ。
そして三年目にしてやっと緑と文化祭を回ることができる。一年のときは勇也の乱入により帰らざるを得なくなり、二年の時はすれ違って会えなかった。今年こそは必ず緑と回るんだ。
緑には教室で智幸と待っておくように言い聞かせ、智幸にはぜっっったいに緑から目を離すなと言いつけ、当日の待ち合わせは万全だ。
いよいよ当日、俺は自由時間になった瞬間に教室を飛び出した。
「緑!」
緑はちゃんと教室で待っていた。
「はいはい、ほら、ピースして」
智幸が呆れた顔で俺たちの写真を撮ってくれた。
その日俺たちはずっと一緒にいた。今年は店も動画も何もないので、去年までみたいに俺目当ての客が殺到することは無かった。
アイスを買ったりゲームをしたり、展示を見て回ったり……。俺はときどき緑の写真を撮った。
「マジ楽しい。二年間出来なかったことが悔しすぎる……」
俺のぼやきに緑は、「終わりよければすべてよし、じゃね?」と笑ってくれた。
そうか、もうじき高校生活も終わるんだな。
急に校舎に緑がいる景色が名残惜しいものに感じた。
「……来年、文化祭に遊びに来ねえ?」
緑との関係を繋ぎ止めたくて、俺はそう口にしていた。
「いいね」
笑ってそう言う緑の顔を、俺はカメラに収めていた。




