33.会いたい
一人で家に帰ると昨日の恐怖が蘇った。もしばーちゃんがいなくなったら……?部屋の真ん中で、俺はしばらく動けなかった。
無理やり体を動かして、電話の前に立つ。
母は俺が五歳の時に家を出て行った。記憶の中の母はいつも怒っていた。フラフラしている父に対するストレスを俺にぶつけていたような気がする。母が出て行ったのはお互いにとって良かったことなんだ、俺はいつもそう思うようにしていた。
母は、俺にとっては遠い親戚みたいなものだ。
ダイヤルを回して母親の携帯にかけると、三コール目で繋がった。
「はい、もしもし」
数年ぶりに聞く声だ。抑揚はない。
「……ばーちゃんが倒れた」
沈黙が流れる。
「…………あの人は?」
「いるわけないじゃん」
父がいるならそっちを頼って、と言いたいのが伝わってくる。
「お義母さんの容体は?」
「意識ははっきりしてる。でも念のため全身検査するから、成人の同意がいるって。退院はいつになるか分からない」
「……明日、そっちに行くわ」
予想していなかった返事に、俺は一瞬言葉が詰まった。
「そ、そんな急に来れんの?」
「なんとかするわ」
あっさりと決まり、病院の場所を告げて俺は電話を切った。
それからバイト先にしばらく休むことを連絡した。店長は無理するなと言ってくれた。
すべきことを終えると、全身の力が抜けてその場にへたり込こんだ。どっと疲労が押し寄せて、俺はいつの間にか眠ってしまっていた。
気がつくと夕方になっていた。
俺は目覚めると青くなり、大慌てでばーちゃんと自分の分の荷物をまとめて病院へ向かった。
家を出る前に黒電話をちらりと見る。
雪原に連絡すべきだろうか。でもまだ体調が悪いかも……と逡巡したが決心がつかず、結局そのまま家を後にした。
その日から俺は病院に泊まり込んだ。ばーちゃんはなんだか弱々しい。咳き込むたびに背中をさすり、あとは二人でぼーっとテレビを見ていた。
翌日母はやって来た。
会うのは三年ぶりくらいだ。母は特に俺を心配する素振りはなく、淡々と手続きを済ませた。
ばーちゃんは母と会うと「わざわざ来てくれたの。ごめんね」と言っていた。
「入院費は払ったから。これ、使いなさい」
そう言って母は俺に茶封筒を手渡した。中を見ると三万円入っている。
「……ありがとう」
正直、助かる。
精神的に頼れなくても、経済的に助けてもらえるなら十分だ。
母を見送ると、ベッドで眠るばーちゃんを見ていた。
そう、十分、十分なんだ……。
検査してもらえるし入院費も払ってもらった。ばーちゃんも生きてる。
だけど叫び出したくて走り出したくて誰かに縋りつきたかった。
病室を出て、フラフラと中庭を歩き回った。
風が冷たい。ジャンバーを羽織って出て来たが、マフラーや手袋は家から持ってくるのを忘れた。
中庭はもう薄暗い。院内のロビーでクリスマスツリーがキラキラと光るのが見えた。
そこで俺は今日がクリスマスイブということに気がついた。去年のクリスマスはバイトの後に雪原とケーキを食べたな……。
冷えた手をポケットに突っ込んだ。
雪原のインフルはとっくに治っただろうか。今何をしてるんだろう。
あのとき携帯を受け取っておけばよかったのだろうか。
けれどそれは対等な関係と言えるのだろうか。
耳が冷えて痛くなってきた。鼻の奥がツンとするが、寒さのせいだろう。
病室に戻るとばーちゃんは起きていた。
「緑ちゃん、ずっと病院に泊まらなくて大丈夫よ」
「家に一人の方がしんどい」
「……そう」
みかんを剥いてばーちゃんに渡す。ばーちゃんの手はずいぶん細くなった気がする。
ばーちゃんはたまたま空いていた個室に入ることができた。俺は今日も固いソファベッドで横になった。
ばーちゃんと同じ九時が就寝時刻だ。携帯が無く、することがない俺は目を瞑ってじっとする。そうすると、雪原のことばかり考えてしまう。海辺で話したこと、体育祭、文化祭、修学旅行……。雪原といるときだけ、俺は高校生らしくいられた気がする。
雪原がくれた写真、何枚か持ってくればよかった。
真っ暗な病室で、ばーちゃんの寝息が聞こえるか確認するうちに俺は眠りについた。
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